十字路の蛇第四回

  そして、町を去ってから十二年が過ぎた。私は二十九歳になり、横浜近郊にて一人で暮していた。
 秋の休日、前日に昼寝をしてバランスが崩れたのか、まだ外が暗いうちに目覚めてしまった。
 マンションの駐車場におりると、私はその年の春に中古で買った小型車の運転席に座った。車を買ってから、予定のない休日は一人でドライブすることが多かった。車のよいところは、深夜であっても、早朝であっても、思いついたら出発できるところだ。休日を有効に使うためどこかに行こう――と思ったところで、ふと、十二年前に母と去ってから一度も行くことのなかった少年時代を過ごした町の名を思い出した。ナビに入力してみると二時間半ほどで到着するらしい。思っていたより近いと思った。
 すぐに出発した。サービスエリアで朝食をとったりもしたので、二時間半以上はかかったが、九時半かそのぐらいには見覚えのある領域に入っていた。この坂をのぼっていくと、あの町が現れるんだよな――と、私は秋の田園風景をまっすぐに走っていく。路肩のあちこちに彼岸花が赤く彩っていた。
 例の交差点に入った。一瞬、場所を間違えたかと思うほどにその町は寂れていた。
 私は車を中心部から少し離れた送電鉄塔の近くの空き地に駐車した。
 この寂れようは、まだ午前中だから――というわけでもなかった。何か電池が切れたというか、空気が抜けたというか、まるで廃墟になるのを待つような静けさがあった。煙草屋はなくなり、ファミコンショップはつぶれ、通っていた塾もなくなっていた。どこもかしこも薄汚れたシャッターがおりていた。住んでいたときは入ることも多かった中華料理店も、看板が外され廃業していた。(かつて父がこの町の住宅街で蕎麦屋をやるといったことを思いだした。現実に開業したら、よほどの運がない限り、かなり厳しいことになっていただろう)。
 私は昼近くまで、一帯を散策した。十字路が一変したのに比べ、新興住宅街はあまり変わっていなかった。かつて私が暮した家も、表札が代り、庭木や玄関まわりが変化していたが概ね残っていた。旧市街のほうはずいぶん家が取り壊され、団地も活気がなかった。
 昼時になると、十字路のところに比較的新しい洋食店が開いていた。私がここに住んでいた頃にはなかった店だ。
 店主は顎髭を生やした五十代かそこらの男で、客は私だけだった。カレーを頼んだ。食後に、店主にこの町の出身だったと話しかけた。
 店主は「ああ、そうなんだ、ぼくもですがね」といった。話してみるとこの店はもともとパン屋だったのを五年前に洋食店に変えたのだとか。
「そこの角にあったピコピコキングって、ファミコンショップにたむろしてました」
「あったあった、時代だね、子供たち、たかってたね。だいぶ前に潰れちゃったけど、小学校は吹山小? 吹山小もなくなっちゃったよ、統廃合で」
 私の母校は今では郷土資料館になっているのだという。もうこの町には子供があまりいない。
「前にこの十字路にいっつも現れていたウエスタンスタイルのギター男いましたよね」私はなんとなく思い出して話をふった。かつて私はあの男が怖かった――いくぶん恐怖は薄れたが、十二年たった今でも私はあの男が怖い。
「ああ」洋食屋の店主は頷いた。「あの人ね、死んだという噂があったけど」
「え?」
「まあ、噂だけどね。そんなに悪い人じゃなかったのかもよ。俺、一回本人と話したことあるんだけど、あの人は、この交差点で、娘さんが車にひかれたとか聞いている。追悼? で通っているんだって」
 だからといって、あのスタイルで毎日現れるのは他人からは奇人としか見えないが、十字路に出没するのにそんな理由があったことに驚いた。
「昔、私の友人が絡んだんですよ、あの人に。大変なことになって、少ししてから、もうすごいことになって」
 中学生の頃に角井が男に絡み、その後すぐに角井の父親が死に、角井も不登校になり、母が逮捕され、そして角井自身も十代のうちに死んだ――この一連のことを話す。
「呪いみたいじゃないですか。もうけっこうびびりまくって、あいつに絡んだからじゃないのかって怖くて」私がいうと、店主は微笑んだ。
「その事件おぼえているよ。小さな町だからね、名前までは忘れちゃったけど、旦那さん殺した奥さんいたね。ひどい話だよ。あの後もね、何人も死んでいるよ。呪いかどうかは知らないけれど」
 何人も? だがそのタイミングで他のお客さんが入ってきて、店主は忙しくなった。私はお金を払って店をでた。
 車を発進させると、ふと私は自分が恥をかいていることに気がついた。呪いみたいじゃないですか、と私がいったときに店主の見せた微笑みは、事実は苦笑だったと思う。角井家のことと、十字路の男は、無理矢理結びつけなければ、明らかに無関係だ。何人も死んでいる。まあそうだろう、人間は不死ではないのだから。だいたい「呪い」とはなんだ。己の友人が死んだことにそんな面白半分の解釈をして、赤の他人の前でいうべきではなかった。自分は恥ずかしい人間だ。
 たぶん、もうここには来ることはないだろう、と思い、私は静かなその町をあとにした。

十字路の蛇

Synopsisあらすじ

七歳の時に、農地に浮かぶ島のような町に引っ越した私。
その町では、ウエスタンスタイルをした謎のギター男が十字路で目撃されていた。
そこを通る私にじっと冷たい目を向けてくる、彼の正体は――。

Profile著者紹介

恒川光太郎(つねかわ こうたろう)
1973年東京都生まれ。
2005年「夜市」で日本ホラー小説大賞を受賞。同作単行本はデビュー作にして直木賞候補になる。2014年『金色機械』で日本推理作家協会賞を受賞。
その他の著書に『無貌の神』『滅びの園』『白昼夢の森の少女』などがある。

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