波乱万丈な頼子第二十三回

六章

23

「そういうの、ほんと、困りますから」
 マキノさんが、茶封筒を再び、千栄子の前に置いた。
 その表情は、臨界点に達した怒り顔。千栄子は渋々折れた。
「わかった。じゃ、今日のところは、もらっておくね」
 と、茶封筒を渋々トートバッグにしまう。
「それにしても、マキノさん。あなた、お若いのに、しっかりしているのね」
「若い? 四十ですけど?」
「私から見たら、全然若いわよ。今の若い子は、金銭感覚がシビアだと聞いたことあるけど、本当なのね」
「私から見たら、千栄子さんたちのほうがおかしいんですよ」
「どういうこと?」
「普通、職場の付き合いなんて、割り勘じゃないですか。もっとも、上司が部下に奢る......ということはあるかもしれませんけど。それとも、千栄子さんは、私たちのこと部下だとか思っているんですか?」
「え?」
「ああ、そうか。ずっともやもやしていたんですよね、千栄子さんがお金を出すたびに。それは、千栄子さんに見下されている感じがしていたからだ」
「見下すなんて、まさか、そんな」
「だったら、なんで、みんなの分までお金を出すんですか?」
「それは......」
 友情には課金が必要なことを知っているからだ。友情だけではない。ありとあらゆる人間関係の接着剤になっているのは「お金」だ。「金の切れ目が縁の切れ目」とも言うじゃないか。大昔から、お金が、人と人の関係を構築してきたのだ。母がよく言っていた。
 ......友情だけじゃない。夫婦、親子、親族も、結局はお金が仲を取り持っているの。だから、割り切りなさい。損をしたなんて思ってはだめ。「私なんかと付き合ってくれてありがとう。楽しい時間をありがとう」という感謝の気持ちを込めて、お金を出すのよ。そしたら、あなたもあなたの友だちも気持ちがいいでしょう?
 そんなことをざっくりと説明すると、マキノさんが呆れかえった顔で言った。
「はあ? バカなんですか?」
 二回り近く年下の人からそんなふうに言われると、むしろ笑ってしまう。
「そうね。バカなのかも、私。でも、私、そういうふうに生きてきたし、これからもそういうふうにしか生きられないと思う」
「千栄子さんみたいな人、なんていうか知ってます?」
「なんていうの?」
「養分」
「ヨウブン?」
「そう、養分です。栄養です」
「ああ、養分。カモってこと?」
「そうです。みんな、言ってますよ。千栄子さんは養分だって」
「あら、そうなの? つまり、それは、みんなの栄養になっているってこと? 嬉しいわ」
「なんで、そこで喜ぶんですか。バカにされてんですよ。利用されているだけなんですよ。それこそ、見下されているんですよ。そこには、友情なんか一ミリも存在してないんですよ」
「そうね。職場の人とは友情は築きにくい。それは、よく承知している」
「なら、なんで、バカみたいに奢るんですか?」
「だから、さっきから言っているでしょう? 円満な人間関係には、お金が必要だって。いい? この世の大概のことは、お金が解決してくれるものなのよ。お金がないと、みんなイライラしちゃう。でも、憂さ晴らしにもお金が必要。お金がないと、ずっとイライラしっぱなしなの。みんなイライラしていたら、職場の雰囲気も最悪でしょう? ヒューマンエラーも発生するでしょう? そしたら、またイライラしちゃう。ほんと、悪循環。前はそんな感じだったの。殺伐としていてね。仕事の効率も低下しっぱなし。だから、私、みんなをカラオケに誘ったのね。奢るからって。そしたら、みんなすっきりした顔になって。仕事のエラーも減ったの。みんなの表情も穏やかになった。だから、私、翌週も誘ったの。その翌週も。職場の雰囲気は劇的に変わったわ。ギスギスした環境で仕事するよりは、ちょっとお金がかかっても、ハッピーな環境で仕事したいでしょう?」
「それは分かりますが、でも、千栄子さんが奢るのはまた別の話だと思いますよ。そもそも、そういう息抜きを提供するのは、会社側であって、上司の仕事だと思います」
「あの上司だって、カツカツなのよ。だって、管理職ってことで、残業代出てないんですって。平(ひら)のときより給料が下がった、会社に騙された......が口癖のような人よ? そんな人になにができるの?」
「だからといって、千栄子さんがやることじゃないと思います。だって、千栄子さんだって、私たちと同じ、パートじゃないですか。......っていうか、千栄子さんって、ほんと、変わってますよね? なんか話を聞いていると、ますます変わっている。もしかして、宗教とかしてるんですか?」
「宗教?」
