十字路の蛇第二回

 噂では〈喋れない〉はずだった。私はギター男はこの町の社会に属してない、いわば〈よく見かける不審者〉と認識していた。その彼が町の子供をフルネームで把握している、というのは、ぞっとするものがあった。
「頼みごとがあるなら金もってこい。俺は子供の頼みはできるだけきいてやる」
 意味がわからなかったが、おかしな人というのは、意味がわからぬことをいうものだ。
「すみませんでした」私はギター男にいい、角井の代わりに謝った形で、さあいくぞ、と角井の肩を押した。
 角井の表情は硬直したままだったが、私に押されるままにその場を離れた。
「なんだあいつ! ぶっ殺してやるわ!」
 ウエスタン男と離れながら、相手に聞こえるような大きな声で角井がいいはじめた。私が黙っていると、角井はへらへら笑いながら「びびってんじゃねえよ、上郷~」といった。
「いやいや、ヤバいだろ、あいつは、っていうか、名前知られてるんだぞ」と私はいった。たぶん家も知っているのではないか。
 さて、そんなことがあってから二ヶ月ほど過ぎた頃に角井の父が不審死を遂げた。
 季節はすっかり冬になっていた。角井の父親は家から数キロ離れた川に浮いているのが見つかった。発見者は川沿いの畑の持ち主で、橋の上から角井の父親を見つけた。遺体には外傷はなく、睡眠薬の成分が検出された。遺書はなかった。
 睡眠薬を飲んで、冬の川に入った――つまり入水自殺をした――という線と、何者かに睡眠薬をのまされ、川に落とされた、という二つの線で警察は調べているようだった。角井の父は電力会社に勤めていた。特に仕事でトラブルを抱えているという話はなかったという。
 噂だが(子供の私に入ってくる情報というものは、どれも直接確かめたものではなく親同士の会話を盗み聞いたものである)角井の両親は仲が悪く、角井の母がかなり多額の保険金の受取人で、少し疑われているときいた。
 だが後に角井の父の死亡推定時刻に、角井の母は、友人(私も知る同級生の母で、いわゆるママ友)と一緒に夕食をとっていたことが確認された。
 田舎町にはあまりないショッキングな事件であったが、私はこの事件に自説があった。
 こういうものである。あの路上でギターを弾くウエスタン男は、実は古くから町の「なんでも屋」(頼めば報酬しだいでなんでもしてくれる仕事)をしており、角井の母親が、保険金を目当てで、角井の父親の殺害を、あのウエスタンスタイルの路上の男に頼んだのではないか――。
 根拠は角井が絡んだときの「頼みごとがあるなら金をもってこい」という言葉と「おまえ角井佑介だろ」と角井の名を知っていたことだった。「角井の父が死んだ」「角井の母が怪しいがアリバイがある」「町の十字路に金をもってくれば頼み事をきく存在がいる」「その男は角井佑介の名を知っていた」これらの情報を結びつければ、どうしても、前述の想像をせずにはいられなかった。
 私はこの推理を、絶対とはいわないが、考えてみるべき可能性の一つとして、母に話したが、母は怒り始めた。「そんなことはありえないし、いい加減な思い込みで、人が苦しむような噂をたてるんじゃないのよ」と母はいった。世の中には、何もしていないのに、誰かの間違った想像がさも事実であるように噂をたてられて、苦しんでいる人がいるのだと。
「いるわけないでしょ、こんな町に、そんな〈殺し屋〉なんかが、漫画じゃないんだから」
「〈なんでも屋〉だよ」
「同じでしょう」
 私は決して、誰かを苦しめようとしてこの説を思いついたわけではなかったのだが、母にまったく顧みてもらえないことが不服であった。
 確かに、頼まれて人を殺すなど、リスクを考えれば割に合うはずがない。常識で考えればそうだ。だが、どうだろう――世の中の人間はみんな、常識的な行動しかしないのか? 報道される犯罪の多くはどれも、ありえないほど浅はかで、非常識の上で行われている、殺人のハードルが極端に低い連中だっているのではないか。
 もっとも自説を訴える相手は、母ではなく警察にちがいなかったが、自分から警察に足を向けようというほどこの説に自信があるわけではなかった。私はただ、自分の中学の同級生に、この考えをそれとなく話し、どう思うかきいた。
 同級生は、首をひねって「もうそうなら、警察がとっくにそいつを疑ってんじゃねえの」といった。
 ウエスタン男は、しばらくは十字路にいた。
 私が通りかかると、彼はミラーサングラスの顔を私に向けた。私は無視して通り過ぎるより他なかった。「見られる」というただそれだけのことでも、毎日のことであれば、かなりのストレスになった。殺人者かもしれない人間からの視線であれば相当なものだ。

十字路の蛇

Synopsisあらすじ

七歳の時に、農地に浮かぶ島のような町に引っ越した私。
その町では、ウエスタンスタイルをした謎のギター男が十字路で目撃されていた。
そこを通る私にじっと冷たい目を向けてくる、彼の正体は――。

Profile著者紹介

恒川光太郎(つねかわ こうたろう)
1973年東京都生まれ。
2005年「夜市」で日本ホラー小説大賞を受賞。同作単行本はデビュー作にして直木賞候補になる。2014年『金色機械』で日本推理作家協会賞を受賞。
その他の著書に『無貌の神』『滅びの園』『白昼夢の森の少女』などがある。

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