聖火[短編小説]第2回

 半蔵門からの下り坂は左手に広がる皇居と桜田濠の景色が見所だが、道の正面に見える白い建物が桜田門の警視庁である。五十嵐は東京に初めてやってきた頃に建っていた、正面に円筒型のホールのある焦茶色の建物に苦い思い出があった。
 上京して最初の夏、定時制高校で知り合ったマセた友人に連れられて、銀座に繰り出したときのことだ。「ハヤリのみゆき族を見に行こう」というのが目的で、板橋の工場近くの寮を出て、池袋から丸ノ内線に乗って銀座へとアプローチした。
 みゆき通りを探して行ってみたが、裾を短くしたラッパ型ズボンを履いてズダ袋を抱えた、雑誌に載っているような〝みゆき族〟らしき若者はいない。VANの看板を出したテイジンの店の前にアイビールックの若者はちらほらと見受けられたが、みゆき族はオリンピック前の風紀の取締りで追い払われて、もう1年前に衰れていたのだった。通りすがりの喫茶店の入り口からベンチャーズの「ダイヤモンドヘッド」がやたらと大きな音で流れていたのを憶えている。
 都電に乗ってみよう、ということになって、京橋と新橋の間を都電で往ったり来たりしているときにサイフがないことに気づいた。どこかで落としたのか、あるいは混み合った都電に乗ったとき、スリにやられたのかもしれない。
 銀座にも交番はあったはずだが、五十嵐の友人が「警視庁も近い。あっちに行った方が安心だ」なんてことを言い出して、日比谷方面へ行く都電に乗った。
 桜田門の停留所のすぐ目の前に威容を誇るように建つ警視庁の建物は、刑事モノのテレビドラマに出てくるのと同じだった。警視庁のなかにもちろん遺失物のコーナーはあったけれど、すぐに届いているわけもなく、紛失届けの書類は出してきたものの、3千円ほど入ったサイフは結局見つからなかった。
「都電のなかはけっこうスリが出るんだよ。とくに田舎から出てきたばかりの子は狙いうちされるから気をつけないとね」
 五十嵐の風体に一瞥をくれて、若い警官が言ったセリフがいまも忘れられない。掏摸(すり)、なんて難しい字を遣う犯罪も、もはや〝消えた昭和の風物詩〟のようなものになってしまった。
 皇居まわりの1周は、せいぜい5キロほどの距離だから、ゆっくりしたジョギングのペースでも1時間と要らない。五十嵐は風景を見るともなく眺めながら、考えごとをすることが多かった。目下の懸案事項を思い浮かべて、順に思考を整理していく。
 ①もうすぐ娘が出産する初孫の名前の予想、②認知症が進んできた妻の母親の介護施設の選択、③太陽内視鏡検査でポリープを摘出した場合のランニング日程、④聖火ランナーに当選した際の周囲への振る舞い方......そしてもう1つ、数日前に送られてきた地元の中学の古希を祝う同窓会の知らせ----のことが五十嵐の頭のなかを浮遊していた。
 10年前の還暦のときにそういった知らせをもらったが、当時の彼はまだ食品会社の仕事が忙しい頃で新潟の故郷へ戻ることは叶わなかった。
「ことしはオリンピックの年ですから、
 われらが五十嵐選手も是非!」
 新年早々に催されるその会の案内状には、岩田という旧友が肉筆でそう書き添えていた。〝選手〟とは、中学生時代の五十嵐は陸上部の花形選手だったのだ。いや、この意味はそれだけではない。彼は東京五輪の聖火リレーランナーの1人として、地元の町を走った経験があった。

 東京オリンピックの記録映像で登場する聖火ランナーというと、国立競技場のトラックを走って、スタンドの長い階段を上って聖火台に火を灯す最終ランナーの坂井義則選手が中心になるが、ギリシアのオリンピアで8月22日に採火された火は飛行機で中近東からアジア諸国を空輸されて沖縄に入り、鹿児島、宮崎、青森、札幌を起点にした4つのコースをリレーして東京に運ばれてきた。オリンピックのおよそ1年前には国内の4コースが決定し、ランナーの規定などが新聞に掲載されている。

 一区間を一~二㌔で時速は約十二㌔。
 走者は十六歳から二十歳までの日本人で、正走者は一人、副走者は二人で、二十人以内の伴走者がつくことになっている。
 走者の人選は来年五月末までに各都道府県で決めることになっている。走者の服装はランニングシャツ、パンツ、クツ全て白色で、女子は半ソデシャツを用いることになっている。この日決ったコースは次の通り。
                        (朝日新聞 63年9月23日夕刊)

