聖火[短編小説]第1回

 皇居北縁の代官山町通りから内堀通りに入ると、やがて左側の千鳥ヶ淵公園の木蔭にトイレが見えてくる。もうその先は半蔵門の交差点だ。ここから道は緩やかな下り坂になって、右に国立劇場、左手には皇居の緑の丘と谷に食いこむように桜田濠の水面が視界に入る。ランナーの男はこのショットに一瞬、故郷の山河の景色を重ね合わせた。
 山の崖際のカーブを曲がると、左手の谷に川と田んぼが現われて、彼方に海が垣間見える。もっとも、そんな里の景色に霞ヶ関や日比谷界隈のビルはなかったが、大昔はこのあたりも男の故郷とさほど変わらない地形が広がっていたのだろう。
 皇居の森は常緑樹が目についたが、歩道脇の街路樹のユリノキは晩秋らしく黄に色づいていた。三宅坂の交差点を過ぎると、緩やかに左折していく道の前方に桜田門の白壁の櫓が見えてくる。男はそちらの方までは行かず、国会前の信号を右に渡って石段の上に広がる憲政記念館の前庭に入っていった。
 戦前の陸軍省の敷地だったところだが、戦後オリンピックの数年前に〝憲政の神〟と呼ばれた尾崎行雄の記念館が建設されて前庭にシンボリックな時計塔が置かれた。ここにはもう1つ「日本水準原点」というマニアックな史跡がある。わが日本の標高の基準点らしいが、それを保護するための標庫という石造りの構造物は歴史を積んだ趣がある。ギリシャの神殿をコンパクトにしたような明治20年代の建築だという。男は、スタートのときと同じようにクラシックな標庫の前で軽いストレッチ運動をして、この日の皇居一周ランニングを終えた。庭の時計塔の針が午後3時になろうとしている。
 男の名は五十嵐充。イカラシミノル、と濁らない読みが正解なのだが、これは彼の出身地、新潟県には多い。かつて西顕城(にしくびき)郡といった県西部の日本海側の小さな町から、五十嵐が上京してきたのは前の東京オリンピックの後の昭和40年の春。中卒の集団就職組だった。定時制の高校に通学しながら板橋の食品メーカーの工場で働いて部長待遇の工場長までいった。5年前に退職してからは週3日のペースで大型スーパーの駐車場係をしている。場内の車の管理ではなく、街道に面したスーパーの駐車場の入り口に立って、交通整理をしながら車を誘導する仕事で、これは体力も神経も使う。皇居まわりのランニングは体力作りと気分転換を兼ねて2年前に始めたものだったが、いまやすっかり習慣になっていた。
 2人の子供はすでに独立して、還暦を迎えた十年下の妻は女友達との俳句の吟行に浸って、夫の趣味には無関心だった。
 走りを終えた五十嵐は、いつものように隼町の裏道を通って、「溜り場」に向かった。ランナーがシャワーを使える施設は周辺にいくつかあったが、半蔵門の駅裏のそこは銭湯の形態だったので料金が安く、ジェットバスを備えた浴槽に浸ることもできた。
 仕事を終えて、ひとっ走りしたランナーたちが集まる夜の7時頃からは混み合ってくるが、オープンの3時頃はまだ閑散としていた。五十嵐のような定職をリタイアした世代や自由業のランナーがやってくるくらいである。
 霜降りグレーのトレーニングウエアーの上にユニクロの薄手のダウンパーカーを羽織って、五十嵐が店内に入っていくと、ちょうど靴脱ぎのところにいた若い男が五十嵐のピンク色の足もとを指摘した。
「おっ、やりますね五十嵐さん、ヴェイパーフライネクストっすか?」
 正確には〝ズームX(エックス)ヴェイパーフライネクスト%(パーセント)〟というナイキのシューズは、オリンピックのマラソンランナーを選考するMGCで大迫傑らトップランナーが愛用していた垂涎のスニーカーで、3万円台の値が付いている。
「ご冗談を。ズームペガサスだよ」
