兎神の島第六回

   5

 そのような日々が終わりを告げたのは、ミヨが島に住みだして三年後の夏であった。
 ミヨが死んだのだ。
 ある秋の日、魔右衛門と吉六は、連れだって島にきた。いつものように酒をもって泊っていくつもりだった。
 だが、浜辺にはミヨの出迎えはなく、上陸して探してみると、ミヨは岩場の下に倒れていた。息をしていなかった。
 高台の岩場の上にかかった梯子が折れている。おそらくは、見晴らしのいい高台で、吉六と魔右衛門それぞれの船が島に向かってくるのを見て、出迎えるために梯子をおりたところで梯子が壊れたのだ。
 最初は、死んだとは思えず、息を吹き返すのではないかとしばらく寝かせておいた。水をのませようとしたりしたが、次第に死んでいることがはっきりとしてきた。茫然とするより他はなかった。
 
 数時間、魔右衛門と吉六はミヨを小屋に寝かせた。このまま放置していれば腐る。埋葬したほうがいいと二人の意見は一致した。
 島に埋めることになった。
「かみさんもな、昔、村の墓地にこうやって埋めたよ」
 吉六は穴を掘りながらいった。
 魔右衛門は、吉六から、伴侶と死別したことはきいていたが、詳しくは知らなかった。
「あいつは、隣村のハタガミの生まれだった。働き者で、四歳ぐらいからもうずっと家の仕事をして、そのうち名主の家に奉公にでてこき使われて、数十年前のことだが、隣村の俺と祝言あげてからも、しじゅうなんかしら、手を動かして仕事をしてるんだよ。外で売ったりする籠だの笊だの草鞋だのを作り続けてな。本当に根っからの働きものだった。遊ぶでもなく、休むでもなく、働き続けてそのうち病気になって死んじまった。もちろん、働き者は尊い、立派なことだと、みんないうし、俺だって思う。だが俺は思うんだ。それでよかったのかよ、と。だがミヨさんは、満足だったんじゃねえか。自分の思うようにしたんだし、酔狂もいいところだが、少なくとも楽しそうに見えた。なあ、魔右衛門よ、この娘は、極楽にいくよ。極楽にいく道を自分で選び出す人だ」
「ああ、極楽に行くと思う。デウス如来の」
 不思議そうな顔をしている吉六に魔右衛門はキリシタン村の生まれだったんだと、と教えた。
 魔右衛門はおぼつかない知識であったが、キリシタン風に木の枝で十字架を作った。そしてそれを土をかける前のミヨに握らせる。
 夕暮れ時にミヨは島に埋葬された。

 ミヨを偲ぼうと、魔右衛門と吉六は、島から兎を一匹ずつもってかえってきた。しかし一年ほどで、兎は二匹とも死んでしまった。
 吉六と魔右衛門はずっと交流が続いた。命日には二人はミヨの遺骸の眠る兎だらけの島に上陸して、墓に花を供えた。
「神さまになっちまったな、ミヨさんは。最初から神さまみたいなもんだったな。俺ら信者が、いろいろ奉納して」吉六はいった。
「兎神だ」魔右衛門がいうと、「うまいこというねえ」と吉六が頷いた。「確かにあの娘は兎の神様だろうな。あの娘がいなきゃ島の兎は獲られて死んでたんだ」
 ミヨが去って五年ほどしたころ、吉六が胸を病んで死んだ。死ぬ前に吉六は魔右衛門にいった。
「また会いたいなあ。おまえとも、ミヨさんとも、そして、あの楽しい気持ちのいい、日を過ごしたいな」
 真冬のことで、空は厚い雲に覆われ、雪がふり続いてた。
「会えるさ」魔右衛門はいった。
 吉六を埋葬してから、魔右衛門は墓標と思い出しかない浜を後にした。

 それからずいぶんな歳月が流れたが、時折、魔右衛門は夢で吉六と、ミヨに会う。美しい兎神の島で二人の友人は兎を膝に抱きながら、魔右衛門に笑いかける。ふと魔右衛門は、自分はほんのちょっとの間に居眠りしているうちに人生を巡って若き日のあの島に戻ってきたのではないかと思う。おおい、魔右衛門、何をぼんやりしているんだ? 吉六がいう。
 兎が跳ねる。もういくつ寝ると、世界が滅びる。ミヨが歌っている。また兎が跳ねる。
 いつも同じように明け方の夢はそっと遠ざかり、魔右衛門は目の端の涙をぬぐうと、しばし彼らを忘れ、一日をはじめる。

     了

兎神の島

Synopsisあらすじ

旅をしていた魔右衛門が偶然助けた男・吉六。その吉六の家の近には《神の住む島》
があり、魔右衛門はその島で兎を飼いながら暮らすことになるが――。

Profile著者紹介

恒川光太郎(つねかわ こうたろう)
1973年東京都生まれ。
2005年「夜市」で日本ホラー小説大賞を受賞。同作単行本はデビュー作にして直木賞候補になる。2014年『金色機械』で日本推理作家協会賞を受賞。
その他の著書に『無貌の神』『真夜中のたずねびと』などがある。

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