波乱万丈な頼子第三十二回
八章
32
「あら?」
ノリカママにその画像を見せると、明らかに反応した。
「ああ、せっちゃんね」
翌日。莉々子は再び、湘南マリーナコーポにやってきた。が、二〇二号室は留守だった。大家の中曽根さんも留守のようで、呼び鈴に反応しない。
仕方なく、昨日も寄ったスナックをまた訪ねてみた。スナックは地元の噂話に最も敏感で、そして詳しい。案の定、ママは、
「ああ、せっちゃんね」と、すぐに画像に反応した。
「せっちゃん?」
そう身を乗り出したのは、藤村だった。今日は、彼にも同行してもらった。明石先生がそう提案してくれた。「高幡さんだけだと、なにかと心細いでしょう。藤村くんも連れて行きなさい」と。余計なお世話だった。今回のことは、全部自分が蒔いた種だ。自分だけで片付けたい。
でも、正直ありがたかった。莉々子は、今まで生きてきた中で、一番の疲労を感じている。さすがの母親も疲労困憊で、「いったい、なぜ、こんなことに?」と泣きじゃくるばかり。玄関先には配達された料理が山と積まれていた。......だから言ったじゃない。S N Sに、個人情報を載せちゃダメだって。電話番号まで載せちゃって......と母を責めたりもしたが、こんな状況を作り出したのは、すべて自分の"好奇心"がはじまりだ。ああ、なんで、あんなことをしてしまったのか。SNSはすべて削除したけれど、そのスクショのコピーは、手がつけられないほどに拡散されてしまっている。未来永劫、ネットの海の中に漂い続ける運命だ。
ああ、本当に迂闊だった。
そんな後悔と絶望で、昨夜はほとんど眠れなかった。食欲もない。こんな状態では、なにをしても空回りするだけだろう。それを見抜いて、明石先生は、藤村をつけてくれたに違いない。
「ママさんは、せっちゃんのことをご存じなんですか?」
藤村が質問すると、
「だって、ここの常連だもの。週に三回は通ってきてくれている。もっとも食事だけで、ボトルもキープしてくれないから、太客ではないんだけどね」
と、ママは卵を割りながら言った。たぶん、莉々子が注文したオムライスの卵だろう。チキンライスはすでにスタンバイ済みだ。
「っていうか、あなたたち、何者なの? 何を嗅ぎ回っているの? 前は、YouTuberとか言っていたけど。もしかして、マスコミ関係者?」
え? 莉々子は口篭ったが、
「実は、そうなんですよ」
と、藤村は答えた。続けて、
「湘南マリーナコーポで女性の孤独死があった件で、取材をしているんです」
「やっぱり」
ママが、少し表情を歪めながら、卵を菜箸で豪快にといていく。それを熱したフライパンに流し入れると、じゅわーという音とバターと卵が焼けるいい匂いが店に充満した。ママはしばらくは料理に集中していたが、オムライスができあがると、満足げにそれをカウンターに置いた。
「今日は、めちゃくちゃうまくできたわ。あなた、ラッキーね」
確かに、それはとても綺麗なオムライスだった。ラグビーボールの形をした、昔ながらのオムライスだ。
ママは次に、玉ねぎとピーマンとベーコンを素早くカットすると、それをフライパンに次々と投下していく。香ばしい匂いがさらに店を覆う。......これは、藤村が頼んだナポリタンだろう。以前、この店に来たときは、レトルトのカレーを出されたが、ちゃんと手作りするメニューもあるんだなぁと妙に感心しながら、莉々子はママの手元を追った。
すでに茹で上がったパスタを拳ひとつ分ボウルから掴むと、ママはそれを豪快にフライパンに投げ入れた。そしてケチャップに塩に胡椒に......うん? それはなんだ?
「これは、うちの隠し味。薩摩の味噌よ」
そういえば、このオムライスを作るときも入れていたっけ。莉々子は、スプーンで掬い上げたオムライスを口にそっと押し込んだ。......うん、美味しい。まじで、美味しい!
「前にお出ししたカレーも、隠し味に味噌が入っているのよ。......まあ、あれはレトルトだけどね」
ママが、子供のようにぺろっと舌を出す。
「だって、カレーって、めちゃくちゃ仕込みに時間がかかるでしょう? の割には、美味しくできるかどうかは、できてみないとわからない。だったら、はじめから美味しいレトルトを出したほうがいいと思って」
「あのカレー、美味しかったです」莉々子は口元についたケチャップを拭いながら言った。
「そう? だったら、ドアのところに、お取り寄せ用の伝票があるから、ぜひ、持っていって」
いや、そこまでは......と、苦笑しながら首を傾げていると、
「ママさんは、鹿児島の出身なんですか?」
と、藤村が質問した。
「あら、よくわかったわね」
「いえ、ちょっとイントネーションが」
「いやだ。これでも必死に標準語を使っているつもりなんだけど。やっぱり、出ちゃうもんなのかしらね」
「普通の人が聞けば、わからないと思います。でも、僕は、母方の実家が鹿児島なもんで、つい、敏感になっちゃって」
「あら、そう。お母さん、鹿児島の人なの?」
「今でも、興奮すると方言が出ちゃうんです」
「方言といえば」
昔ながらの銀の皿にナポリタンを移しながら、ママがはっと、視線を上げた。
「そういえば、湘南マリーナコーポで亡くなった女性、関西弁だった」
言いながら、ママは粉チーズとナポリタンをカウンターに置いた。
藤村が頼んだものだが、一口ねだりたくなるような、懐かしい匂いと仕上がり。
「ああ、確かに、その女性、記事では大阪に住所があるって出ていましたね」
藤村が、フォークにクルクルとパスタを巻きつけていく。
「でも、横須賀線で通っているって言ってたわよ」
「じゃ、住民票は大阪にあるけど、実際に住んでいたのは違っていたんでしょうかね? 二重生活?」
「ああ、なるほどね」
ママが、なにか含みを持たせて頷いた。
「これは、わたしのカンなんだけど、あの人――」
が、ママはそこで口を噤(つぐ)んだ。
気になる。でも、ここで無理やり続きを促したら逆効果だ。
「ママ。この人を知りませんか?」
莉々子は、スマートフォンの画面をママに向けた。例のサイトで見つけた、柏木光太郎という名の従業員だ。
「あら、こーちゃんじゃない」
ママは目を細めた。
「ご存じなんですね?」
「うん。湘南マリーナコーポの二〇一号室に住んでいた人。うちの常連だった。でも、この半年ぐらいは、見てないけど」
「え?」藤村のフォークが止まる。「湘南マリーナコーポの二〇一号室っていえば、頼子という女性が亡くなっていた部屋じゃないですか!」
Synopsisあらすじ
法律事務所で事務職をしている高幡莉々子は仕事の一環で見つけた、ある動画チャンネルに興味を抱く。「頼子」という70代の女が、困窮した生活状況や波乱万丈な人生を語る動画だ。投げ銭だけでも相当儲けているはずなのに、やらせじゃないの? ちょっとした好奇心から莉々子は次第に取り返しの付かない事態に巻き込まれていく・・・・・・。
Profile著者紹介
1964年、宮崎県生まれ。多摩芸術学園卒業。2005年『孤虫症』でメフィスト賞を受賞し、デビュー。11年に文庫化された『殺人鬼フジコの衝動』がベストセラーに。他の著書に『坂の上の赤い屋根』『さっちゃんは、なぜ死んだのか?』『ノストラダムス・エイジ』など多数。
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