波乱万丈な頼子第二十九回

八章

29

「うそ!」
 千栄子は、叫んだ。
 その声は思いのほか大きく、斜向かいに座る親子を驚かせたようだ。バギーに乗る幼子がぐずりだす。うらめしそうにこちらを見る母親を尻目に、千栄子はタブレットに表示されたその文字をいま一度、確認した。
【波乱万丈】頼子のステキなおひとりさまライフ【新居】
「復活してる!」
 千栄子は、まるで三歳児のように体を弾ませた。
 更新の日付を見てみると、一週間前のことだ。
 ああ、なんで、私、気がつかなかったんだろう。......だって、仕方ない。頼子さんが動画を停止してからというもの、YouTubeじたい、極力見ないようにしていたからだ。見れば、きっと、悲しみがさらに増大する。頼子さんを追って鎌倉くんだりまで行った自分だ、YouTubeに行けば、二十四時間、頼子さんを追い続けるに違いない。そうなったら、それこそ、廃人だ。だから、YouTubeそのものから卒業しなくては......と思っていた。
 でも、今日は、ちょっと気が緩んでいた。駅前にできた新しいカフェ。思った以上にお茶が美味しくて、つい、タブレットでネットサーフィンをしてしまった。そして気がつけば、YouTubeに。そして目にしたのが、
【波乱万丈】頼子のステキなおひとりさまライフ【新居】
 というサムネールだった。
 心臓の音が店内に響くんじゃないかと心配になるほど、ワクワクが止まらない。まさに、死んだと思っていた恋人がふいに現れたような興奮、そして歓喜。
「あ、でも。頼子さん、引っ越ししたんだ?」
 サムネールに表示されているのは、見慣れないキッチン。事実、タイトルにも【新居】とある。
 だからか。
 先日、頼子さんが住んでいるであろうアパートを探し出して、行ってみた。頼りは、大船観音。ここで間違いないと思ったのだが、間違いだった。アパートの大家さんからも「そんな人は住んでいない」ときっぱりと否定された。大船観音があの角度で見えるのはあのアパートで間違いないと思ったのだけど、違ったか......と、意気消沈しているところだった。
 まさか、引っ越ししていたなんて。
 サムネのキッチンは、いかにもファンシーだ。それまでのミニマリストなキッチンとは対極にある。
 そこに映り込んでいる頼子さんも、なんだか別人に見える。背格好は頼子さんのようにも見えるけれど、着ている服とエプロンが、それまでとまったく違う。
 疑問符をいくつも浮かべながら、千栄子は再生ボタンを押してみた。

   +

 ご無沙汰しております。頼子です。
 一度、閉じたチャンネルですが、訳あって、再開することにいたしました。
 今後とも、どうぞよろしくお願いします。
 もうひとつ、お知らせがあります。
 お気づきかもしれませんが、私、引っ越しました。

 ......あ、それと。息子の件です。色々ありましたが、すべていい方向に解決いたしました。息子も反省しております。もう私には迷惑はかけないと、誓ってくれました。
 私は今度こそ、自分の人生を歩んでいきたいと思います。
 これからも応援、よろしくお願いします。

   +

「よかった。頼子さん、幸せそうで」
 そうだ、頼子さんは幸せをようやく掴んだんだ。だから、ちょっとふっくらしたんだろうし、雰囲気も変わったのだろう。
 千栄子は早速「いいね」ボタンを押した。すでに、千以上の「いいね」がついている。相変わらずの人気だ。
 そうだ。コメントも残しておこう......と、コメント欄を表示させると、すでに、絶賛と祝福のコメントが溢れかえっている。見ているだけで、こちらも幸せが満ちてくる。
 ......うん?
『動画に映っている人物、誰ですか? 明らかに、前の人とは別人ですよね? 頼子って、何人いるんですか?』
 幸せな気分をぶち壊す、アンチのコメントを見つけてしまった。
 ほんと、アンチってうざい。
 アンチめ、アンチめ、アンチめ!
 アンチ退散、アンチ退散、アンチ退散!
 勢い余って、つい、テーブルを連打してしまった。
 隣に座る男性が、睨みつけるようにこちらを見る。後ろからも、視線が飛んでくる。
 さらに、店のスタッフがこちらにやってきた。年配の女性だ。たぶん、店長だろう。
 やばい。このままでは摘み出されるかも。そんな惨めな事態だけは避けたい。
 スタッフが来る前に、千栄子は「さあ、帰るか」と、わざとらしく席を立った。
 逃げるようにカフェを後にした千栄子だったが、その心はスキップを踏んでいた。
 頼子さんが帰ってきてくれた。頼子さんが!
 アンチのコメントはちょっと気になるが、それがアンチというものだ。美しく純粋なものに引っ掻き傷をつけずにはいられない。ビョーキなんだ、可哀想な人たちなんだ。だから、気にしない、気にしない!
 ......でも、やっぱり気になる。

 家に戻ると、千栄子は再び頼子の動画にアクセスした。コメントを確認するためだったが、
「え? もう新しい動画がアップされている?」
 そのサムネのタイトルは、
『余命宣告されました』
 余命宣告? どういうこと? え? え? え?

