波乱万丈な頼子第二十五回
七章
25
マキノさんから頻繁にメールが届く。
例の投資の件だ。だが、猪又千栄子の心はすでにそこにはなかった。だから無視をし続けた。
業を煮やしたマキノさんは、ターゲットを他に変えたようだ。ある日、千栄子はミツヤさんに捕まった。
「ね、お願い。百万円ほど貸してくれない? 倍にして返すから」
倍にして返す。よく聞く言葉だが、その約束が果たされた例など、この世にあるのだろうか。「倍にして返す」は、ほぼ、「お金は返さない」と同義だ。
「猪又さん、お金、持っているんでしょう? 知っているわよ。あなた、南条ちかの娘よね? 大豪邸に住んでいるのよね? 今でも、印税ががっぽがっぽなのよね?」
なわけないでしょう。あの家を維持するだけで、印税なんてあっという間にふっ飛ぶ。
「ねえ、お願いよ。ね、お金、貸して。ほんと、お願い。でないと、うち、一家で首くくらなきゃ」
あの噂は本当だったんだ。ミツヤさんが闇金に手を出したという噂。
ミツヤさんがここまで追い込まれた理由は、言うまでもなく、マキノさんだろう。マキノさんが投資をもちかけて、それにミツヤさんはまんまと乗ったのだ。
そのマキノさんは、最近、姿をみせない。
まあ、知ったこっちゃないけれど。
更衣室。作業着を脱いでいると、レイコさんが声をかけてきた。
レイコさんとは、前の職場でも一緒だった。たぶん、登録している派遣事務所が同じなのだろう。千栄子はパートで働いているが、レイコさんは前の職場でも、ここでもフルタイムで働いている。
以前はそれほど話したこともなかったが、ここ最近、レイコさんが度々話しかけてくる。しかも、
「なんかさ、ほんと、ここの連中とは話が合わないよ」
レイコさんのいつもの愚痴がはじまった。
「この辺の人たちは、育ちがあまりよろしくないからね」
確かにこの辺りは治安がよくない。県内でも屈指の犯罪多発地域だ。県内で凶悪犯罪が起きると、たいがい、現場はこの辺りだ。
千栄子も、どちらかというと避けてきた地域だ。もっといえば、見下してもいた。でも、ここに働きに来ている以上、自分もまた、この地域の一部なのだ。
しかし、レイコさんはそれをどうしても認めたくないようだった。
「こんな地域だからさ、あんな詐欺師もいるんだろうね」
「詐欺師?」
「マキノさんのことよ」
「ああ」
「千栄子さんも、声をかけられたんじゃない?」
「.........」
「いいわよ、隠さなくても。私も声をかけられたし」
「へー......」
「ここで働いている人で、声をかけられてない人はいないんじゃないかな」
「そうなの?」
「まさに、ローラー作戦。片っ端から声をかけてた」
「レイコさんは、なんて声をかけられたの?」
「私は、五十万円とられそうになった。五十万円が一年後には三倍になるって」
「三倍......」
「そんなうまい話あるわけないじゃないね。だから、即、断った」
「そうなんだ」
「でも、ミツヤさんはまんまと信じちゃって。闇金にまで手をつけたのよ。バカよね。このままじゃ、夜逃げするか首をくくるかしかないわね」
レイコさんは冗談半分で言っていたが、その予想はまんまと当たった。
その翌週のことだった。
職場が騒然としている。「どうしたんですか?」と、工場長に訊くと、
「ミツヤさんが蒸発しちゃったんだよ。一家共々」
近くにいたレイコさんが、やっぱり......という顔で、深く頷く。そして、
「もうこの世にはいないかもね」
と、千栄子の耳元で囁いた。
『職場の知り合いがいなくなったんです。もしかしたら、亡くなっているかもしれません。その原因のひとつは、私かもしれません。私がお金を貸していれば......』
その日、千栄子は、そんなコメントを『波乱万丈な頼子』の動画に投稿した。その日はライブ配信で、ちょうど、借金に関する内容だった。
息子が借金まみれになっている、どうしたらいいか分からない......というような内容だ。
千栄子は、ミツヤさんを助けてやれなかった後悔を埋めるように、立て続けに投げ銭した。合計で十万円。
こんなはした金ではどうにもならないかもしれないけれど、でも、今の自分にはこれが精一杯だ。
もっともっと、私にお金があればいいのに。そしたら、頼子さんともっと距離を縮められるのに。
お金。
あああ、お金が欲しい!
