波乱万丈な頼子第四回
一章
4
「嘘でしょう!」
千栄子は、贔屓の動画を見て思わず叫んだ。
「今回で終わりなの?」
波乱万丈な頼子の動画は、千栄子にとってはなくてはならないものだった。
朝一でそれを見て、一日の活力をもらう。
一日の終わりにそれを見て、一日の疲れを癒やす。
そんなルーティンを続けているうちに、生きる希望が出てきた。
生活に張りを与えてくれた頼子さんになにかお返しをしたい。そう思い、せっせと投げ銭をしているうちに、それが快感になっていった。投げ銭をすればするほど、自分の中の澱が浄化されていくような気分にもなっていた。
これが、今流行りの「推し活」というやつなのかもしれない。
誰かを応援して、そして
その生き甲斐を突然、奪われて、千栄子は冬眠前の熊のように無闇に部屋を歩き回った。
「信じられない。なんで? なんで頼子さんは動画配信を終了してしまうの? 息子にバレたから? じゃ、息子が悪いの?」
そんな疑問をいくつも浮かべながら、千栄子はふたたび、パソコンの前に座った。
『重大なお知らせ』というタイトルの最新動画を改めて再生してみる。これで十二回目だ。
「うん?」
それまでは、頼子さんの手元とテロップばかり注視していたが、ふと、キッチン向こうの部屋の窓が視界に入った。
レースのカーテンが揺れている。その隙間からぼんやり見えるのは――
「これって、もしかして? 大船観音?」
そうだ。大船観音だ。......なんで、今まで気がつかなかったんだろう。
そうか、なら、頼子さんは大船あたりにお住まいってこと?
うちから近いじゃない!
千栄子の中に、小さな希望が点灯した。
もしかしたら、頼子さんとすれ違っていたかもしれない。
そう思った途端、片思いの君の姿を追っていた少女時代の高揚感が体中を巡った。
「もっと、情報がないかしら」
千栄子は過去の動画をすべて洗い出し、そこから得られた情報のピースをあれこれと並べてみた。そしてある結論に達した。
「湘南マリーナコーポ。このアパートで間違いない」
湘南マリーナコーポは二階建て、六つの部屋がある。現在、一階と二階それぞれ一部屋ずつ空きがあるので、あとの四つの部屋のどれかが頼子さんの住まいだと思われる。
動画を見る限り、窓から見える風景は二階からのものだ。だとしたら、さらに候補は二部屋に絞られる。
千栄子の興奮は、最高潮に達した。
ああ、この興奮。久しぶりだ。小さい頃、大阪万博に行ったときと同じ興奮だ。
あのときの興奮が、また訪れるなんて!
が、千栄子は、この興奮が長く続かないことも知っている。
興奮のあとの、あの芯から凍るような冷たさ。あの冷たさを知っているから、千栄子はそれまであまり興奮しないように生きてきた。そう、抑制して生きてきたのだ。
でも、もう、止まらない。興奮の車輪は一度動き出したら、自分の力ではどうにもならないのだ。
カーテンの向こう側が、白々と明るい。
朝を迎えてしまったようだ。
千栄子は、早々と「体調が悪いので休ませてください」と職場にメールを送ると、身支度をはじめた。
頼子さんに会いに行かなくちゃ。
そして、お礼を言わなくちゃ。
さらに、動画を止めないでください......とお願いしなくちゃ。
+
私、なにやってんだろう。
莉々子は、湘南マリーナコーポの前に来ていた。
せっかくの休日に、滅多に乗らない東海道線に乗って、大船くんだりまでくるなんて。
我ながら、この旺盛な好奇心には辟易する。
好奇心だけなんだろうか?
きっと、その奥の奥には、小さな
どうってことないおばあちゃんが、動画で荒稼ぎしている。それが、心のどこかで許せないでいる。なんで、赤の他人の成功が、ここまで妬ましいのだろう?
それはきっと、自分自身が不甲斐ないせいだ。報われないせいだ。だから、他の人も、自分と同じぐらい、ちょっと不幸でいてほしい。
「だからって、二時間近くかけて、こんなところまで来る?」
自分は、なにを確認しようとしているのだろう。
頼子という女性の正体?
それとも、頼子という女性が架空であること?
あるいは、頼子という女性が詐欺師だという証拠?
自分は、どういう納得を得たいのだろうか。
それを知るために、こんなところまで来てしまったのかもしれない。
二階へと続く階段横に、郵便受けが見える。全部で六つ。そのうちのふたつが、ガムテープで封印してある。
残り、四つ。
「藤村君が言うには、たぶん、二階に住んでいるはずだから――」
候補は、二つ。
二○一号室と、二○二号室。
「二○一号室は角部屋だろうから、たぶん、これだ」
藤村が言っていた。波乱万丈な頼子の部屋には、西側と南側に窓がある......と。なんでも、その日差しの入り方で見当がつくそうだ。
「このキッチンには、窓がありますよね? たぶん、これは西側。そして、向こう側の部屋の窓は南側。大船観音があの向きで見えるのがその証拠なんです。つまり、この部屋は、角部屋でしょうね」
二○一号室の郵便受けに近づいてみると、チラシやらダイレクトメールやらが大量に詰め込まれている。
「え。もしかして、長期不在? ......じゃ、二○一号室じゃないのかな?」
と首をひねっていると、
「あの」
と声をかけられた。振り返ると、そこにはひとりのおじいちゃんがいた。顔が怖い。
「あなた、どちら様ですか?」
「え?」ああ、どうしよう。そうだ。「私、部屋を探しているんです。で、賃貸情報誌を見ていたらこちらの物件が気になりまして。どんなところかなぁって、見に来たんです」
我ながら、ナイスな切り返し。おじいちゃんの険しい顔が緩んだ。
「ああ、そうですか。なら、お部屋、見ていかれますか?」
「は?」
「わたし、ここの大家でしてね」
「は......」
「女性なら、二階のほうがいいかな。二○三号室が空いていますから、そちらを見てみますか?」
「いえ、その......二○一号室」莉々子は、無意識にその番号を口にした。
「二○一号室?」
「あ、いや。......実は、私のラッキーナンバーなんです。その番号の部屋に住むと運気が上がると言われてまして」
「なるほど、そうですか。......二○一号室」
大家さんは、二○一号室と記された郵便受けをちらりと見た。続けて、
「もう少ししたら、二○一号室、空くかもしれないんですが」
「もう少ししたら?」
「いえ。お約束はできないんですが。なにしろ、今、行方不――」
え? 行方不明って言った?
Synopsisあらすじ
法律事務所で事務職をしている高幡莉々子は仕事の一環で見つけた、ある動画チャンネルに興味を抱く。「頼子」という70代の女が、困窮した生活状況や波乱万丈な人生を語る動画だ。投げ銭だけでも相当儲けているはずなのに、やらせじゃないの? ちょっとした好奇心から莉々子は次第に取り返しの付かない事態に巻き込まれていく・・・・・・。
Profile著者紹介
1964年、宮崎県生まれ。多摩芸術学園卒業。2005年『孤虫症』でメフィスト賞を受賞し、デビュー。11年に文庫化された『殺人鬼フジコの衝動』がベストセラーに。他の著書に『坂の上の赤い屋根』『さっちゃんは、なぜ死んだのか?』『ノストラダムス・エイジ』など多数。
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