波乱万丈な頼子第二十七回

七章

27

「嘘でしょう!」
 その日、千栄子は喉が潰れるほど、何度も叫んだ。
『波乱万丈の頼子』のチャンネルが停止されたからだ。
 頼子さん、どうしたの?
 いったい、なにがあったの?
 いても立ってもいられなくなった千栄子は、それまで必死に抑え込んでいた衝動を解放することに決めた。
 頼子の家に行くことにしたのだ。
 頼子の家がどこにあるのかは、すでに見当はついていた。
 頼子のチャンネルは主にキッチンで料理をしている動画なのだが、キッチンの向こう側の部屋には腰高窓がある。その窓から、白い塊が見える。あれは間違いなく、大船観音だ。それを認めたとき、
「あ、頼子さん、近くに住んでいる!」
 と千栄子は狂喜乱舞したものだ。
といっても、大船観音がある大船までは横須賀線で二十分ほど離れているのだが、それでも、近くであることには違いなかった。なにしろ、電車一本、しかも二十分揺られれば、大船に到着するのだから。しかも、大船には昔、母親の知人が住んでいて、よく行っていた。馴染みの場所だ。初めて大船観音を見たときは、ひどく驚いたものだ。唐突に現れる、巨大な白い塊。「あれは、なに!?」と、タナカさんにしがみ付きながら訊くと、「あれは、観音様ですよ」と教えてくれた。さらに、「観音様が、この街を見守っているんですよ」と。
 千栄子は思った。こんな巨大な観音様がいるこの街では、悪いことはできないなぁと。だって、見守られているというより、監視されているようだ。千栄子の臍のあたりがきゅっと引き締まる。観音様と目が合ったような気がしたからだ。そして、千栄子は咄嗟に呟いた。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい......」
 なんで、あのとき、あれほど観音様が恐ろしく思えたのか。ある種の、巨大物恐怖症だったのか。
 いずれにしても。
 頼子の部屋の窓からは大船観音が見える。
 あの角度であの大きさで大船観音が見えるポイントは限られている。そして、頼子の家がアパートの一室であることは、過去の動画で明らかになっている。さらに、二階の角部屋、東向きであることも。これらの要素を手がかりにして探索すれば、頼子のアパートを突き止めるのはさほど難しいことではない。
 ただ、疑問点もある。
 頼子が撮影に使っている部屋はどうやら数種類あるようなのだ。同じような間取りとインテリアだからはじめは気がつかなかったが、改めて見直すと、明らかに違う部屋で撮られている。が、どの部屋も、同じ地域にあるアパートであることは間違いないと思われた。どの部屋からも、大船観音が見えるからだ。ほぼ同じ角度で、同じ大きさで。
 最初は、同じアパートの別の部屋で撮られたのだろうか?とも思った。が、ストリートビューで確認していたときだった。まったく同じ外観のアパートが三つ、固まって建っているのを見つけた。
「でも、珍しいことではない」千栄子は呟いた。オーナーが地主の場合、こういうことはよくある。同じようなアパートを同じ敷地に複数棟建てることは。うちの近所でも時々見かける。それらのアパートは外観どころか部屋のスペックも間取りもまったく同じで、あきらかに量販型のそれだ。
 だとしたら、頼子の動画は、この三つのアパートの、それぞれ二階東向き角部屋で撮られたものではないだろうか?
千栄子の思考に、そんな推理が唐突に浮かんだ。なんでそんなことをする必要があるのかはまったく分からなかったが、その推理はほぼ当たっているように思えた。
 アパートの名前は、
『湘南マリーナコーポ』『湘南マリーナコーポⅡ』『湘南マリーナコーポⅢ』。
『湘南マリーナコーポ』が最初に建てられて、続けて、ⅡとⅢが建てられたのだろう。
『湘南マリーナコーポ』の名前で検索をかけてみると、不動産サイトの入居者募集コーナーがヒットした。紹介されている内部の画像は、頼子の部屋と同じ間取り、そしてスペック。
 ビンゴだ!
 だからといって、部屋を訪ねて行こうとか、そんなことまでは考えていなかった。いや、本音では突撃したかったのだが、それではストーカーではないか。痛いファンではないか。頼子さんが嫌がることはしたくない。それだけは。そう自分に言い聞かせて、衝動を抑えていたのだ。
 が、今はそんなことを言っている場合ではない。頼子さんに何かがあったのは間違いないのだから。
 もしかしたら、頼子さんは助けを求めているのではないか。
 だとしたら、助けられるのは自分しかいないのではないか。
 そう思い詰めた千栄子は、その日、横須賀線に飛び乗った。

波乱万丈な頼子

Synopsisあらすじ

法律事務所で事務職をしている高幡莉々子は仕事の一環で見つけた、ある動画チャンネルに興味を抱く。「頼子」という70代の女が、困窮した生活状況や波乱万丈な人生を語る動画だ。投げ銭だけでも相当儲けているはずなのに、やらせじゃないの? ちょっとした好奇心から莉々子は次第に取り返しの付かない事態に巻き込まれていく・・・・・・。

Profile著者紹介

1964年、宮崎県生まれ。多摩芸術学園卒業。2005年『孤虫症』でメフィスト賞を受賞し、デビュー。11年に文庫化された『殺人鬼フジコの衝動』がベストセラーに。他の著書に『坂の上の赤い屋根』『さっちゃんは、なぜ死んだのか?』『ノストラダムス・エイジ』など多数。

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