波乱万丈な頼子第二十二回
六章
22
大学に進学すると、友情にはますますお金がかかることになる。というか、課金が発生しない友だち付き合いなど存在しなかった。
千栄子はテニスサークルに所属していたが、実態はパーティ三昧のサークルで、毎月、数万円のパーティ券の販売ノルマを課されていた。要領のいい子はカモを見つけては券を売りさばくことができたが、千栄子にはそんなスキルはなく、毎回、自腹を切らされた。
その額、四年間で三百万円は軽く超える。大学生にとっては、かなり痛い出費だ。バイトをいくつも掛け持ちしてなんとか支払ったが、そこまでしたというのに、友情は育たなかった。パーティ券の代金を上納したときだけは「わー、すごい! お疲れ様!」と歓迎されたが、それだけだった。
大学を卒業したあとも同じようなことが続いた。友情を続けるために、毎回課金が発生する。飲み会、ランチ、冠婚葬祭......そのたびに、お金が飛んでいった。特に、誕生日と結婚式と不幸が重なる月は、出費もかさんだ。家計が苦しいと泣きついてきた知人に、十万円を貸したことがあったが、それは未だに戻ってきていない。その子が、突然、姿をくらましたからだ。
それを母に言うと、「貸したお金はあげたと思いなさい。お金の貸し借りは、友情を壊すものだから」と、逆に諭された。
そんな母も、友情のために、課金を欠かさなかった。そのせいか、母の周りには、母の金払いのよさに引き寄せられた亡者ばかりが集まっていた。
この歳になって、千栄子は思う。
友情や愛情は、結局、金なのだ。ゲームと同じだ。より楽しむためには、課金は必須なのだ。
そう割り切ってはきたが。
五十代後半になって、いよいよ老後のことを考えるようになった。このままでは、あと十年後には無一文になってしまう。
一度、ファイナンシャルプランナーに相談したことがある。すると、「このままでは十年ももちませんね。家計の見直しが早急に必要です」と。
節約しなくちゃ。断捨離しなくちゃ。
+
「千栄子さんは、歌わないんですか?」
隣に座るマキノさんに声をかけられた。
「え?」
千栄子は手拍子をやめて、マキノさんのほうを見た。
職場近くのカラオケ屋。週に一回はここに集まるのが恒例になっている。
「千栄子さん、いつもそうですよね。どうして歌わないんですか?」
「私、下手だから」
「みんなだって、下手じゃないですか。今歌っているミツヤさんなんて、まるでジャイアンのリサイタルですよ」
「そんなことないわよ。迫力があって、私、ミツヤさんの歌、好きよ」
「出た、偽善」
え? 偽善? 偽善って言った?
マキノさんは、職場の中では最も新人で最年少で......といっても、アラフォーだが、それでも、この場では「若者」であることには間違いなかった。そのせいか、時々、反抗期の子どものような毒舌を吐くことがある。その無礼さが理由で職場に緊張が走ることもあるが、「まあ、若いんだから大目に見ましょう」と最年長のミツヤさんが鶴の一声でまるくおさめる。そうやってミツヤさんに助けてもらっていることを知ってか知らずか、「ジャイアンのリサイタル」呼ばわり。しかも、自分に至っては偽善者呼ばわりされて、千栄子は少々、表情を曇らせた。
「もしかして、怒りました?」
その質問に黙っていると、
「いいんですよ。怒っても。っていうか、怒らないほうがおかしい。だって、千栄子さん、みんなにATM扱いされているじゃないですか。ここの料金だって、結局、千栄子さんが払うんでしょう? いつものように」
「ううん、違うのよ。私、ただ、立て替えているだけで」
「立て替えた分、みんなからもらってます?」
「.........」
「もらってませんよね? だって、私も払ったことないですから。ミツヤさんたちが言うんですよ。千栄子さんが好きで払っているんだから、私たちは払う必要はないんだって」
「.........」
「なんで、そんなことするんですか?」
その質問が発せられたとき、ミツヤさんの歌がようやく終わった。彼女の十八番の『赤いスイートピー』。それは原曲から遠く離れたものだったが、拍手は欠かせない。
もうかれこれ、三時間になるだろうか。テーブルには所狭しと料理が並べられ、今日も軽く二万円はいくのだろう。ここにいるメンバーは全員で八人。その数で割れば一人頭二千五百円だが、今日も誰ひとり、財布を取り出す者はいないのだろう。千栄子を除いては。
