波乱万丈な頼子第十九回
五章
19
アパート近くの喫茶店で、昼食のチキンカレーを食べていたときだった。莉々子のスマートフォンが騒々しく鳴った。
表示を見ると、藤村からの電話だった。
『高幡さん、今、どこですか?』
「鎌倉の大船。明石先生のお使いで」
『ああ、例の件ですね』
「でも、なんかちょっと変な具合になっちゃって。どう先生に報告しようか、考えていたところ」
『そんなことより、頼子さんの件で分かったことが。ほら、秩父で遺体が遺棄されていた頼子さんの件ですよ』
「え?」
『僕、気になって、あれから隙間時間にいろいろと調べてみたんですけど――』
隣の席に座る背広姿のおじさんが、莉々子のほうをじろりと睨み付けてきた。
「あ、ごめん。今、食事中なんだ。......できたら、ショートメールでもらえる?」
それから数分後、藤村からショートメールが届いた。
それは五つに分割するほどの、長文メールだった。
『大塚頼子さんのフェイスブックのアカウントが見つかったんです。僕が見つけたわけではなくて、匿名掲示板に集う連中が掘りあてたんですけどね。遺体が発見されたときに、匿名掲示板にスレッドが立ったようで、それが過去ログに残っていたんです。
大塚頼子さんのフェイスブックによると、大塚さんは鎌倉市に在住していたようです』
「え、鎌倉市!?」
莉々子は、チキンカレーを食べる手を止めた。まさに、今、自分がいる場所だ。
これは、偶然?
莉々子は、メールの続きに視線を走らせた。
『鎌倉にあるアパートに住んでいたようです。そのアパートの部屋で映された画像がいくつかアップされていたのですが、どうやら、「波乱万丈な頼子」の初期の動画に使用されていた部屋にとても似ているんです。いや、似ているというか、たぶん、同じ部屋だと思います。つまり、大塚頼子さんは、初代、波乱万丈な頼子であると断言できます』
「やっぱり!」
莉々子は、ぱんとテーブルを叩いた。隣に座るおじさんが、再び不穏な視線をよこす。
『フェイスブックによると、夫らしき人物がいたようです。もしかしたら、愛人かもしれません。大塚頼子さんが勝手に"夫"と呼んでいただけで。というのも、大塚頼子さんには戸籍上の夫はなく、さらに大塚頼子さんのご遺体の引き取り手もありませんでした。結局、発見された秩父で行政が埋葬しました。この夫もどき、なにか臭いますね......』
確かに、臭う。莉々子は、チキンカレーをスプーンでかき集めると、口に詰め込んだ。
『ただ、そのフェイスブックは、十年ほど前から更新がストップしています。なので、もしかしたら夫は亡くなっている可能性もあります。いずれにしても、フェイスブックの当該アカウントのアドレス、貼り付けておきますね。お暇なときにでも、アクセスしてみてください。
追伸。明石先生のご機嫌がすこぶる悪いです。お気をつけて』
「明石先生、ご機嫌斜めか......。マジか......」
莉々子は、カレー色に染まった口元を紙ナプキンで拭いながら、ため息を吐き出した。
うん? またまた横から視線。
見ると、おじさんがこちらをジト目で睨んでいる。
え? なに? そりゃ、さっきは騒がしい音を立ててしまったかもしれないけど、そこまで睨まれる覚えはないんだけど。睨み返してやろうかと姿勢を変えたところで、
「ね、あなた」
と、おじさんが声をかけてきた。
ぎょっとして、背筋が伸びる。
怖い、怖い、なに、このおじさん......と、視線を泳がせていると、
「ね、あなた。不動産屋かなにか?」
......?
「いえね、あなた、さっき、湘南マリーナコーポの前をうろついてたでしょう? 郵便受けの中をチェックしていたり、画像を撮ったり」
......え? 見られてた?
莉々子の腋に、大量の汗が吹き出す。
「だから、もしかして、同業者かな......って」
同業者?
