波乱万丈な頼子第二十六回

七章

26

「ほんと、なにも分かってない、なにも!」
 家に戻っても千栄子のイライラはなかなか鎮まらなかった。
「あんまり変なことにお金を使わないほうがいい? はっ。それは、こっちの台詞よ! あんたのほうがよっぽど、お金の使いかたが変よ。そりゃさ、確かにさ、あんたが今推している人はイケメンアスリートよ。オリンピックで金メダルもとっている。でも、今じゃ、ただの金の亡者じゃない。週刊誌にも載ってた。ファンクラブの会費は年に十万円と高額で、他にも、イベントやらお茶会やらで、そのたびに数万円とっているって。さらに、イベントのチケットをたくさん買ってくれる人はプラチナ会員と呼ばれ、直筆の年賀状をもらえるとか。だから、ファンは競ってチケットを買うっていうじゃない。中には何百万円も課金する人もいるって。それで、自己破産しちゃった人もいるって、週刊誌には書かれていた。レイコさんも、きっと、バカみたいに課金してるんじゃないの? 直筆の年賀状ほしさに。あんたのほうが、よっぽど気をつけないと!」
 千栄子はそこにはいないレイコに向かって、怒鳴り続けた。
「いい? 私とあなたじゃ、基本的なところが違うのよ。あなたはただ、カモられているだけ。養分になっているだけ。けど、私は違うの。私の場合は――」
 と、拳を上げたところで、電話のベルが鳴った。スマートフォンを見るも、違った。固定電話のほうだ。
 固定電話が鳴るなんて、久しぶりだ。どのぐらいぶりだろう? ああ、そうだ。母が出先で倒れて、それを知らせる電話が鳴ったとき以来だ。
「って、固定電話、どこだっけ? 確か、リビングの――」
 ベルが鳴る方向を辿るようにリビングの中をぐるぐる巡っていると、サイドボードの裏に、子機が転がっていた。
 いやだ。こんなところに。きっと、あの子・・・の仕業ね。
 久しぶりにあの子・・・のことを思いだし、千栄子の心はふと、ほぐれた。
 子機を拾い上げるも、充電が切れてしまっているようで、反応はない。
「あ、本体はどこだっけ?」
 と、探している間に、電話のベルは止んだ。
 まあ、いいか。今時、固定電話にかかってくる電話なんて、勧誘か振り込め詐欺に違いない。そんなことを、以前、テレビの情報番組で見たことがある。......あ、そうだ。その情報番組を見て、固定電話の本体を母親の書斎に移したんだった。あそこなら、固定電話という存在じたいが意識から消える。そしたら、こうやって「どこにやったっけ?」と探し回るに違いない。そうこうしているうちに電話の相手が痺れを切らせて、電話を切るだろう......と思ったのだ。我ながら、なんとも回りくどい方法だ。だったら、はじめから固定電話なんか解約すればいいのに。または、留守番電話を設定すればいいだけのことだ。
 が、千栄子にとって、どちらもハードルが高かった。どうやって解約すればいいのかも分からなかったし、留守番電話の設定の仕方もいまひとつよく分からない。[留守電]というボタンはあるのだが、それを押してもその先の操作が分からない。マニュアルがあればいいのだが、それもどこにあるのか見当もつかない。だから、固定電話を遠くに追いやる......という方法しか思いつかなかったのだ。
 こんなとき、タナカさんがいれば。
 固定電話だって、タナカさんが買ってきたものだ。
 タナカさんとは、母親のマネージャー的なことをしてくれていた女性だ。元々は家政婦として雇っていたのだが、いつの間にかマネージャーのような仕事もするようになっていた。
「ああ、タナカさん......」
 千栄子は、タナカさんにひどく懐いていた。母親よりも頼りにしていた。
 タナカさんがこの家に来たのは、千栄子が幼稚園のとき、昭和四十五年のことだ。大阪万博から戻ってきて数日後、タナカさんはやってきた。
 上京してきたばかりのタナカさんは、当時で十八歳だったか。ずっとお姉さんのような存在がほしかった千栄子は、興奮の余り失禁してしまったほどだ。濡れたパンツを脱がしてくれて、新しいパンツをはかせてくれたタナカさん。とんだ初仕事だったが、タナカさんはニコニコとそれを見事にやり遂げた。
 その日から、タナカさんは千栄子の母親となり姉となり友人となった。
 しかし、そのタナカさんはあるとき、忽然と姿を消した。十年前のことだ。母は言った。
「私も昔ほどには稼げないからね。リストラは仕方がないことなのよ」
 その数年前から母は個人事務所を畳み、スタッフも解雇していた。タナカさんだけはなんとか雇っていたが、いよいよ、それも続かないと判断したようだった。
