十字路の蛇第一回

 七歳のとき、私の一家は、千葉から関東平野の内陸に位置する田舎町に引っ越しをした。
 父が購入した家は、農地のなかに切り開かれた新興住宅街の建て売り住宅だった。
 住宅地の西側は緩い坂になっていて、その坂をおりていくと十字路があり、そこが小さな商業地区になっていた。
 この十字路を中心にスーパーに、ファミコンショップ、美容院、お好み焼き屋、蕎麦屋、本屋、学習塾などがあった。
 商店街というほどの規模のものではないが、〈かな町商店街〉と名付けられていた。
 この十字路の反対側には少し古い住宅街があり、団地があった。航空写真でみると私たちの町は農地に浮かぶ島のようだった。小学校はその先にあり、私の家からは二キロ近くあった。よく朝など両親のどちらかが都合がつけば車で送ってくれた。
 町の外にでると、とたんに、田んぼや畑、そして森以外は何もなくなる。それがなんとも心細く、どこかに車で「おでかけ」をしたとき、町に戻ってくると、ほっとしたような記憶がある。
 さて、引っ越してきてからすぐに、私は父と一緒に町の探検にでたのだが、このとき、はじめて十字路の商業地区の歩道に座すギター男をみた。
 街路樹の木陰で、ギターをひいていた。長い髪にウエスタン風の帽子を被り、ミラーサングラスをかけている。立ち止まって演奏を聞いている者は誰もいなかった。よく見ると、日焼けした皮膚にはそれなりの年輪が刻まれており、若くはないようだった。
 私は、面白い人がいるよ? という風に父の注意を促したが、父は、あまり関わるな、というように私の手をひいた。
 その後、このウエスタンスタイルの男(おそらく初老といっていい)がかなり頻繁にこの十字路にいるのを目撃するようなった。
 大都会の駅前ならストリートミュージシャンは珍しいものではない。だが近くに駅もない、小さな町の十字路にこの男が座しているのは異様な雰囲気があった。
「病気で喉を手術して歌えなくなった、元プロミュージシャン」で「麻薬で刑務所にもいったらしい」という噂を誰かから聞いた。私はそれを漠然と信じていた。
 成長していくうち、私は町の人間が、このウエスタン男をそれとなく避けているのを気配として感じるようになった。
 しだいに私のウエスタン男に対する印象は「面白そうな人」から、「何を考えているかわからない不気味な奇人」に変わっていった。ちなみにこの初老の男が歌を歌うことはなかった。ギターも常に弾いているわけではなく、ただ黙って座っていることも多かった。服は汚れておらず、ホームレスではなかったはずだ。
 たった一度だけだが、太った白髪の男が、千円札をこの男に渡しているのを見たことがある。何か見てはいけないものを見た気がした。
 中学一年生のときである。私と友人の角井は塾の帰りだった。角井は私と同じく新興住宅街で暮す子供で、塾は十字路にあった。
 角井はひょうきん者で、目立ちたがり屋だった。クラスではいつも教師のものまねをしたり、オネエ言葉で話してみたり、絶妙に愚かなピエロを演じて、同級生の笑いをとった。だが素でいるときには無口で、性格に棘を感じることが多々あった。お笑い芸人を目指しているらしく、何かにつけ私はこの角井に「おまえ、オモシロクない」といわれた。なぜ芸人を目指してもいない私がオモシロクしないといけないのかわからなかったし、角井自身は本人が思い込んでいるほどにオモシロイのかという疑問もあった。
 九月の夜の七時半で、もうあたりは真っ暗だった。外灯がぽつぽつと立つ十字路には、店店の明りが外に漏れていた。薄暗がりに例のウエスタン男がいた。
 私たちは二人で並んで家を目指していた。
 と、角井が、唐突に男に話しかけた。
「今日はギターひいていないんですか」
 え? と私は思った。やめろよ角井、話しかけるなよ。私はこれまで千回以上、この男の前を通ったが、話しかけたことなど一度もなかった。
 ウエスタンブーツに革パン、ウエスタンハットにミラーサングラス。いつもと同じ格好だ。夜でもサングラスだった。その男は何も答えなかった。角井はさらに続けた。
「ロケンロールってやつですか」
 冷やかし気味に角井は「ロロロ、ロケンロール」といい、くすりと鼻で笑った。
 男は答えない。
「どこに住んでいるんですか」
 男はやはり黙っているが、サングラスをした顔はまっすぐ角井の顔に向けられている。
「シカトかよ」と角井は小さくいった。
 そこですっく、とウエスタン男は立ち上がった。
「いこうぜ」と私は角井を促したが、角井は、サングラスの男とにらみ合うように動かなかった。
 ウエスタン男と角井の体格はそれほど変わらなかった。少し男のほうが大きい程度だ。なぜ、角井がこの変わり者に絡んだのか私には理解できなかったが、おそらく、角井は「知らない大人に攻撃的に(バカにするように)接することができる自分」を「強くて、粋だ」として、それを私に見せたい、粋がりたいのではないかと思った。恐ろしそうな大人にはできないが、このウエスタン男は、あまり強そうでもなく、一種の変人で、大人社会からもはぐれ者であると予測し、からかっても反撃の手立てをもたない「弱者」と認識したのではないか。実際、学校でも角井にはそういう、相手を選んで攻撃性を発揮するところがあった。
 ふとそこで、男が信じがたいことを喋った。
「おまえ角井佑介だろ、知っているぞ」
 角井の表情が凍った。
 男は薄く笑みを浮かべた。

十字路の蛇

Synopsisあらすじ

七歳の時に、農地に浮かぶ島のような町に引っ越した私。
その町では、ウエスタンスタイルをした謎のギター男が十字路で目撃されていた。
そこを通る私にじっと冷たい目を向けてくる、彼の正体は――。

Profile著者紹介

恒川光太郎(つねかわ こうたろう)
1973年東京都生まれ。
2005年「夜市」で日本ホラー小説大賞を受賞。同作単行本はデビュー作にして直木賞候補になる。2014年『金色機械』で日本推理作家協会賞を受賞。
その他の著書に『無貌の神』『滅びの園』『白昼夢の森の少女』などがある。

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