「千栄子さん、今日、このあと、お時間ありますか?」
マキノさんが、他のメンバーに気づかれないように耳元で囁いた。と、同時に、スマートフォンに着信。ショートメールが届いている。差出人は、目の前にいるマキノさんだ。
『このあと、二人でお話ししませんか? 駅の近くに「ロダン」という名前の昭和レトロな喫茶店があるんです。本屋の右隣にある路地、分かりますか? そこを入ったところにあります。三十分後、お待ちしています』
+
「やっぱり、今日も、千栄子さんが支払いましたね」
カラオケ屋で解散し、それから三十分後、千栄子は『ロダン』にいる。昭和のテレビドラマに出てくるような雰囲気の喫茶店だったが、よくよく見ると、扉も床も照明も新品だ。あえてレトロ風にまとめた新しい店なのだろう。実際、このあたりはよく通るが、こんな店、今まで知らなかった。
「ここ、いつできたのかしら。最近よね?」
千栄子はマキノさんの質問をはぐらかすように、メニューを開いた。
「ほら、だって、メニューも新しいもの。できたのは、一ヵ月前? それとも二ヵ月前?」
「一ヵ月半前です」
「あー、やっぱり。今、昭和レトロとか流行っているっていうけど、本当なのね。......昭和世代の私からしたら、あんまりピンとこないんだけど」
「千栄子さんは、昭和何年生まれですか?」
「私は、東京オリンピックが開催された年。昭和三十九年」
「昭和三十九年といえば――」
「一九六四年。マキノさんは?」
「私は、一九八四年です」
「昭和五十九年か! なら、そのあとすぐに平成になっちゃうから、昭和の記憶はあまりないわね」
「そうですね。昭和生まれですけど、どちらかというと、平成世代ですね」
「で、なに頼む? 好きなの頼んでいいからね」
「は? もちろん、好きなの頼みますよ。自分で払うんですから。っていうか、そういうのやめてもらえませんか?」
「うん?」
「だから、奢り癖」
「癖って......」
「ミツヤさんが言っていたんですよ。千栄子さんが払いたがっているから、私たちは払わないって。はじめ、それを聞いたとき、ぞっとしたんですよ。こんないい歳になっても、パシリとか金蔓とか作るんだ......って。私たち世代はイジメ問題とか盛んに報じられましたからね、そういうの、敏感なんですよ。私のクラスにもいました。金蔓くん、パシリくんが。私も知らないうちに、金蔓くんが買ってきたものを食べちゃってましたけど。その後、その子が自殺しちゃったんです。自分のお小遣いだけでは足らず、家のお金にまで手を出して、その額、百万円。それを家族に知られるのを恐れて、首をつってしまったんです。その話を聞いて、知らなかったとはいえ、自分も金蔓くんを自殺に追い込んだ一人だったんだって。めちゃめちゃ、トラウマなんです」
言いながら、マキノさんは茶封筒を取り出した。そして、それを千栄子の前に置いた。
「なに、これ?」
「今まで、千栄子さんが立て替えてくれた私の分のお金です」
「は?」
「ミツヤさんたちがいる前では、どうしてもお金を出しづらくて。ついつい、ずるずると流れに任せてしまったんですが、やっぱり、それだと、また後悔しちゃうと思って」
「後悔? いやだ。なにを心配しているの? 私、自殺なんてしないわよ?」
言いながら、千栄子は茶封筒をマキノさんに押し返した。
Synopsisあらすじ
法律事務所で事務職をしている高幡莉々子は仕事の一環で見つけた、ある動画チャンネルに興味を抱く。「頼子」という70代の女が、困窮した生活状況や波乱万丈な人生を語る動画だ。投げ銭だけでも相当儲けているはずなのに、やらせじゃないの? ちょっとした好奇心から莉々子は次第に取り返しの付かない事態に巻き込まれていく・・・・・・。
Profile著者紹介
1964年、宮崎県生まれ。多摩芸術学園卒業。2005年『孤虫症』でメフィスト賞を受賞し、デビュー。11年に文庫化された『殺人鬼フジコの衝動』がベストセラーに。他の著書に『坂の上の赤い屋根』『さっちゃんは、なぜ死んだのか?』『ノストラダムス・エイジ』など多数。
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