もぐら新章 青嵐第二〇回
第1章
6(続き)
僧侶との出会いからここに辿り着くまで十年以上かかったが、少しずつ大人の責任を果たせる自分になっていることが実感でき、充実した。
施設で面倒をみている少年たちすべてが、自分のように社会復帰を果たせるわけではない。何度もドロップアウトして、ついには這い上がれなくなった者も大勢いる。
それでも、一人でも多く、社会復帰するための手助けができれば、と奮闘している。
そこに全力を投じることが、自分に与えられた大人としての責任だと思っていた。
ショルダーバッグからインテリジェントキーを出し、車のロックを外す。ピピッと音がして、ハザードランプが一回光った。
窓向こうにある調理室を照らす。
「ん?」
目の端に人影が映った気がした。
調理室は真っ暗だ。今、職員が使用していることもない。
窓に近づいた。中を覗き込む。人影はない。
「......気のせいか?」
独り言ち、車へ戻ろうとする。
その時、ゴトッと音がした。かすかな音だったが、違和感を覚えた。
再び、窓に近づく。と、異臭も感じた。
鼻をひくひくさせ、臭いを探る。
調理室の方から漂ってくる。少し刺すような臭い......。
ガスか!
飯嶋は目を見開いた。中にいる職員へ連絡すべく、スマートフォンを取り出そうとバッグを見た。
瞬間だった。
後頭部に衝撃を覚えた。
一瞬、視界が飛んだ。上体が大きく前のめりになる。意識がかすかに戻ってきた時、背中に重い衝撃が走った。
そのままつんのめって、地面にダイブする。とっさに手をついたが、力が入らず、顔から落ちた。
鼻頭が曲がり、上前歯が折れた。
背中を踏みつけられた。体を起こせない。顔をねじって、踏みつけている者を見上げた。
「湯沢!」
名前を叫ぶ。
湯沢は飯嶋の顔を踏みつけた。頬が歪み、Oの字に開いた口から血飛沫が噴き出す。
「ちょっとおとなしくしといてもらえませんか? すぐ終わりますから」
「何をする気だ......」
「知らねえほうがいいですよ」
湯沢が冷たく見下ろす。
飯嶋は湯沢の足首をつかんだ。
「何があった? 話してみろ」
「うるせえ!」
つかまれた足を少し上げ、再び顔を踏みつける。
飯嶋の口から血糊と呻きが漏れる。が、飯嶋は手を離さない。
「話してくれ。トラブルがあったなら、私たちが必ず解決してやる。だから、私たちを信じて――」
「うるせえって言ってんだろ!」
湯沢は靴底をぐりぐりとねじった。
飯嶋の奥歯が折れ、どろっとした血とともに歯が地面にこぼれた。
それでもなお、飯嶋は湯沢の足首を強くつかんだ。
「肥溜めに戻るな! 引きずり降ろそうとする者がいるなら逃げろ! 私が手を貸す! おまえを全力で守る!」
「うるせえうるせえうるせえ!」
湯沢は足を強引に上げた。
「適当なこと言ってんじゃねえ! おまえみたいな大人を信じて、こうなっちまったんじゃねえか! おまえだって、自分のことしか考えてねえんだろうが!」
何度も何度も飯嶋を踏みつける。
飯嶋は幾度手を振り払われても、湯沢の足をつかみ直した。
「信じろ! 私を信じろ!」
飯嶋の顔は腫れ上がっていた。何本もの歯が地面に転がっている。それでも湯沢の足に食らいつく。
「なんだよ......。おまえ、なんなんだよ!」
湯沢は踏みつけ続けた。
気がつけば、涙があふれていた。飯嶋を睨みながらも流れる涙を止められない。
やがて、飯嶋の腕が上がらなくなった。
Synopsisあらすじ
最強のトラブルシューター「もぐら」こと影野竜司の死から十年余。生前の父を知らぬ息子・竜星は沖縄で高校生になっていた。
竜司のかつての戦友・楢山とともに、沖縄の暴力団組織「座間味組」や、沖縄の開発利権を狙う東京の「波島組」との戦闘を乗り越えた竜星だったが、親友の安達真昌とともに己の生きる道を模索していた。(もぐら新章『血脈』『波濤』)
そして今、沖縄随一の歓楽街に、不意の真空状態が生じていた。松山・前島エリアに根を張っていた座間味組は解散し、そのシマを手中に収めようとした波島組も壊滅状態。その空隙を狙うように、城間尚亮が、那覇の半グレたちの畏怖の対象だった渡久地巌の名を担ぎ出して、動き出したのであった……。
Profile著者紹介
1964年兵庫県生まれ。文芸誌編集などを経て、小説家へ転向。「もぐら」シリーズ(小社刊)が110万部を突破した。他の著書に「リンクス」シリーズ、「D1」シリーズ、「ACT」シリーズ、「警視庁公安0課 カミカゼ」シリーズ、『コンダクター』『リターン』『AIO民間刑務所』などがある。
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