波乱万丈な頼子第十五回
四章
15
「あれ、リリちゃん、どうしたの? 今日は帰りが早いじゃない」
母親が、いつものエプロン姿でこちらを振り返った。その手には泡立て器。
「パンケーキを焼こうと思って。食べるでしょう?」
そんな気分ではないけれど、「うん、食べる」と莉々子は返した。
「え? どうしたの?」
母が、また振り返った。「リリちゃん、今日は素直だね。いつもなら、太るから食べない!とか、反抗するのに。でも、結局は食べるのよね。リリちゃんは昔からそう。一度は拒否するくせに、なんだかんだ、ママの言うことをきいてくれる」
まったくその通りだ。最終的にはママには逆らえない。
父親もそうだったな。文句を言いながらも、ママのペースにいつでも合わせていた。
ママには、そういう不思議な力がある。抗っても抗っても、結局は、ママの思惑に搦め捕られるのだ。
「姉さんは、蜘蛛女だからね」
叔父の言葉を思い出す。ママの一番下の弟は、十歳離れているせいか極度のシスコンだった。姉さん姉さんと、ことあるごとに甘えてきた。そう思っていたが、叔父の言い分は違った。「違うよ。姉さんが、ぼくを甘やかすんだ。ぼくは、それに甘んじているだけ」
ちなみに、ママは五人きょうだいの長女だ。下には、二人の妹と二人の弟がいる。そのうち三人が若くして命を落とし、残ったのは叔父だけだった。そのせいか、ママは叔父を溺愛していた。
「まあ、ぼくたちは施設育ちだからね。お互いがお互いに依存しながら生きてきたんだよ」
ママたちの母親、莉々子にとっては祖母にあたる人は今でいうシングルマザーで、五人の子供を置いて、行方をくらましたのだという。ネグレクトというやつだ。五人は施設に引き取られたが、そのうち三人が亡くなり、残ったのが、ママと叔父だったのだ。
「昔の施設は劣悪だったからね。虐待も日常茶飯事だったんだよ。でも、姉さんは、ぼくだけは必死で守ってくれたんだよ。大学も出してくれたしね。だから、ぼくは、姉さんには一生、頭が上がらないんだ」
そんな叔父も、数年前に亡くなった。癌だった。
しかし、なんだ。こうやって考えると、ママもママで、割と波乱万丈な人生だな。
なにしろ、高校を中退して弟とともに施設を出たあとは、昼は喫茶店、夜はスナックで働いて、弟を育て上げたのだという。喫茶店で働いていたときに常連客だった十五歳年上の公務員......つまりパパに見初められて結婚。そして、私が生まれた。
パパは昔ながらの人で、ママには専業主婦でいることを望んだ。ママもそれを望んだ。ママにとって、この家はようやく手に入れたスイートホーム。パパが浮気をしても手を上げても完璧な料理を拵えて、パパを楽しませた。
ママにとって料理は、それこそ自分の居場所を守り抜くための手段だったのだろう。その証拠に、パパは必ずママのもとに戻ってきたし、最終的には、腑抜けにされた。そう、叔父のように徹底的に甘やかされ、下着ですら、ママの意見がなければ選べない有様だった。
「まさに、蜘蛛女だわ」
莉々子が呟くと、
「え? なにか言った?」
と、ママが大皿をテーブルにのせる。
大皿には、ふわふわもこもこのパンケーキ。そしてたっぷりの生クリームにたっぷりのメイプルシロップ。
唾液が口の中いっぱいに広がる。
莉々子はそれまでの憂いをすべて忘れて、ナイフとフォークを手にした。
「うそでしょ!」
スマートフォン片手に、莉々子は叫んだ。
すっかり平らげたパンケーキ、大皿にはシロップの名残すらない。
「どうしたの?」
ママがハーブティーを淹れながら、怪訝そうな顔でこちらを見る。
「......ううん、なんでもない」
言ってはみたものの、手の震えが止まらない。
「どうしたの? やっぱり、リリちゃん、なんか様子が変よ?」
「うん、ちょっと食べ過ぎたかな。......もう寝るわ」
「夕飯は?」
「いい」......つか、パンケーキ三枚食べたんだよ? さらに夕飯? 無理無理。
「今日は、ビーフストロガノフにしたんだけど」
え? そういえば、さっきから、いい匂い。
......いやいや、それどころじゃない。
「私、もう寝るから!」と、莉々子はスマートフォンを隠すように立ち上がると、自分の部屋へと逃げ込んだ。