「ほら、宗教の人って、やたらと自己犠牲を払うじゃないですか。使命だとかいって。滅私奉公っていうんですか?」
「まさか。私は、無宗教よ。まあ、近所の神社にときどきお参りには行くけれど。そのぐらいの宗教心しかないわ」
「なら、なんで? なんでそこまでするんですか?」
「たぶん、面倒なことが嫌いだからじゃないかな」
 ふいに飛び出した言葉に、千栄子自身が驚いた。
 そうか。自分は、面倒を避けるために、幼稚園の頃から課金を惜しまなかったんだ。クレヨンセットをあの子に貸したのだって、あの子にかかわったら色々と面倒だから、みかじめ料としてクレヨンをあげたに違いない。あの子は、なんでもかんでも欲しがって、それが欲しいと暴れることでみんなから敬遠されていた。あの子から私物を守るために、何人もが怪我をさせられた。そんな面倒なことはまっぴらだ。だから、私は、すんなりとクレヨンセットをあの子にあげたんだ。
 小学生の頃も中学生の頃も高校生の頃も大学生の頃も、すべて、面倒を回避するために、私は課金を続けていたに違いない。
 そのときは、「友情」の代償と考えていたけれど、違う。私は、自分を守るために、課金を続けていたんだ!
「さっき、滅私奉公とか言っていたけど、違うわよ」
 千栄子は、すっかり冷めたコーヒーを一口含んだ。
「私ほど、利己的な人間もいないんじゃないかな」
 そうなのだ。私は、利己的なのだ。
「利己的......ですか?」
「そう。あなた、さっき、宗教みたい......とも言っていたでしょう? 宗教にのめり込む信者もまた、利己的なのよ。だって、自分を犠牲にして持てるものをすべて吐き出せば、幸せになれる、天国に行ける......と教えられているだけなんだから。つまり、自分が幸せになりたいばかりに、自己犠牲を払うの。滅私奉公もするのよ。決して、他者の幸せのためなんかじゃない。自分のためなのよ」
「.........」
「私がみんなに奢るのは、自分のためなんだから、あなたは気にしなくていい。同情なんかしなくていいんだからね」
「同情なんかしてませんよ!」
 マキノさんが、テーブルを激しく叩いた。
「ええ、見当はついてましたよ、千栄子さんが、自分のために奢っているのは。自分が気持ちよくなりたいために、奢っているんだろうな......って。でも、奢られたほうの気持ち、分かります? 割と、複雑なんですよ? だって、借りを作るって、惨めじゃないですか。どうしても上下関係ができてしまう。上は千栄子さんで、下は私たちですよ」
「でも、さっきは、私のことを"養分"って」
「そうとでも思わないと、やってられないからですよ。大学時代に教えてもらったんですけどね、女性って、横並び(フラット)な関係を好むんですって。だから、割り勘にすることが多い。一方男性は、上下関係を作ることで安定する。先輩後輩とか上司部下の関係が大好きなんです。その場合は、奢る奢られるというのは効果的です」
「なるほど」
「つまりですね。私たちは、フラットな関係でいたいんですよ。なのに、一方的に千栄子さんは奢り続ける。それが、私たちのプレッシャーになっているの、気づきませんか?」
「......そうなの?」
「そうですよ。奢っているほうの千栄子さんは面倒を回避できて気持ちがいいかもしれませんが、私たちは、ストレスがたまりっぱなしなんです!」
「みんなが、そう言っているの?」
「口には出しませんけどね。間違いなく、思っていると思いますよ」
「.........」
「やだ、泣いているんですか? やめてくださいよ。まるで、私がいじめているようじゃないですか」
「.........」
「だから――」
「.........」
「分かりました。この続きは、また日を改めましょう」
「続き?」
「メアド、聞いてもいいですか?」

波乱万丈な頼子

Synopsisあらすじ

法律事務所で事務職をしている高幡莉々子は仕事の一環で見つけた、ある動画チャンネルに興味を抱く。「頼子」という70代の女が、困窮した生活状況や波乱万丈な人生を語る動画だ。投げ銭だけでも相当儲けているはずなのに、やらせじゃないの? ちょっとした好奇心から莉々子は次第に取り返しの付かない事態に巻き込まれていく・・・・・・。

Profile著者紹介

1964年、宮崎県生まれ。多摩芸術学園卒業。2005年『孤虫症』でメフィスト賞を受賞し、デビュー。11年に文庫化された『殺人鬼フジコの衝動』がベストセラーに。他の著書に『坂の上の赤い屋根』『さっちゃんは、なぜ死んだのか?』『ノストラダムス・エイジ』など多数。

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