〝エアズームペガサス36〟というこのモデルもピンクが定番カラーだったが、ナイキのスウッシュと呼ばれるトレードマークが前者よりも大きい。シューズに敏感な皇居ランナーたちの目をごまかせるようなものではなかったが、こちらなら1万円を切る値で手に入れることができる。
 ピンク色のシューズはナイキに限らず、アディダス、アシックス、ニューバランス......どこのメーカーでも人気のカラーになっている。
「こんな色、昔の東京オリンピックの時代は考えられなかったけどね。アベベなんて、その前のローマまで裸足で走ってたんだから」
「アベベ。レジェンドですよね......」
 30かそこらのその男は、ランナー仲間だからアベベの名前くらいは知っていたが、実像は浮かんでこない様子だった。
「それでオニツカタイガー、いまのアシックスの鬼塚さんって創業者が自分んとこのシューズを贈ったんだけど、本番の東京オリンピックのときはプーマ履いてきちゃったって笑い話がある。市川崑が撮った映画にしっかり映りこんでるよ、白に黒筋のプーマ」
 五十嵐はまだ新潟にいた頃だが、中学3年生だったから同年の地震とともに記憶に残る。
 若い男はすでにシャワーを浴びた後で、プロテインを含有したササミソーセージをかじりながら足早に出ていった。どことなくナルシストっぽい雰囲気の彼はこれから銀座に出勤していくバーテンダーなのだった。
 浴室に人の姿はなく、五十嵐が鼻唄をうたいながら湯舟に浸っていると、この時間帯の常連でもある同年代のランナーが入ってきた。
「新川二郎ですね。?雨の外苑?って」
こんどは足もとのスニーカーではなく、鼻唄を指摘された。「東京の灯よいつまでも」というその曲は、オリンピックの頃から翌年にかけて大ヒットしていたもので、五十嵐はとりわけ集団就職で上京したばかりの東京風景が思い浮かぶ。「雨の外苑」の後の「夜霧の日比谷」をしばらく「渋谷」と勘違いしていた。
「?雨の外苑?って、こう鼻が詰まったような声でね......」
 と、同年代の彼は指先で鼻をつまんで、新川二郎の声色をマネてみせた。石橋というその男は、五十嵐より1学年下のリタイア年代だったが、割と名の知れたアパレルメーカーの創業者の家筋で、いまも相談役のような地位にいた。腹回りにぜい肉は付いているものの、胸や上腕には高級ジムでトレーナーの指導によって養成された筋肉があり、赤黒く焼けているのは数日前までマウイ島でセイリングを愉しんでいたからだ。
 新川二郎の曲は知っていても、五十嵐が定時制に通いながら工場で働いていた頃、アイビールックに身を包んだ慶応の付属高校生だった、というのがおもしろくない。が、この男には、豪放磊落なお坊っちゃん持有のチャーミングな魅力があった。
「どうですか、一緒にトライしてみませんか?」
 五十嵐が石橋を〝聖火ランナーの募集〟に誘ったのは梅雨が明ける頃だった。2020年のオリンピック大会のチケット購入やボランティアの募集ほど派手に告知はされなかったけれど、初夏から秋の初めにかけて、いくつかのオリンピック・スポンサーが一般聖火ランナーの募集をかけていた。
 ランナーに当選しても、せいぜい1人・200メートルの距離を走れるどうか......ということらしいが、2008年4月1日以前の生まれ、つまりオリンピック時に中学生以上という規定だけで、上の方の年齢制限はないようだ。
「冥土のミヤゲに......」なんて冗談を言い合って、2人ともこれに応募したのだ。
「どうですかね、相当な倍率になっているらしいですよ」
「当選発表は12月か年明けでしょ、石橋さんのコネでウラから手回せないの」
「いや、ウチはああいう大掛かりなイベントには滅法ヨワいんですよ」
 石橋は愛嬌のある笑顔でごまかしたが、五十嵐はこれという根拠もなく、この男の権力のようなものに期待をしていた。