 だからと言って、なんの挨拶もなしに、出て行っちゃうわけ? さよならぐらい、あってもいいんじゃない? ......そうか。タナカさんがあんなに優しくて親身だったのは、給料が出ていたからか。その給料が出せないとなったとたん、タナカさんも離れていった。
 やっぱり、金の切れ目が縁の切れ目なんだ。
 そう思い、タナカさんのことは忘れようと努めたが。
「だからと言って、あの子・・・まで連れて行くことないじゃない」
 あの子とは、犬のチロちゃんのことだ。チワワとプードルの面影があるその子は、タナカさんが拾ってきたものだ。裏庭にうずくまっていたらしい。どこかで飼われていた形跡はあったが、長いこと野良生活をしていたのか、その毛並みはボロボロだった。母は保健所に連れて行くように命令したが、珍しくタナカさんがそれを拒んだ。母の命令を拒んだのは、あれが初めてだった。迷惑がかからないようにしますからとタナカさんは懇願し、犬を飼うことの許しを請うた。千栄子もタナカさんに加勢した。「私も一緒に面倒を見るから、いいでしょう?」と。母はとうとう折れて、チロは晴れて、この家の一員となった。ちなみに、一応、警察には届けたが、結局、元の飼い主は見つからなかった。
 そのチロまで連れて行くなんて。確かに、チロを拾って主に面倒を見ていたのはタナカさんだけど、私だって、散歩に連れて行ったし、ご飯だってあげていた。立派な飼い主のつもりだった。
 なのに......。
 酷い裏切りにあったようで、千栄子はなるべくタナカさんのことは考えないようにしていた。
でも、毎日のように思い出すのだ。タナカさんが作ってくれたご飯を。どれも美味しくて、食事がどれほど待ち遠しかったか。
「タナカさん。今頃、どうしているんだろう?」
 あれっきり、まったく消息は分からない。母も知らないと言っていた。
 でも。千栄子には思い当たることがある。
『波乱万丈な頼子』は、タナカさんを知っているんではないか?
 千栄子が『波乱万丈な頼子』にハマったきっかけは、昭和四十五年の大阪万博だけではない。頼子が作っているその料理。その多くは、タナカさんのレシピと酷似していた。タナカさんのレシピは独特で、例えば、カレーを作るときも、独自の工夫を加える。なんでも、故郷の味なんだそうだ。
 頼子が作るカレーも、タナカさんと同じ工夫が加えられていた。それを見たとき、千栄子は「この人、もしかしたら、タナカさん?」と思ったほどだ。
 そう思いはじめたら止まらなくなった。気がつけば、動画の常連になっていた。
 タナカさんであるはずない。それは分かっている。だって、料理を作るその指はタナカさんのものではない。タナカさんの指には、ある特徴があった。そう、左の小指が欠損していたのだ。でも、頼子の指はそんなことはない。
 とはいえ。
頼子は、タナカさんとなにか関わり合いがあるのではないか? それは確かなように思えた。頼子が語る昔のエピソードは、ところどころ、タナカさんが話してくれた身の上話に重なるところがあるからだ。 
 はじめは、そんな疑惑から動画にハマっていったのだが、ハマればハマるほど、頼子がタナカさんに思えてくる。いや、タナカさんであってほしいと思えてくる。
「タナカさん、今度こそは、どこにも行かないで」
 そんな思いが千栄子を課金へと向かわせている。
 この心理をどう説明すればいいのか、千栄子にはまったく分からなかった。だから、「あんな一般人のおばあちゃんにハマる気持ちが分からない」というレイコさんにも、上手く説明ができなかったのだ。
 っていうか、説明なんて必要?
 恋に落ちるときだって、その心理なんか説明できやしない。
 ギャンブルにハマるときだって、そうだ。
 そう、落ちるときは、落ちるのだ。
 そこには、理屈も道理もない。
 そう、落ちるだけなのだ。

波乱万丈な頼子

Synopsisあらすじ

法律事務所で事務職をしている高幡莉々子は仕事の一環で見つけた、ある動画チャンネルに興味を抱く。「頼子」という70代の女が、困窮した生活状況や波乱万丈な人生を語る動画だ。投げ銭だけでも相当儲けているはずなのに、やらせじゃないの? ちょっとした好奇心から莉々子は次第に取り返しの付かない事態に巻き込まれていく・・・・・・。

Profile著者紹介

1964年、宮崎県生まれ。多摩芸術学園卒業。2005年『孤虫症』でメフィスト賞を受賞し、デビュー。11年に文庫化された『殺人鬼フジコの衝動』がベストセラーに。他の著書に『坂の上の赤い屋根』『さっちゃんは、なぜ死んだのか?』『ノストラダムス・エイジ』など多数。

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