波乱万丈な頼子第二十回

五章

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「あの、すみません......おはなしを......きいて......」
 一人のみすぼらしい女性が、蚊の鳴くような声でなにかぶつぶつ言いながら、ドアを開けた。その姿に、ノリカの思考は一瞬、凍り付く。というのも、さっきまで、ラジオで怪談を聞いていたからだ。
 その女性は、まさに、怪談に出てくる幽霊のようだった。ひょろっとした痩型、白髪交じりの長い髪で顔を半分隠している。黒いとっくりセーターに黒いパンツ。ドアを押すその手は、枯れ木のようだ。
「あらら、ごめんなさいね」
 ノリカは、わざと大袈裟に声を上げた。
「今は、休憩時間なんですよ」
「......いえ、......客ではなくて......ちょっと、きいてほしいことがありまして......」
 聞いてほしいこと? もしかして、宗教の勧誘とか? 
 あー、なんかそういう感じがするわ、カルト教団にいそうな感じ。
「ごめんなさい、うち、そういうの、興味ないんで」
「いえ、ちがうんです......わたし、人をさがしているんです......」
 人捜し? 
「......この辺にヨリコっていう名前の女性が住んでいませんか?」
 ヨリコ?
「すぐそこに、湘南マリーナコーポというアパートがありますよね?」
「ええ、ありますね」
「そこに住んでいるはずなのですが......」
「ヨリコっていうぐらいだから、その人は女性の方?」
「......はい」
「だったら、なにかの間違いじゃないかしら。あのアパート、女性は住んでいないはずよ」
「......そうなんですか?」
「男性で、しかも単身者ばかりだって聞いた」
「......そうなんですか。......そうなんで――」
 女性の声がさらに小さくなり、そして、ついには消えた。見ると、女性がドアにしがみつく形で、床にへたり込んでいる。
「ちょっと、あなた、大丈夫?」
「ごめんなさい、ちょっと、低血糖かもしれません。......朝からなにも食べてないんで......」
「あら、大変。救急車呼びますか?」
「いえ、大丈夫です。......あの、申し訳ありませんが、なにか食べるもの、いただけませんか? お金ならありますので」
 女性が、メニューボードを指さしながら息も絶え絶えに言った。
「......ナポリタン......オムライス......ミックスサンド......クリームソーダ......プリン......」
「わかった、わかった、なにか作ってあげるから、ちょっと待ってて」
「なんでもいいから、はやく......」
「わかった、わかった」

   +

「で、あたし、チキンカレーを出してあげたの。一番早く出せるのがそれだったから。レトルトパックを温めるだけだし」
 え、これ、レトルトだったの? 莉々子は、食べかけのチキンカレーを改めて見た。
「ただのレトルトじゃないわよ。鹿児島からお取り寄せしているんだから。チキンはチキンでも、薩摩のブランド鶏よ」
「そんなことより」
 ノリカママのどや顔に水を差したのは、自称不動産関係者のおじさんだった。
「そんなことより、その女性は髪が長かったんですか?」
「うん、そう。胸ぐらいまであった。しかも、ところどころ白髪でね、なんか、落ち武者って感じだったわ」
「わたしに声をかけてきたYouTuberは、もしかしたらその女性かもしれないな」
「でも、YouTuberだったんでしょう? あたしが会った女性は、カメラなんかは持ってなかったけど」
「もしかしたら、YouTuberというのは、咄嗟の嘘だった可能性もありますね」
 莉々子が言うと、
「でも、咄嗟に取り繕うのに、YouTuberなんて言う? 若い子ならともかく、シニアの女性が」と、ママが疑問を呈した。
「今のシニアは、割とYouTubeとか見てますよ。ママは見てませんか?」
「あたしは、見ないかな、もっぱら、ラジオ。YouTuberなんて言葉も、最近まで知らなかったぐらいだからね。......あら、もうこんな時間。ラストオーダーの時間だわ」
 ママが、これ見よがしに壁の時計を見た。
 午後二時半。
 え、いつの間に、こんな時間に?
「ラストオーダー、なにか頼みます?」
「いいえ、結構です。......というか、私、もう行かなくちゃ。......お勘定、お願いします」