 コースの中継地のなかに、五十嵐が走った町の名も載っている。
 これを見ると、今回の応募規定とは随分異なっている。1人あたり200メートル程度ではなく、正走者を先頭に大人数で1、2キロを走ったのである。しかし、都道府県が管理していることもあるのだろうが、男子・ランニングシャツ、女子・半ソデシャツで、すべて色は白、というあたりの規則はやはり半世紀前の時代を思わせる。
 ところで、ここに〝走者は十六歳から二十歳まで〟とあるように、下限は学生なら高校生だった。ただし、多少アバウトなところもあって、伴走者には15歳の中学三年生が選ばれるケースもあった。
 通学していた中学でただ1人、五十嵐に声が掛かったのは「陸上部のキャプテンで中距離走の県の記録を持っていた」「一般課目の成績もまあまあ良好だった」ということと、学校側も「集団就職組から選出して、彼らの餞贐(はなむけ)にしてやりたい、といった意向が図いたのかもしれない。
 五十嵐が担任教師から話を聞かされたのは、夏休みが明けた9月の初めだった。もうオリンピックまでひと月しかない。
 ギリシアでの採火式の後、「聖火、ベイルートへ」「聖火、バンコク入り」なんて見出しの告知記事が新聞に日々掲載されるようになって、一旦沖縄に入った聖火は9月9日に九州と北海道に空輸されて、北と南から4コースによる陸送リレーがスタートした。鹿児島から熊本、福岡、下関から広島、山陰の松江、鳥取の方から金沢、富山と日本海側を通ってきた聖火が五十嵐の住む町にやってきたのは開会1週間前の10月初めのことだった。
 規則にある白いランニングシャツに短パン、月星の白い運動靴を履いて隣り町の中継地点に五十嵐が行くと、係員からオリンピックのロゴを入れたゼッケンを渡された。15人ほどの伴走者が集まっていたが、なかに陸上の大会で顔を合わせた他校の中学3年生が3、4人いた。
 少し離れたところで、正走者と副走者の高校生が2人、まだ点火されていないトーチを手に緊張した面持ちで待機していた。そう、実際聖火を掲げて走れるのは、先頭をゆく正走者とそのサブ的存在の副走者だけなのだ。大きな町では副走者が2名付くこともあったが、この地区は1人で、五十嵐もよく知る1つ先輩の武部という男が任されていた。
「タケさん、がんばってくださいよ」
 五十嵐がなかば冷やかし気味に声を掛けた。武部という先輩は五十嵐の目から見て、さほど秀れたランナーというわけではなかった。中学の陸上部時代はほぼ補欠部員の、いわゆるオミソ的存在だったので、武部が副走者に選ばれたと聞いたとき、へーっ? と思ったものだったが、武部の父親は有力な町会議員なのだった。何らかの力が動いた、と思われる。
 しかし、剛力の親に対して武部自身は小心者で、横の正走者とくらべても、ひときわ顔をこわばらせている。声を掛けた五十嵐の方を見て、すがるような目つきで微笑み返した。
 聖火の引き継ぎの儀式は厳かな神事の趣きがあった。中継地点で整列して待っている次区間のランナーたちの前に、向こうからトーチを掲げて前区間のランナーがやってくる。両区間の正走者と副走者が向かい合って、お互いのトーチの先端を近づけて、慎重に火は移される。それまでざわついていた観衆が、しーんと静まりかえるひとときだった。
 聖火の引き継ぎを終えて、五十嵐たちの組が次の中継地点に向かって走り出した。およそ2キロの区間である。正走者、副走者、前の2人は右手にトーチを掲げていたが、後方の伴走者たちには日の丸の小旗が配布されて、それを片手に持って走る。
 五十嵐は武部のすぐ後ろ、伴走グループの先頭にいたが、前方から漂ってくる聖火の白煙が目に染みた。燃える油の刺激臭で洟水(はなみず)がにじみ出してきた。
 やがて沿道は田園風景に変わって、田畑の向こうに青い日本海が垣間見えた。そして、また家並みが続くようになって、五十嵐が暮らす町の中心部に入った。冬の雪除けのために軒先の歩道まで屋根を突き出した、雁木(がんぎ)と呼ばれる多雪地帯特有の木造アーケードの町のなかをランナーたちが走りぬける。
 そんな一角で、五十嵐の前をゆく男ににわかな異変が起こった。左足のスネを左手で叩いていたかと思ったら、足をもつれさすようにして路端にしゃごみこんでしまった。
「ダメだ、ダメ。肉離れ、やっちまったよ」
 近づいてきた五十嵐に武部が泣き顔で訴えた。陸上部の頃から彼は、緊張して肉離れを起こすことがよくあった。
「頼む......」
 差し出されたトーチを五十嵐は戸惑いながらも手に取った。ゴールの中継地点まで後4、500メートル。彼は憧れの聖火を右手に掲げて雁木の町並みを走りぬけた。ずしり、とした重みが右手から身体の芯の方へと伝わってくる。ふと、ひとりギリシャのオリンピアから東京めざして走っているような心地になった。
 とりわけ人垣の生じた中継地点で正走者の高校生の所作にならって、引き継ぎの儀式に臨んだ。無事火は次の走者のトーチに移されて、正面の観衆に目を向けたとき、彼女がそこにいた。

聖火[短編小説]

Synopsisあらすじ

70歳になる五十嵐充は、2年前から皇居まわりをランニングしている。彼は中学3年生だった前回の東京オリンピックで新潟を走る聖火ランナーを務め、それがきっかけで校内のマドンナと文通を始めた過去があった。そして2020年、古希を祝う同窓会に出席すると……。

Profile著者紹介

泉麻人(いずみ・あさと) 

1956年東京都生まれ。慶應義塾大学商学部卒業。東京ニュース通信社に入社、「週刊TVガイド」の編集のかたわら「スタジオ・ボイス」「ポパイ」などに原稿を書き始める。84年退社、フリーのコラムニストとなる。著書に『なぞ食探偵』『東京ディープな宿』『昭和40年代ファン手帳』『東京いい道、しぶい道』『還暦シェアハウス』『東京23区外さんぽ』『大東京のらりくらりバス遊覧』など多数。

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