 皇居を周回するランニング??通称・皇居ランが始まったのも64年のオリンピックの年、という一説がある。この年の11月1日の夜中、銀座のホステスさんやバーテンダーが中心になって皇居を一周するマラソン大会が催された。おそらく、オリンピックの話で盛りあがって、にわかに成立した催しだったのだろうが、これが新聞やテレビのニュースで報道されて徐々にランナーが集まるようになったという。ほぼ反時計回り(左回り)に走る、というルートも、この64年11月のコースがもとになっているのかもしれない。スタート地点は桜田門の前の広場だったというが、ここから走りはじめる人はいまも多い。
 ちなみに、当のオリンピックの聖火リレーの大詰めに皇居前広場で集火式が行われて聖火が国立競技場に向かったときは、桜田門から三宅坂を上る逆のコースだった。
 五十嵐はこの定番のスタート地点から数百メートル離れた憲政記念館前の庭園をスタートとゴールにしていたが、往き来に使っているのは有楽町線の桜田門だった。ここは住まいのある小竹向原から1本で行くことができた。そんな足の便が良いのも皇居まわりを走りはじめた一つのきっかけだった。
 駐車場の交通整理をしているスーパーの場所は、都心とは反対の成増(なります)の方だったから、だいたい走りに来るのは週3の出勤以外の休みの日で、午後3時に開く銭湯を目当てに昼過ぎに出てくることが多かった。もっとも夏の盛りは、スタートをもう少し後ろにずらす。
 地下鉄のトイレを使ってトレーニングウエアーに着替えをすませ、コインロッカーに荷物を仕込んで走りはじめる。そう、早目に出て、ここから程近い国会図書館でちょっと調べ物をして、図書館のロッカーにカバンなどを収めてからスタートすることもあった。中卒の五十嵐はある種の知識コンプレックスを持っていた。とくにこれといったジャンルを決めるわけではなく、思いたった作家の作品や仲間内で話題に上った本や雑誌をこの図書館のパソコンで検索して、デスクの一角で短い時間、活字を目で追うだけでなんとなく心がおちついた。ふと〝文武両道〟という言葉が思い浮かんだ。
 走りはじめの桜田門からのコースは、祝田橋から皇居前広場のなかをぬけて、和田倉門を過ぎると、大手門のあたりからは右手に大手町の高層ビルが並ぶようになる。
 気象庁前から平川門、竹橋の交差点で左手の濠を渡って紀伊国坂に入っていくと、ここからしばらく上り勾配が続く。右に国立近代美術館を見て、乾門の先の首都高・代官町インターを通過したあたりから歩道が狭くなる。ちょっとランナーには息苦しい区間だが、吹上御所の裏方にあたるこの辺はいかにも皇居の奥座敷という神秘的な空気が漂っている。
 この代官町通りは千鳥ヶ淵の信号のところで内堀通りに行きあたり、皇居ランナーは左折して半蔵門の方面へ向かう。五十嵐は右手に続く千鳥ヶ淵公園のなかを走りぬけることもあったが、園内を通っていくと、トイレの先に3人の裸の男が池の真ん中でポーズを取った、奇妙なブロンズ像がある。「自由の群像」というらしいが、五十嵐はこのオブジェを見ると、アイドルグループの少年隊が歌い出す寸前のシーンを思い出した。

聖火[短編小説]

Synopsisあらすじ

70歳になる五十嵐充は、2年前から皇居まわりをランニングしている。彼は中学3年生だった前回の東京オリンピックで新潟を走る聖火ランナーを務め、それがきっかけで校内のマドンナと文通を始めた過去があった。そして2020年、古希を祝う同窓会に出席すると……。

Profile著者紹介

泉麻人(いずみ・あさと) 

1956年東京都生まれ。慶應義塾大学商学部卒業。東京ニュース通信社に入社、「週刊TVガイド」の編集のかたわら「スタジオ・ボイス」「ポパイ」などに原稿を書き始める。84年退社、フリーのコラムニストとなる。著書に『なぞ食探偵』『東京ディープな宿』『昭和40年代ファン手帳』『東京いい道、しぶい道』『還暦シェアハウス』『東京23区外さんぽ』『大東京のらりくらりバス遊覧』など多数。

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