キャッシュレスサービスに電子マネー、仮想通貨(暗号資産)、ブロックチェーン。「フィンテック」という言葉のもとに、「お金」のあり方が変わり始めたのを実感している方も多いのでは?

 インターネットと社会の関係を長年研究し、早稲田大学大学院で教授を務める斉藤賢爾さんは、この先「貨幣経済が衰退する可能性は高く、その未来にまったく異なる世界が立ち上がる」と主張しています。そこでその斉藤先生の新刊『2049年「お金」消滅』より"はじめに"をご紹介いたします。

 お金が消えるのと同時に消える職業とは? 変わらず価値を持つものとは? その先で私たちは何を歓びに生きる? この本を手に、混沌たる世界を進め!

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<はじめに>

――隔世の感――

 この本を手にしたあなたは、今、おいくつでしょうか?

 何歳にせよ、数十年かの間、日本や世界のどこかで生きてきた中で、身のまわりの社会や環境、仕組みが変わったのを目の当たりにしてきたと思います。

 著者である私は、この本が世に出る頃には、世界の中で55年を生きたことになります。職業人生としては、30年以上をコンピュータソフトウェアに関わる世界で過ごしてきたことで、それにまつわる社会の変化をつぶさに見てきました。

 たとえば1988年、私はプログラマとして日本の大企業に就職しました。しかしプログラマとはいえ、最初の数年は、プログラムを紙に書いてはキーパンチャーと呼ばれる職業の人に渡し、それで打ってもらっていました。

 もちろん同僚も含めて、打とうと思えば、自分で打ったほうが早かったのです。しかし、当時まだコンピュータや端末機器が手元にないのを前提にした仕組みが残っており、実際、自分の机の上にコンピュータはありませんでした。

 ところが現在、プログラマでなくとも、職場の机の上に一人一台のコンピュータがあるのが当たり前となっています。それどころか社会で暮らすほとんどの人々が、どこへ行くにも自分専用のコンピュータを持ち歩くようになりました。

 携帯電話もコンピュータの一種ですし、スマートフォンやタブレット端末でできることは、パソコンとほとんど変わりません。というよりむしろ多彩なセンサ類が搭載された結果、一部ではそれを凌駕しているとさえいえます。これこそまさに、隔世の感というものなのでしょう。

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――SFと「お金」――

 私は働きながら、2000年からは大学にも籍を置き、デジタルテクノロジーによって変化する「お金」についての研究をしてきました。

 子どもの頃から科学少年であると同時に夢見がちだった私は、今でもサイエンス・フィクション、いわゆるSFが大好きです。研究をする上でもSFの考え方を応用した「SFプロトタイピング」という手法を用いることがよくあります。プロトタイプとは原型とか試作といった意味です。

 SFには、現在の人類にとって未知の技術がしばしば登場し、その周りにドラマが生まれます。研究でも、新しい技術について考える際は、それが実際に社会に導入されたとしたら、どんなドラマを巻き起こすか、まずSF作品として描いてみることで、その技術の意味をより深く理解し、社会で用いていく上での課題を明らかにすることができます。それが「SFプロトタイピング」です。

 ではSFがプロトタイプ、試作なのだとしたら、今私たちが生きる現代は、かつてSFで描いてきた世界が実現したものだと言えるでしょうか?

 一部については、確かにそうかもしれません。電子書籍、自動翻訳、自動運転、3Dプリンター、多くの難病の克服などです。

 しかし「お金」についてはどうでしょうか?

 たくさんの作品があるSFでも、特にいわゆるヒット作の中では、実は「お金」の取り扱いについて、今の現実と差が見られないものがほとんどです。

 たとえば「スターウォーズ」は、多くの方がご存知のとおり、昔々、遙か遠い銀河で起きた冒険譚という設定がとられています。

 現在の地球に見られる文明や文化とまったく違う世界であるはずですし、「お金」についても、私たちの世界とはかけ離れた仕組みであったとしても不思議はありません。しかし、登場人物が運び屋に対して運賃を値切ったり、「賞金稼ぎ」が存在していたりと、むしろ私たちと馴染み深い世界が描かれています。

 それはおそらく、私たちの暮らしと「お金」が、あまりにも深いところで結びついているからではないでしょうか。そのため、「お金」を変化させてしまうと、私たちが共感できるドラマとして描きにくくなってしまうわけです。

 ところが2019年現在、そのあり方を見れば、私たちの日常的な感覚にはお構いなしに、既に「お金」は大きく姿を変え始めているのです。

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――現実がSFを追い抜き始めた――

 もうひとつ、SFから例を挙げましょう。未来の地球を舞台としたSF映画として名高いものに「ブレードランナー」があります。

 1982年に公開されたこの作品は、2019年11月のロサンゼルスを舞台にしています。ですので、ちょうどこの本が発行されるくらいに、現実の時間が映画「ブレードランナー」の時間を追い抜いていったことになります。

 さて、この映画のタイトル「ブレードランナー」とは、地球上に不法に滞在している宇宙労働用のレプリカント(人造人間)を解任、つまり始末する職業とされています。

 しかし2019年の現実を見れば、まだ人造人間は地球上を歩き回っていませんし、宇宙開発もまだまだ発展途上です。

 ところが「人間の労働を代替する」という意味では、ルンバのようなお掃除ロボットが家庭で活躍し、オフィスでは「RPA(Robotic Process Automation の略、ソフトウェアロボットによる定型作業の自動化のこと)」による省力化が進んでいます。加えて、自律飛行するドローンや自動運転車による輸送の実験が行われ、自動運転の普及を睨んだ交通法の整備も進んでいます。

