兎神の島第二回

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「よかったなあ、心配したぞ」
 吉六の家である。魔右衛門は吉六の家に戻り、無事帰還を知らせた。今は縁側で茶を飲みながら話している。
「いや吉さんが、風邪をひいて寝込んでいるってのに、よけいな迷惑と心配かけちまって」
「いいんだよ、ちょうどよくなったところだ」
 島の話をすると吉六はいった。
「そこはたぶん......カツシマとか、サキコジマとか呼んでいるけどな、こっから西にあったハタガミ村ってところが信仰していた神さんの住む島だ。まあハタガミはもとは戸数が十ほどのところで、何十年も前に村民がいなくなっちまったからな。疫病で数が減って、残ったものもいなくなっちまった」
「あそこに家を建てて住んでもいいかい」
「バカなことを」吉六は笑った。「こっちで暮らしたほうがいいに決まってる。確かあそこは水がでるから住めなくもないだろうが、なんだってそんな――気味悪いとかないのか」
「なんで気味が悪いんだい」
「ああ、いってなかったな。ハタガミのほうでは、漁のときドザエモン引き上げたり、無縁サマがでたときは、あの島に埋めたりしたそうだ」
 無縁サマというのは、旅人など、村の外からきて死んだ者である。たいがい村の墓地とは別の場所に葬られ、何か凶事があったときは無縁サマの仕業といわれる。
 魔右衛門はあまり祟りだの拝みやのいうようなことを信じない。人が死んだり葬られたりしたら曰くつきの土地になるというのなら、火災も多く大量に人が死んでいる江戸なんてそこら中が幽霊だらけだ。供養だなんだというのも、気にする側の心の問題でしかないと思う。
「住んでいいか悪いかってんなら――ハタガミも今はねえし、この村の人間も減ってきてな、今は海のことで文句をいうような奴はいないとは思うが」

 それから魔右衛門はいったん吉六の家を離れると、兎とりの知人の案内で山に入り、罠を仕掛けて兎を十数匹集めた。
 そして吉六の浜に兎を持って戻ってきた。
「あの島にもっていって放そうと思う」
「なるほどな」吉六は、足元をひょこひょこ動きまわる兎を見ながら頷いた。「魔右衛門、お主、思ったことを喋るだけでなく、なんでも実行するから、驚くわい」
 吉六と一緒に十数匹の兎を船に乗せて例の小島にいき、兎たちを水場のそばで放した。
 鼬も狼もいない小島だ。草はふんだんにある。放置していても増えると見込んだ。
 市にはよく兎売りがいる。原則的に食用だ。
 仏教では獣肉食を禁じているが、鳥と兎については禁の外で、徳川家だって正月には兎汁を食べるという。
 島でたくさん増やしてから本土にもっていって売ればいい。
「吉六さん、俺、ここでちょっといろいろやってみたい。四日後に迎えにきてくれないか」
「ああ」吉六はいった。「船を作れ」
「え?」
「今回はそうするが、浜に戻ったら船を作りな。作り方は教えてやる。自分の船があったほうがよかろう」
 吉六を見送ると、さっそく作業にかかった。
 鉋と釘と金槌をもってきた。流木を拾い集めて床を作ってみる。一人でできる作業には限界があるが、一日、動き続け、小さな小屋のようなものができた。その晩はそこで泊った。
 翌日も魔右衛門は無人島で働いた。日当たりのよい土地を耕し、人参や芋を植えた。
 魔右衛門は無宿人である。住居が定まらないのは、一時的なことだと自分では思っているが、なかなか根を下ろすに値する場所がない。
 そもそもは江戸の商家の三男として生まれた。十歳から商いを学ぶために、つきあいのある呉服屋に奉公にだされていたが、陰間茶屋かどこかの出火からはじまった大火で親も兄弟も家も土蔵も全部焼けてしまった。救済小屋でしばらく暮らし、そこから、なんとなくいろんなことにやる気をなくしてしまい、諸国をさすらうことになった。
 どこか落ち着く場所が欲しい。吉六のことは大好きだが、さすがに吉六の家で暮らすというのも図々しい。
 どこで暮らすといいのだろう。
 町で暮らすなら長屋暮らし以外の選択はない。薄壁一枚では音も筒抜けで、向こうで他人の咳や、呻き声が聞こえる。どぶ掃除の当番もあるし、揉め事も多い。奉公人だった時も町屋暮らしだったが、常に廊下を歩く誰かの足音がきこえていた。それに江戸は火事が多くて落ち着かない。
 では農村に家を構えるか。簡単に受け入れられるとは思わないし、昔からそこに住んでいる奴らが新参者につらくあたる。百姓仕事はきついし、早朝から夕方まで働かされる暮らしになる。洒落たこと、華美なこと、何かちょっとでも他の村民から抜きでたことをすると生意気な、と虐められる。
 山奥の庵はどうだろう。悪くなさそうだ。だが熊もでる。狼もでる。人殺しがやってくるかもしれない。
 何度か旅の日々で怖いことがあった。三匹ほどの山犬に後をつけられたこともあったし、目を血走らせ包丁をもった男に追いかけられたこともあった。
 そしてこの島を考えてみる。他の人間にはともかく、魔右衛門には悪くないのである。誰にも文句をいわれず、家賃だのを払うこともなく、好きなだけ居られて好きなだけ留守にもできる――友人の吉六の家にも船を漕いですぐにいける。魚も取り放題だ。死ぬまで住みたいとまでは思わないが、ここを根城の一つと捉えて整えておくのは悪くない。
 島を探索すると、島の東側にちょっとした入り江と岩窟があった。岩窟の前には鳥居がたち、
 風化した石像がある。ここが海神を祀った拝所なのだろう。長い間手入れされていないようだった。

 四日後、吉六が島に迎えにきた。魔右衛門の小屋を見て「ほっほ」と奇妙な笑い声をあげた。それから笑い続け「なんだか面白くなってきた。俺も手伝わせてくれよ」といった。
 魔右衛門は浜につくと、さっそく吉六に習って小舟の制作をはじめた。
 自分の小舟が完成すると、そこから三年間、魔右衛門は島と本土を往復し続けた。小屋作りには吉六も参加し、材木を運び込んできちんとした庵ができた。兎は順調に増えていったので、竹で作った罠をしかけて何匹か獲ると、吉六の浜から十里離れたところで開かれている市場や、宿場町の市で売った。島の周囲では栄螺も獲れた。膝下ぐらいの浅瀬にいくらかある。腐らぬように海水をいれた桶にぎっしりいれて市場にもっていくとそれなりの値段になった。
 そしてまたお伊勢参りに、江戸や京、富士見物に、奥州と、気ままに行き来をした。

兎神の島

Synopsisあらすじ

旅をしていた魔右衛門が偶然助けた男・吉六。その吉六の家の近には《神の住む島》
があり、魔右衛門はその島で兎を飼いながら暮らすことになるが――。

Profile著者紹介

恒川光太郎(つねかわ こうたろう)
1973年東京都生まれ。
2005年「夜市」で日本ホラー小説大賞を受賞。同作単行本はデビュー作にして直木賞候補になる。2014年『金色機械』で日本推理作家協会賞を受賞。
その他の著書に『無貌の神』『真夜中のたずねびと』などがある。

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