「実は、わたし、ある不動産会社に依頼されて、この辺をいろいろと調べているんですよ。だから、あなたももしかして......と」
「いいえ、私は......」
「いいですよ、隠さなくても」
「いいえ、本当に、私、不動産屋でも関係者でもないんです」
「なら、なんで、うろついていたんです?」
「いや、それは――」
本当のことを言ってもいいが、そしたら説明に相当な時間がかかる。というか、湘南マリーナコーポにかかわったそもそもの動機はただの"好奇心"だ。その好奇心をどう説明すればいいのかわからない。自分でもよくわからないからだ。
「YouTuberの――」
ここまで言いかけて、莉々子は言葉を呑み込んだ。
「YouTuber?」
しかし、おじさんは食いついてきた。
「へー、あなたもそうなんだ」
「は?」
「あなたも、YouTuberなんだ」
「いえいえ、私は......」
「先日も、YouTuberを自称していた女性が、あのアパートの周りをうろついていたな。なに、事件でもあったの? パトカーが停まっていたり、規制線がはられていたりしたから、気になってはいたんだよ」
「孤独死が――」
「なんだ、孤独死か。てっきり、殺人とかあったのかなって思ってたんだけど。......あれ、ちょっと待てよ。あのYouTuberの女性と会ったのは、半月も前のことだ。そしてパトカーが停まっていたのは先週だ。つまり、あのYouTuberは、事件の前からうろついていたことになるな」
「事件の前から?」
「うん、そう。間違いない。わたし、いろいろと聞かれたんだよ。このアパートになんとかって人が住んでませんか?とか」
「なんとか?」
「えっと。......あー、そうそう、ヨリコとか、そんな名前だった」
「頼子!」
「なに、どうしたの?」
「いえ、......孤独死していたのが、頼子さんという名前だったもので」
「え? そうなの?」おじさんは腕を組むと、「うーん」と短く唸った。
「おかしな話よね」
話に割り込んできたのは、この喫茶店の主の女性だった。たぶん、ノリカという名前なのだろう。というのも、この店の名前が、「ノリカ」だからだ。
ここは、今の時間は喫茶店だが、夜になるとスナックになるらしい。看板にそのようなことが書かれていた。そのせいか、女性のファッションは絵に描いたようなスナックのママのそれで、金と赤に染めた髪は、まるでオウムのようだ。
ノリカママが、カウンターから身を乗り出しながら、
「あのアパート、単身者の男性しか住んでないはずよ。前に、あのアパートの大家さんの中曽根さんがそんなことを言っていたもの」
「そうなんですか?」
莉々子は腰を浮かせた。「私も大家さんから聞いたのですが、あのアパートには、六十歳以上の人は住んでいないって」
「つまり、六十歳未満の独身男性しか住んでいないということですか?」
おじさんが、腕を組みながら会話に加わる。
「でも、亡くなっていたのは、七十代の女性だったんですよ」
莉々子も、腕を組んだ。「大家さんいわく、実際に借りていたのは四十代の男性だったと。なのに、その人は行方知れず、残されたのは、七十代女性の遺体」
「あら、ミステリードラマみたい」
ママが、爛々と目を輝かせた。そして、
「ここだけの話、警察がうちにも聞き込みに来てね。だからあたし、警察にいろいろと情報を提供したのよ。高齢の女性が、ときどきうちに飲みに来てましたよ、その人はヨリコって名前で、そういえば、歯がガタガタで、この近くの歯医者に通ってましたよ......って」
歯医者? そういえば、歯の治療痕がきっかけで、身元が判明したんだっけ。
「でもね、不思議なのよ。そのヨリコって人は、他に自宅があるような感じだった。横須賀線で通っている......って言っていた気がするんだけど」
通っていた? やっぱり、その頼子さんは雇われた三代目ってことなのか。あのアパートには、動画撮影のために来ていただけなんだろうか。
「でも、もっと不思議なことがあってね。事件が起きるもっと前に、違う高齢女性がここに来て、『この辺にヨリコっていう名前の女性が住んでいませんか?』って、訪ねてきたのよ」
Synopsisあらすじ
法律事務所で事務職をしている高幡莉々子は仕事の一環で見つけた、ある動画チャンネルに興味を抱く。「頼子」という70代の女が、困窮した生活状況や波乱万丈な人生を語る動画だ。投げ銭だけでも相当儲けているはずなのに、やらせじゃないの? ちょっとした好奇心から莉々子は次第に取り返しの付かない事態に巻き込まれていく・・・・・・。
Profile著者紹介
1964年、宮崎県生まれ。多摩芸術学園卒業。2005年『孤虫症』でメフィスト賞を受賞し、デビュー。11年に文庫化された『殺人鬼フジコの衝動』がベストセラーに。他の著書に『坂の上の赤い屋根』『さっちゃんは、なぜ死んだのか?』『ノストラダムス・エイジ』など多数。
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