 映画の中で描かれた「自意識を持つレプリカントが自分の成り立ちについて疑問を持つ」といった、解決が困難な哲学的問題も未だ生まれていないようですし、現実のほうがむしろうまくやっているとも言えます。

「ブレードランナー」の中では、バーに設置された公衆電話から主人公がテレビ電話をかけるシーンがあり、通話料金として「1ドル25セント」が画面に表示されます。

 現実の2019年に生きる私たちなら、迷わず携帯電話を使うところでしょう。さらに言えば、定額制の登場で個々の通話料金を意識しなくなっていますし、単にテレビ電話ということなら、Wi-Fi とスカイプなどを使い、実質的に無料でできそうです。

 つまりこの部分では、現実のほうがSFを追い抜いてしまったのです。

 SF作品だけでなく、単純に未来を予測するとき、そうしたちぐはぐなことが頻繁に起きます。特に、街を歩き回るロボットや空飛ぶ自動車のような派手なものよりも、日常的な感覚が根ざす、生活の中の地味な部分のほうが、テクノロジーによっていつの間にか大きく変化してしまいがちなのです。

――SFで描かれる2049年の世界――

 もう少しだけ「ブレードランナー」についての話を続けさせてください。「ブレードランナー」には続編があります。2017年に公開されたその続編、「ブレードランナー 2049」の舞台は2049年。この本が描こうとしている未来と一致しています。

 この映画は退廃的な雰囲気に満ちていて、私もとても気に入っているのですが、「未来」という観点からは、気になる点が幾つかあります。

 前提として、「ブレードランナー 2049」の世界では、レプリカントが社会の一員として暮らしています。「賞与を受け取れ」といった台詞があるので、「労働の対価」という概念があることが分かりますし、レプリカントも人のように買い物をしています。

 もちろん人も、現在と変わらず「消費者」という立場のままですから、街には消費を促す「広告」が溢れています。つまり社会構造は、作品中の2019年からも、そして現実の2019年からも、大きく変化してはいないようなのです。

 しかし、先述したとおり、現実を見れば「電話をかける」という行為ひとつをとっても、これまでの30年余りで、そのことにまつわるすべてがテクノロジーの進歩で大きく変わり、私たちの常識も大きく変化しています。「ブレードランナー」で登場した公衆電話ですが、現実の2019年を見れば、存在はしているものの、日常ではあまり使われないものになりつつあります。「通話料金」という概念も、風前の灯火です。

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 そうした大きな変化が現実に起きているのに、これから先の未来で、「常識を覆す」変化がもう起きないと言えるでしょうか? 私たちが未来を考えるとき、そうした点で落とし穴がよく見られます。

 そして、私たちが見落としがちで、それでいて、そのありように激変を伴う可能性が高いのが「お金」なのです。

――その先の世界の歩き方――

 本文で詳しく記しますが、2049年が実際に訪れたとき、「お金」は完全に消え去ってしまうのではなく、存在はしていると思います。ただし、今とはまったく意味合いが違う、それこそ日常ではほとんどそれが、かつて「お金」だったと気づかれないような存在に変わってしまっていると私は想像しています。

 そしてもし、その想像がまったく当たらず、今と変わらず、私たちがあくまで労働の対価として「お金」を受け取り、消費者として生きているような世界が続いていたとすれば、それは私たち一般市民にとって、ある意味で「敗北」だと考えています。

 なぜ、私がそう考えているのか? この本を読み終える頃、みなさんにも分かっていただけるかもしれません。

 この本では、「『お金』の衰退」を軸として、2050年頃までに起こりうる社会の変化を浮かび上がらせていきます。それと同時に、そうした変化の中を読者のあなたが生き抜き、その後もよりよく生き続けるための「世界の歩き方」も模索していこうと考えています。

 また各章の冒頭では、これから先、私たちを待ち受けるだろう変化を体験した人たちの感想を想像し、コラム的に書いてみました。著者である私の想像から書き起こした未来という意味では、この新書もSFモノのひとつであって、名だたる一連の人気SF作品と同様の過ちを犯すのかもしれません。

 ですので、すべてを鵜呑みにするのではなく、論理的におかしなところがないか、自ら考えながら読み進んでいただければ、と思います。その上で、この本に登場する様々な選択肢のうち、私たちが幸せでいられるのはどの道か、ぜひ考えてみてください。選択権は、私たちの手にあります。未来はどのみち、私たち自身が築いていくのです。

 それではここから一緒に、未来探しの旅に出かけましょう。

 『2049年「お金」消滅-貨幣なき世界の歩き方』

斉藤賢爾:1964年、京都市生まれ。早稲田大学大学院経営管理研究科教授。そのほか一般社団法人ビヨンドブロックチェーン代表理事、株式会社ブロックチェーンハブCSO (Chief Science Officer)、一般社団法人アカデミーキャンプ代表理事など。大学卒業後、日立ソフト(現 日立ソリューションズ)入社。93年、米コーネル大学大学院にて学修士号(コンピュータサイエンス)取得。外資系ソフトウェア企業などに勤務した後、00年より慶應義塾大学環境情報学部村井純研究室に在籍。06年、同大学院にてデジタル通貨の研究で博士号(政策・メディア)取得。慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科特任講師などを経て現職。長期にわたりP2Pおよびデジタル通貨の研究に従事。著書に『インターネットで変わる「お金」』(幻冬舎ルネッサンス新書)、『これでわかったビットコイン』(太郎次郎社エディタス)、『ブロックチェーンの衝撃』(日経BP社、共著)など。