波乱万丈な頼子第三十三回

九章

33

「あら、こーちゃんじゃない」
 ママは目を細めた。
「ご存じなんですね?」
「うん。湘南マリーナコーポの二〇一号室に住んでいた人。うちの常連だった。でも、この半年ぐらいは、見てないけど」
「え?」藤村のフォークが止まる。「湘南マリーナコーポの二〇一号室っていえば、頼子という女性が亡くなっていた部屋じゃないですか!」
 うん? うん?
 つまり、どういうこと?
 混乱した情報をまとめようと、莉々子は手帳を取り出した。デジタル時代ではあるが、やっぱり、こういうときはアナログに限る。
 ......はっきりしているのは、「こーちゃん」こと柏木光太郎は湘南マリーナコーポの二〇一号室に住んでいて、その隣の二〇二号室には「せっちゃん」こと瀬山涼が住んでいて、二人とも、「スマイル企画」の従業員ということだ。
 うん? うん?
 だから、どういうこと?
「なるほど、そういうことか!」
 横に座っていた藤村が、パンと軽快に手を叩いた。
「つまり、湘南マリーナコーポの二〇一号室と二〇二号室には、スマイル企画の社員が住んでいたんですよ」
 ずこっという擬音が聞こえるほど、当たり前なことを言う藤村。莉々子は「はぁ?」と、呆れた様子で返した。
「あー、なるほど、そういうことね!」
 ママまで、藤村に追従する。「二人は、知り合いだったということね!」
 なに、当たり前なことを言っているんだ、この人たちは。
「だとしたら、不思議ね。こーちゃんとせっちゃん、この店で何度か顔を合わせているのよ。でも、まったく知らん顔してた。同じ会社で働いているなら、なにかしらそういう素振りをみせるものでしょう?」
「なるほど」
 藤村がひとり納得する。
「高幡さん、行きますよ」
 え? どこに? と質問する間もなく、藤村は二人分の勘定を素早く済ませると、莉々子を押し出すように店を後にした。
「どうしたのよ、藤村君! どこに行くのよ?」
「だから、湘南マリーナコーポですよ」藤村は一旦、足を止めた。続けて、「今までの情報をまとめると、スマイル企画は、あの湘南マリーナコーポの中にあると推測されます」
「は?」
「ですから、スマイル企画の所在地は、湘南マリーナコーポなんですよ、たぶん。それを確かめに行きましょう」