   +

 ......コメントに、体形が変わった。別人なのでは?という指摘がいくつかみられました。それに応えなくてはいけないと思い、今日も緊急で動画をアップした次第です。ちなみに、この動画は、五日前に撮影したものです。
 私の体形が変わったのは、ここ数日のことなのです。たぶん、病気のせいです。血糖値の異常な上昇から、お医者さんは膵臓癌を疑っていますが、浮腫も激しいので、他の癌である可能性も高いということです。
 これで、ご納得いただけたでしょうか?

   +

 納得できないわ!
 千栄子は、カップの中のラベンダーとペパーミントのハーブティーを飲み干した。なのに、次から次へと、渇きがやってくる。千栄子は、キッチンに走ると蛇口を捻った。勢いよく飛び出す、水道水。まるで、自分の感情のようだ。
 そう、千栄子は今、怒涛のごとく噴き出している感情に翻弄されていた。
 頼子さんが、余命宣告された。
 でも、肝心な診断結果が紹介されていなかった。
 そのせいで、アンチたちから疑いのコメントが多数投稿されていた。
『釣りサムネールですか? 草草草』
『あーあ、いよいよ、余命ビジネスに手を染めたか......』
 アンチだけではない。
『余命宣告といいながら、それに触れずに終わり......というのはいかがなものでしょうか?』
『頼子さんがおっしゃりたくないなら、無理強いはしませんが。でも、やっぱり、心配です。余命宣告ってどういうことなんですか?』
 優良な常連の視聴者からも、不安の声が次々と上がる。
 たまらず、千栄子もコメントしてみた。
『動画の復活、おめでとうございます! ......でも、余命宣告って? 頼子さんのことが心配すぎて、今日は眠れそうにありません。余命宣告というのは、嘘なんですよね?』

 翌日。朝一番に、『波乱万丈な頼子』が更新された。
 昨夜の『余命宣告されました』というタイトルの動画が大反響だったため、続きを緊急アップしたという。

   +

 わかりづらい動画で、みなさまに混乱を招いたこと、本当に申し訳なく思います。
『余命宣告されました』というのは、本当なのです。でも、その詳細をみなさまにお知らせしようかどうか迷っていたのも確かなんです。みなさまに余計な心配をさせたくない。でも、余命宣告されたことを誰かと共有したい。そんな葛藤が、あのような中途半端な動画を生み出してしまいました。本当にごめんなさい。
 今日は、これ以上、誤解を生まないために、正直にすべてさらけだそうと思います。
 本日、検査結果を聞きに行きました。
 やはり、癌だそうです。しかも、ステージ4。ステージ4というのは、他にも転移しているということらしいです。そして、極めて治療は難しいと。お医者さんからはこう告げられました。
「余命は半年です」

 ......そこで、みなさまにお願いがあります。
 どうか、私を助けていただけないでしょうか?
 せめて、一年、生かしてくれないでしょうか。一年あれば、大河ドラマのラストを見ることも、やり残したことを実践することもできます。それ以上は望みません。私に、一年、ください。
 クラウドファンディングを立ち上げました。概要欄に貼っておきますので、一円でもご協力いただけたら幸いです。

   +

「クラファン!」
 千栄子は、小さく叫んだ。そして、考えるよりも早く、数字キーを連打した。
『100000円』
 そして、その数字を見返すことなく、【支援】ボタンを押す。
 まったく後悔はない。後悔があるとすれば、額が少なかったかも?という点だ。
 十万円は、確かに高額だ。千栄子の一ヵ月分のパート代だ。でも、頼子さんのためなら、そんなのどうってことない。
 頼子さんの余命が延びるんなら、どんな支援も惜しまない。
 千栄子は、再度、クラファンサイトを開くと、今度は300000円と入力した。
 今現在、口座にある全残高だ。これをつぎ込んだら、千栄子は今度こそ、借金に頼らざるを得なくなる。
「借金がなによ。頼子さんの延命に比べれば、些細なこと」

波乱万丈な頼子

Synopsisあらすじ

法律事務所で事務職をしている高幡莉々子は仕事の一環で見つけた、ある動画チャンネルに興味を抱く。「頼子」という70代の女が、困窮した生活状況や波乱万丈な人生を語る動画だ。投げ銭だけでも相当儲けているはずなのに、やらせじゃないの? ちょっとした好奇心から莉々子は次第に取り返しの付かない事態に巻き込まれていく・・・・・・。

Profile著者紹介

1964年、宮崎県生まれ。多摩芸術学園卒業。2005年『孤虫症』でメフィスト賞を受賞し、デビュー。11年に文庫化された『殺人鬼フジコの衝動』がベストセラーに。他の著書に『坂の上の赤い屋根』『さっちゃんは、なぜ死んだのか?』『ノストラダムス・エイジ』など多数。

Newest issue最新話

Backnumberバックナンバー