+
「ね、まさかとは思うんだけど」
翌日、休憩室で水を飲んでいると、お茶のペットボトルを手にしたレイコさんから声をかけられた。
「千栄子さんって、動画配信に投げ銭とかしてる?」
え? 千栄子は構えた。
「実はさ。『波乱万丈な頼子』っていうチャンネルがプチ炎上しているから、昨日、見てみたんだけどね」レイコさんが、ペットボトルの蓋を開けながら言った。
「プチ炎上?」
「そう。SNSで『頼子』がトレンドワードに上がっていて、なんだろう?って見に行ったら、炎上してた。......つか、暑いね! 喉渇いた!」言いながら、ペットボトルの中身をごくごく飲むレイコさん。一気に、その半分が消えた。
「だから、どうして、炎上しているの?」
「ヤラセじゃないかって、暴露系インフルエンサーがSNSで呟いたのよ。たれ込みもかなり来ているって」
「ヤラセ? たれ込み?」
「そう。『波乱万丈な頼子』だけじゃなくて、最近、ペット系の動画とかシニア系の動画で、ヤラセが多いらしいから気をつけろって」
「......で、投げ銭って?」
「渦中の『波乱万丈な頼子』のチャンネルを見てみたのよ、昨日。そしたら、ライブ配信しててさ。投げ銭も舞ってた。その中に、『あれ?』って思うコメントがあって」
「......コメント?」
「職場の知り合いがいなくなった。私がお金を貸していれば......的なコメントだったんだけど、その人、十万円投げ銭していたのよ」
「.........」
「ハンドルネームは、チエコ。......まさか、千栄子さんじゃないよね?」
「......まさか」
「だよね」レイコさんが、ペットボトルを片手に大袈裟におどけてみせた。「ごめんごめん、違うとは思ったんだけど、なんだか気になったもんだからさ。そうだよ、千栄子さんがあんなバカな真似をするわけないよね」
「バカな真似?」
「だって、そうでしょう? これが、若いアイドルやイケメンの有名人なら分かるのよ、投げ銭するのも。でも、相手はおばあちゃんだよ? しかも、おひとりさまの一般人。そんな人に入れ込んで、投げ銭するなんてバカじゃない?」
「そう......かな?」
「そうだよ。そもそも、投げ銭って、推しに対してするもんでしょう?」
「そうでもないんじゃない? その人の人となりに感銘を受けたとか、その人の活動に協力したいとか、そういう意味でも投げ銭するんじゃない?」
「まあ、確かにそれもあるかもしれないけど。でも、チエコって人はそんな感じじゃなかったんだよね。めちゃくちゃ、頼子に心酔している感じだった。まるでホストに入れ込んでいるみたいだった」
「ホスト?」
「実はさ私、以前、ホストにハマっていたことがあるのよ。それで、勤めていた会社を追い出されたんだけど、そのときの私があんな感じだったんだよね」
「あんな感じって?」
「だから、四六時中、対象につきまとって、『私のこと見て』っていうアピールを欠かさない感じ。アピールのためなら、金に糸目はつけない。自分はボロを着てもお金を用意して、対象を振り向かせるためにじゃぶじゃぶ使うのよ。昨日のチエコって人もそんな感じだったんだよね。あれは、かなり、お金を使っていると思う。ほんと、バカだよ」
「.........」
「私の場合はさ、イケメンのホストだったから、まだ言い訳もきくのよ。周囲も、呆れながらも納得してくれる。でも、顔もよく分からないしょぼしょぼのおばあちゃんに入れ込むなんて、意味分かんないし、バカだとしか」
「だから、頼子さんの生き方に感銘を受けているんじゃないの?」
「はあ? だとしたら、ますます意味分かんない。何本か遡って動画を見てみたけど、どちらかといえば、失敗の見本みたいな人じゃない。これが成功者だったら分かるよ? この人の成功にあやかりたいって、入れ込むのはアリだと思う。でもさ、あんなどん詰まりのような人生に感銘を受けるかな?」
「どん詰まりのような人生でも、それに負けずに必死で生きている姿に感銘を受ける人もいるんじゃない?」
「だとしたら、あれだね。同情を誘って、他者からお金を引き出す手口。物乞い」
「物乞い!?」
「あー、なるほど。だとしたらちょっと納得かな。大昔から、物乞いビジネスってあるからさ。聞いたことあるよ、ある国では、わざわざ健康な子供の足や手を切断して、それをネタに物乞いをしている人たちもいるんだってさ。この日本でも、大昔は割とあったって聞く。だから日本では、基本、物乞いは犯罪とされているんだよ。確か、見つかったら軽犯罪法違反になると思う。そういう意味では、頼子は、犯罪者に限りなく近いね」
「犯罪者!?」
「いやだ、なにをそんなに興奮しているの?」
「興奮なんか......してないけど」
「でも、やっぱり、意味分かんないよ。あんな一般人のおばあちゃんにさ、あんなバカみたいに課金する人がいるなんてさ。それが同情だったとしても」
レイコさんが、ペットボトルに残っていた最後のお茶を飲み干した。......容器の表面にはびっしりと水滴。その中身はキンキンに冷えているのだろう。......いかにも美味しそうだ。
「私もさ、今、推しがいるけどさ。でも、私の場合は、誰が見てもイケメンで天才のアスリートだからね。課金する意味も人生を投げ出す意味もあるわけよ。......でも、あんな一般人のおばあちゃんを推してもさ、なんの意味があるんだろう?」
意味、あるわよ!
千栄子は叫びそうになった。
「千栄子さんもさ、気をつけてね」レイコさんが、上から目線で言った。
「は? 何を気をつけろって?」
「だから、あんまり変なことにお金使わないほうがいいよ。でないと、ミツヤさんみたくなるよ」
はぁぁぁぁ?
「っていうかさ。千栄子さん、今日も
レイコさんが、千栄子の手元のカップを覗き込む。
「違うよ、白湯だよ」
「へー」レイコさんが、バカにするように顎をしゃくる。そして、「節約もほどほどにしないと。千栄子さん、最近、めちゃ痩せたよね?」
Synopsisあらすじ
法律事務所で事務職をしている高幡莉々子は仕事の一環で見つけた、ある動画チャンネルに興味を抱く。「頼子」という70代の女が、困窮した生活状況や波乱万丈な人生を語る動画だ。投げ銭だけでも相当儲けているはずなのに、やらせじゃないの? ちょっとした好奇心から莉々子は次第に取り返しの付かない事態に巻き込まれていく・・・・・・。
Profile著者紹介
1964年、宮崎県生まれ。多摩芸術学園卒業。2005年『孤虫症』でメフィスト賞を受賞し、デビュー。11年に文庫化された『殺人鬼フジコの衝動』がベストセラーに。他の著書に『坂の上の赤い屋根』『さっちゃんは、なぜ死んだのか?』『ノストラダムス・エイジ』など多数。
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