   +

 まずは、二〇二号室から。ドアホンを押すも、応答はない。
 次に、二○一号室。が、莉々子の体は動かない。この部屋で人が死んでいたと思うと、どうも体が硬直してしまう。
「どうしたんですか?」藤村の問いに、
「二〇一号室は、今は空き室なんじゃないの? だって、事故物件だし」
「確かに、その可能性はありますね。でも、下の集合ポストには、なにやら茶封筒が届いていました。だから、誰かがまだ住んでいる可能性のほうが高い」
「ただの、ダイレクトメールなんじゃないの?」
「いいえ。宛先がちゃんと書かれていましたから、仮にダイレクトメールだとしても、特定の人物に宛てた郵便だと思われます」
 あんた、いつのまにそんな細かいところまでチェックしたのよ。
「とにかく、誰か・・が住んでいるのは確かです。電気のメーターも回っているし」
 あ、本当だ。
「照明もうっすら漏れています」
 藤村が、面格子が張られた窓に顔を近づける。が、「うっ」と顔をしかめた。
「めちゃ、臭い」
 うん。確かに、それはさっきから気になっていた。アンモニアのような、下水のような、生ごみのような、それらが全部混ざったような異臭が漂っている。
 面格子の奥、薄く窓が開いている。
 が、カーテンでもかかっているのか、その中はまったく見えない。
「マジで、臭い......」
 藤村が、懐からマスクを取り出した。
 莉々子も、バッグからマスクを引っ張り出す。例のコロナ禍以降、マスクを持ち歩くのが習慣になっている。
「ちょっと、君たち」
 下から、声がした。見ると、階段の下にロックTシャツを着た大家さん。
「君たち、なにやってんだ?」
「あ、すみません。どうしても確認しておかなくてはならないことがありまして――」
 莉々子が言うと、大家さんが階段を上がってきた。ロックTシャツを着ているだけあって、フットワークが軽い。あっという間に階段を上り切り、
「なにを確認したいんだ?」
「二○一号室の住人と、その隣の二○二号室の住人は、どうやら顔見知りのようなんです」
「まさか」
「それを確かめたくて」
「でも、二〇一号室の住人は、もうここにはいないよ。というか、ずっと失踪中だよ」
「ですよね......」
「だから、あんたたちの事務所に依頼したんじゃないか。住人を探してほしいって」
「ですよね......」
「でも、誰か・・が住んでいますよね?」
 藤村が言うと、
「うん?」と、大家さんが微妙な顔をした。「いや、実は、おれにもよくわかんないんだよね。アパートの経営は、カミさんに任せているからさ」
「この異臭はどうですか?」藤村がさらに質問すると、
「異臭? ああ、おれ、鼻がきかないんで」
「すごい異臭がしているんですけど」
「だとしたら、例の遺体が放置されていたからじゃないかね?」
「じゃ、まだ清掃とかしてないんですか?」
「うん、まだ。だって、誰がお金を払うんだよ? 本来なら、住人に払う義務があるはずだ。だから、あんたたちの事務所に住人を探してくれって依頼したんだからさ」
 でも、その依頼を、明石先生は断った。その代わりに、調査事務所を紹介しようとしたところ、今度は大家さんの奥さんに断られた。が、
「僕たちは、その住人さんを探すために、今日はやってきたんです」
 は? 藤村、なに言いだすの。
「じゃ、依頼を受けてくれるんだね?」
「はい、そうです」
 いやいや、そんな勝手に。
「なので、住人の手がかりが欲しいんです。この部屋、開けていただけませんか?」
「そういうことなら、先に言ってよ。開けるからさ」言いながら、大家さんがドアノブに手をかけた。「鍵は特にかけてないの。鍵なんかしなくても、泥棒なんて入らないからさ」そしてノブを引くと、ドアの隙間からなにやら黒いモヤがどわっと湧き出てきた。
「な、なに?」
 莉々子は、マスクの上にさらに手を添えた。
「たぶん、小蝿だね。......でも、そんなんで驚いちゃいけないよ」
 大家さんがなにか楽しげに、ドアを全開にした。
 え?
 ドアは開けられたのに、まったくその先が見えない。なにかで塞がれている。
「ゴミだよ、ゴミ。ここはゴミ屋敷なんだ」
 大家さんは、歌うように節をつけて言った。
「すげーだろう? ここまでくると、もう手がつけられない。業者に頼もうともしたんだよ。そしたら、ゴミの回収だけで、百万円はいくって言われてさ。百万円だよ? 誰が払うのさ。敷金は預かっているけど、それじゃ全然足りない。ほんと、まいっちゃうよ」
 っていうか、こんな状態でよく、死体なんか見つけられたものだ。
「死体は、そこに挟まっていたからね」
 大家さんが、天井のほうを指差した。ゴミが天井近くまで積み上がっている。
「はじめは人形かなにかかな?って。でも、違った。人間の死体だったんだよ」
 大家さんは、笑いながら言った。でも、その顔は細かく引き攣っている。たぶん、わざとおちゃらけて、恐怖を払拭しているに違いない。
 莉々子もまた、笑い飛ばしたい心境だった。でも、笑いたくても、唇ががくがく震えて、口角をあげることすらできない。
「それにしても、なんだって彼女・・はこんなことに......」
 大家さんが、肩でため息をつきながら言った。続けて、
「本当に、なんでこんなことに――」
 その口調があまりに悲痛で、莉々子まで泣きたくなる。
「ここの住人は、いったいどのぐらい、この部屋に?」
 一方、藤村は割と冷静に質問を続けた。
「一回更新しているから、三年......四年かな?」
「四年でここまでのゴミが――」
 あれ。ちょっと待って。ここまでゴミが積み上がっているということは、この部屋は『波乱万丈な頼子』を撮影していた部屋ではないってこと?
 ああ、それにしても、臭い!

波乱万丈な頼子

Synopsisあらすじ

法律事務所で事務職をしている高幡莉々子は仕事の一環で見つけた、ある動画チャンネルに興味を抱く。「頼子」という70代の女が、困窮した生活状況や波乱万丈な人生を語る動画だ。投げ銭だけでも相当儲けているはずなのに、やらせじゃないの? ちょっとした好奇心から莉々子は次第に取り返しの付かない事態に巻き込まれていく・・・・・・。

Profile著者紹介

1964年、宮崎県生まれ。多摩芸術学園卒業。2005年『孤虫症』でメフィスト賞を受賞し、デビュー。11年に文庫化された『殺人鬼フジコの衝動』がベストセラーに。他の著書に『坂の上の赤い屋根』『さっちゃんは、なぜ死んだのか?』『ノストラダムス・エイジ』など多数。

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