 と、店は出てみたが。
 このまま事務所に戻るのは、なにか気が重い。藤村いわく、明石先生はご機嫌斜めだという。その明石先生のお使いも、期待通りの成果を出すことはできなかった。
「はぁ。......いやだ、いやだ」と、大船駅まで来たときだった。
 着信音が鳴り響く。
 表示を見ると、母からの電話だった。受話器アイコンをタップしてスマートフォンを耳に当てると、
『リリちゃん! 助けて!』
 という、母の泣き声。鷲掴みにされたように、心臓がきゅっとなる。
「ママ、どうしたの?」
『なんだかよくわからないけど、ワタシ、狙われているみたいなの!』
「は?」
『昨日からなんかおかしかったのよ。固定電話に変な電話がいくつもかかってきたり』
「固定電話に?」
『そう。固定電話なんて、ここ数年、ほとんど使ったことなかったのに、昨日一日で、十回はベルが鳴ったわ。しかも、全部、イタズラ電話』
「だから、固定電話なんか解約したほうがいいって言ったのよ」
『うん、する。解約する。でも、固定電話だけじゃないのよ。今日なんかね、出前が間違って届いたのよ、三回も!』
「三回も?」
『なにかの間違いじゃないですか? 住所、間違ってませんか?って言っても、間違ってないって。確かに、ここの住所だって。だから、仕方なく、お金、払っちゃったんだけど』
「お金、払っちゃったの?」
『だって、仕方ないじゃない。配達してくれた子、みんな半泣きだったんだもん。お金もらわないと困るって。だから――』
「そういう場合、お金なんて払っちゃダメだよ」
『でも、お寿司とハンバーガーとイタリアンなのよ。なんか、美味しそう......って思っちゃって。あ、だから、今日の夕飯は、お寿司とハンバーガーとイタリアンでいいかしら?』
「ママ、なに、呑気なことを言っているのよ」
『呑気じゃないわよ、さっきなんて、壁にペンキで落書きまでされたんだから!』
「え?」
『死ね......って。詐欺師は出ていけ......って』
「マジで?」
『マジよ! だから、ママ、もう怖くて、怖くて。外にも出られない感じなの。だから、リリちゃん、早く帰ってきて!』
「うん、わかった、すぐ、帰る。っていっても、あと二時間近くかかると思うけど」
『ね、警察とかに通報したほうがいいと思う?』
「うん、それがいいかも」
『でも、ワタシ、警察とか苦手なのよ。うまく説明できないかも』
「じゃ、私のほうから通報してみる。......で、他には? 他にはなにか変なことはなかった?」
『さっきね、古いお友達のタナカさんから、何年かぶりにメールをもらったんだけど。タナカさんって、覚えている? ほら、あなたの小学校の同級生のお母さんで、お隣に住んでた――』
「タナカさんがどうしたって?」
『タナカさんがね、メールで、変なことを言うのよ。炎上しているけど、どうしたの?って』
「炎上?」
『ネットで大炎上してるって。あなたはヨリコなの?って』
「え?」
 声が裏返る。
 まさか。四代目波乱万丈な頼子が、ママだってバレたか?
 ここまで考えて、莉々子の思考は完全にストップした。

波乱万丈な頼子

Synopsisあらすじ

法律事務所で事務職をしている高幡莉々子は仕事の一環で見つけた、ある動画チャンネルに興味を抱く。「頼子」という70代の女が、困窮した生活状況や波乱万丈な人生を語る動画だ。投げ銭だけでも相当儲けているはずなのに、やらせじゃないの? ちょっとした好奇心から莉々子は次第に取り返しの付かない事態に巻き込まれていく・・・・・・。

Profile著者紹介

1964年、宮崎県生まれ。多摩芸術学園卒業。2005年『孤虫症』でメフィスト賞を受賞し、デビュー。11年に文庫化された『殺人鬼フジコの衝動』がベストセラーに。他の著書に『坂の上の赤い屋根』『さっちゃんは、なぜ死んだのか?』『ノストラダムス・エイジ』など多数。

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