やばい、やばい、やばい......。
莉々子は、徒競走を走り終えたばかりの小学生のように、肩で息をしながらへたり込んだ。
スマートフォンに表示されているのは、例の、波乱万丈な頼子。
昨夜、更新されたばかりなのに、また新しい動画がアップされた。
昨夜の『余命宣告されました』というタイトルの動画が大反響だったため、続きを緊急アップしたという。というのも、『余命宣告されました』というタイトルだったにもかかわらず、肝心な診断結果が紹介されていなかったのだ。この手の詐欺まがいの釣りサムネールはよくあるが、でも、さすがに『余命宣告』と言いながら、それに触れずに終わり......というのは悪質だ。さすがの信者たちも「どういうことなのか?」と騒ぎ出したようだった。
+
わかりづらい動画で、みなさまに混乱を招いたこと、本当に申し訳なく思います。
『余命宣告されました』というのは、本当なのです。でも、その詳細を皆様にお知らせしようかどうか迷っていたのも確かなんです。みなさまに余計な心配をさせたくない。でも、余命宣告されたことを誰かと共有したい。そんな葛藤が、あのような中途半端な動画を生み出してしまいました。本当にごめんなさい。
今日は、これ以上、誤解を生まないために、正直にすべてさらけだそうと思います。
本日、検査結果を聞きに行きました。
やはり、癌だそうです。しかも、ステージ4。ステージ4というのは、他にも転移しているということらしいです。そして、極めて治療は難しいと。お医者さんからはこう告げられました。
「余命は半年です」
まっさきに考えたのが、「ああ、楽しみにしていた大河ドラマ、最終回まで見られないんだな」ってことでした。
お医者さんはこうも言いました。
「なにもしなかったら、余命は半年です。でも、最新の治療をすれば、一年は生きられるかもしれません。運がよければ、寛解も夢ではない」
光明が差しました。せめて、一年、生きたい。大河ドラマの最終回を見たい。
「でも、最新の治療にはお金がかかります。保険適用されないからです。数百万円、場合によっては数千万円が必要になってくるでしょう」
そんなの、無理です。
ああ、やっぱり、命もお金次第なんですね。
お金がある人は生きられるけれど、ない人は死ねってことなんです。
ああ、この世はなんて、無慈悲なんでしょう?
そこで、みなさまにお願いがあります。
どうか、私を助けていただけないでしょうか?
せめて、一年、生かしてくれないでしょうか。一年あれば、大河ドラマのラストを見ることも、やり残したことを実践することもできます。それ以上は望みません。私に、一年、ください。
クラウドファンディングを立ち上げました。概要欄に貼っておきますので、一円でもご協力いただけたら幸いです。
+
「マジか、マジか! クラファン、はじめちゃったよ!」
莉々子は頭をかきむしった。
この動画は、明らかに「詐欺」だ。なにしろ、動画に映っているのは、私のママだ!
ママはぴんぴんしている。健康そのものだ。今日だって、パンケーキを四枚、平らげた。
あああ、どうしよう、どうしよう? このままでは、ママが詐欺師ってことになってしまう。どうしよう!?
藁にもすがる思いで、莉々子は藤村にショートメールを送ってみた。
『頼子のやつ、クラファンはじめちゃいました!』
Synopsisあらすじ
法律事務所で事務職をしている高幡莉々子は仕事の一環で見つけた、ある動画チャンネルに興味を抱く。「頼子」という70代の女が、困窮した生活状況や波乱万丈な人生を語る動画だ。投げ銭だけでも相当儲けているはずなのに、やらせじゃないの? ちょっとした好奇心から莉々子は次第に取り返しの付かない事態に巻き込まれていく・・・・・・。
Profile著者紹介
1964年、宮崎県生まれ。多摩芸術学園卒業。2005年『孤虫症』でメフィスト賞を受賞し、デビュー。11年に文庫化された『殺人鬼フジコの衝動』がベストセラーに。他の著書に『坂の上の赤い屋根』『さっちゃんは、なぜ死んだのか?』『ノストラダムス・エイジ』など多数。
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