十字路の蛇第六回

「あなたは、なぜ私に電話を」
 おずおずといいかけたが、〈蛇〉は遮るようにいった。
「娘が死んで、日々、追悼の曲を捧げるうちに、俺は、霊的直感を授かった。神様を信じるか? 俺は霊能力を身につけたといったら信じるか? 信じなくてもいい。五年も続けていると、クリーニング屋が死んだ。死因は病気だよ。心筋梗塞だ。もちろん奴が死んでも、俺は、あの十字路にいくことをやめなかった。十字路でギターをひくと娘が現れた。俺だけに見える娘だ。娘はいつも音楽に耳を澄ました。
 ところで少し話を変えるが、敵を見つけたとき、正面に立って大きな声で罵倒する必要なんてないんだよな。さっきの俺の話もそうだ。あることをある人に告げる、あるものをある場所に送る。たいがいはそういう抜かりのないちょっとした行動で、相手の人生に雪崩を起こせる。怒鳴ったりなんだりするより、ずっと深い打撃を与えることができる。そうだよな?」
 私はあの洋食家を思い出した。ギターが壁際にあった。カウボーイのモノクロ写真が額に入って飾ってあった。いや、それがどうした? そんな店はいくらでもある。
「ある日、俺は袋だたきにされた」
〈蛇〉はいった。
「深夜に俺はうどんを食って帰るところだった。そこを数人の酔っ払いが絡んできた。話があるから車に乗れという。そいつらもまた飲酒運転だ。で、なんだかわけのわからねえことをいいやがるんだ。〈オマエが全部やったんだろう、角井くんを殺したのはおまえだろう〉とな。ちょっと待ってくれよと思った。角井大輝って電力会社の社員が死んだのは知っているよ。川に落ちたんだろ。一、二度話しかけてきた奴だったし、狭い町に誰が何の仕事をしているのかってのもたいがい知っている。だが〈俺が角井の細君から金を受け取り、夫殺しを請け負った〉といいやがる。誰かが、根も葉もない噂を広め、あろうことか、それを信じてしまったバカがいるってこった」
「俺は町外れの空き地で殴られ蹴られた。金で殺しを請け負うなら、俺の会社の誰某を殺せ、とか、自分で自分を殺せとかひでえもんだ。森と川を前にした真っ暗な空き地だよ。やがて奴ら酔いが醒めてきた。こいつ、生かしておくより殺すべきなんじゃないかと誰かがいいはじめた。まあそう思うのも無理はない。生かしておけば、俺は警察に行くだろうし、誰に何をされたか訴える。奴らは地元で自営業だか公務員だか、何かしら職に就いている奴らだ。仕事もあれば家族もいる。俺はしつこいからな。車のナンバーもおぼえたし、奴らを逃がすことも許すこともない。殺す案がでると、奴らの一人がびびりはじめた。だが年長の強行派が、俺に身内がいないことや、ある日いなくなっても失踪届をだす人間がいないこと、こいつは角井を殺した殺人犯だから、私刑に処して問題なく、殺しておいたほうが町のためだとかいって説得をはじめた。バカが数人集まったとき、一番バカな奴がでかい声をだすとそれが通る」
 私は圧倒され、言葉がでなかった。
〈蛇〉は殺されたのか。噂通りに死んだのか。では今ここで話しているのは何なのか。悪霊なのか。蛇の身内、蛇と親しい者なのか。わからない。それとも殺されていないのか。全てが不確かだ。
「すみません」
 私はいった。決してあなたを陥れようとかそういう狙いがあったわけではなく、幼かったので物事を正しく認識できず――いや、そんな風に言葉はでてこなかった。
「祟りを信じるか? 通常そんなものは起らない。だが、起るときには起る。俺を殺したやつはみんな死んだ。当たり前だ。順番に死んだ。それぞれ職も家族も失い苦しんで死んだ。残るは、俺が殺される発端のヨタ話を流したやつだ。もう金では解決しない。警察も無力だ。理屈は無用だ」
 ――何人か死んでいるよ。という店主の言葉を思い返す。あの後、何人か死んだのだ。彼を殺した連中が。
「すみませんでした」
「俺は百倍にして返す」
 電話は切れていた。私はしばらくそこに立ち、それから受話器を戻した。妻が居間に戻ってきた。私は呆然と立っていた。
「誰?」妻がきいた。私は「なんか、まちがい電話」といった。説明して妊婦の妻に不安を与えたくはなかった。「まちがい電話にしては長くなかった?」ときいてきたので、「ああ、そうだね、向こうがボケてんのか、ずっと勘違いした話をしていてさ」と答えた。妻は疑わしそうに私を見て「浮気していないよね?」ときいた。「ああ」私は小さく答えた。「マジで、間違い電話だから」「なに、女から?」「違うって」「植木さん?」「は? 植木って俺の会社の後輩の? 違うわ、何ソレ。なんで植木さんがかけてくんだよ、電話番号すら教えてないよ」「じゃあ誰から?」「知らないよ、間違い電話なんだから。変なおじいちゃんだよ。もうあっちいってて」「なんで? ただの間違い電話ならなんでそんな顔してんの? 植木さんだった?」
「うるさいよ!」私は叫んだ。妻は、私は妊婦なのに信じられない、ひどく傷ついた、という顔をして部屋に引っ込んでいった。
 窓の外を見ると雨が降っていた。
 嫌がらせだ――これはただの嫌がらせにすぎない。犯人はあの十字路の店主か。今からでも警察にいって――だがあらゆることが手応えなくすり抜けていき、結果的には窮地に追い込まれていくような気がする。角井佑介がそうだったように。人の立ち位置などいつだって脆いのだ。しかるべき場所に電話を何本かかければ、いくらかの写真を送れば、いくらかの言葉を誰かに吹き込めば、それで転落していく。まして相手は〈蛇〉なのだから。

                      了

十字路の蛇

Synopsisあらすじ

七歳の時に、農地に浮かぶ島のような町に引っ越した私。
その町では、ウエスタンスタイルをした謎のギター男が十字路で目撃されていた。
そこを通る私にじっと冷たい目を向けてくる、彼の正体は――。

Profile著者紹介

恒川光太郎(つねかわ こうたろう)
1973年東京都生まれ。
2005年「夜市」で日本ホラー小説大賞を受賞。同作単行本はデビュー作にして直木賞候補になる。2014年『金色機械』で日本推理作家協会賞を受賞。
その他の著書に『無貌の神』『滅びの園』『白昼夢の森の少女』などがある。

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