平成の30年間で、その姿を大きく変えた国立大学。しかし、それらに加えて少子化の影響、さらに2020年には入試改革を控えるなど、この先さらにその姿には激変が起こるのも間違いない。

 そこで教育ジャーナリストがここまでの歩みと最新状況を整理し、その未来を提言したのが新刊『「地方国立大学」の時代』だ。以下に同書より「はじめに」を紹介したい。

 地方消滅目前、「地方国立大学」が日本の危機を救う!

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――地方都市の消滅と大学のスモール化――

 今まで『危ない私立大学 残る私立大学』『就職力で見抜く! 沈む大学 伸びる大学』『大学大倒産時代』『大学大崩壊』(以上、朝日新書)など、大学の危機的状況を立て続けに書いてきたので、友人たちから次の本はどうするのだ、と話題にされる。

「大学絶滅か、消滅かなあ」と要らぬ心配をする友人もいる。ただし今のところ大学数は横ばいのうえ、新設まで予定されているので、絶滅危惧種とまではなりそうもない。

 では消滅はどうだろう。その言葉で私が思い出したのは、『地方消滅』(中公新書)だ。

 同書は「2010年から40年までの30年間で『20~39歳の女性人口』が5割以下に減少する市区町村数」が全国の自治体の約5割に達すると予言し、世間を慌てさせた。出生数は激減し、地方から順に子どもがいなくなっていく。まさに地方消滅である。

 地方が消滅に向かえば、地方大学も道連れとなる。それで大学が消滅すれば、地方都市はさらに衰退していくであろう。「地方大学消滅」というタイトルは、リアルに過ぎる。現実的には、一定規模の地方都市にある私立大学などが消滅候補になってくるだろう。

 現状でも、競争至上の市場原理主義者らから「消滅してもやむなし」とされている定員割れの地方大学、特に中小の私立大学は少なくない。その多くは定員充足率(在学学生数÷収容定員数)の分母の定員数を減らすことで難を逃れようとしている。そうすれば、在学学生数が減っても、充足率の低下を防げるからだ。

 しかし「定員を減らす」とは、大学の規模をどんどん小さくするということである。これを私は"スモール化"と呼んでいる。もちろんスモール化の果てに待っているのは、結局"消滅"である。

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――地方大学とは民主社会の"支柱"である――

 大学が消滅することで、地方に与える影響はあまりに大きい。

 そもそも民主社会では、国家と個人・家庭の間で、いろいろな社会集団がさまざまな役割を果たしてこそ成立する。企業や地方自治体だけでなく、報道機関、労働組合、経済団体、市民運動、教会やお寺などの宗教集団などが多様な働きをしてこそ、民意が政治へ実質的に反映される。

 なかでも高等教育機関、知性の府である大学の存在は大きい。

 現在の日本では、個人や家庭は、企業などを除き地域の社会的集団との関係が希薄化し、帰属意識も弱まっている。私はそれが、現代の民主政治の危機をもたらしている原因の一つと考えている。

 大量の情報が行きかうインターネットが存在感を増す社会で情報を意図的にコントロールできれば、国家や民族など、原初的な集団意識に働きかけやすくなる。ポピュリズム志向の政治が排外主義を助長しやすいのはそのためだ。

 一方で日頃から、複数の社会集団に属していれば、いろいろな視点や意見に接する機会が生まれる。一つの会社に勤務していても、それと別に市民活動などへ参加していれば情報源が多くなり、複眼的な見方が育ちやすい。その点では、まさに多様な見方を学ぶ社会集団の存在意義は大きい。

 地方分権にしても、行政権限を地方自治体に移譲する狭い意味でなく、地方のさまざまな社会集団の知恵と力を最大限に活用することこそが分権の内実でなければならない。その意味で、地方大学の維持は、地方創生のためだけでなく、日本の民主主義の維持、もしくは再生の必要条件であり、その役割を存分に発揮させることがますます大切になると私は考えている。

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 2016年度に京都北部の成美大学が、実質的に福知山公立大学に転身した。これは地元から大学がなくなる影響を考え、地域住民や福知山市が「公立化してでも大学を残そう」としたためだ。同じく公立化した山口県の山陽小野田市立山口東京理科大学も同様である。

 一方で国は、東京などへの「一極集中」を防止することが、「地方創生」の側面支援になると考え、東京都心の大学の定員抑制と入学定員厳格化を進めている。しかし、その効果については疑問である。

 今や中年層となった団塊ジュニア世代だが、その多くがすでに首都圏に集中している。そして、小中学生となった彼らの子どももまた、首都圏に集中して住んでいる。首都圏には進学候補の大学や就職先も多く、彼らからすれば地方に脱出する動機がない。近年では、人気私大の入学定員厳格化を進めることで、地方受験生の流入を減らし、地方大学などの志願者を増やそうとしているが、首都圏に住む受験生が併願校として選ぶのは、結局、地元の首都圏にある中堅下位校となる。志願者が減り、このままでは消滅しそうな地方の中小私立大学にまで、目を向けてくれないだろう。

 地方の子どもや若者の減少は現在進行中である。もともと数が少ない彼らが東京へ集中することを阻止しようとしても、それは時間稼ぎにもならない。とはいえ、地方の若者の減少を放置すれば、地方都市消滅がますます進行するのも間違いない。

 では、本当に有効な対策とは何か?

 それは地方の大学で、楽しく充実した学生生活が送れ、卒業すれば、そのまま地元で豊かな経済生活ができる就労の機会を提供する筋道を作ることだ。また、地元の若者だけでなく、都会のミドル世代がIターンし、リカレント(学び直し)で地方大学に通うルートを確立することも肝要だ。こうしたルートが確立されれば、地方の子育て世代も自然と増え、少子化対策にもなるであろう。そしてそれが結局、地域格差や教育格差の是正にもつながる。

 ところが平成の30年間を振り返れば、地方活性化の主役であるはずの地方大学を、国はぞんざいにしてきたといわざるをえない。本書で詳しく記すが、大学に向けられた政策の数々を追うと、その先の地方創生など、いかに口先だけのことかよく分かるはずだ。

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――2020年、地方国立大学に何が起こるのか――

 以上を踏まえて本書の狙いとは何か。

 まず第1章では、平成30年間で大学に起こった変化を追う。

 昭和の共通一次試験時代には「国易私難」と言われる"私大総難化"が起きたが、平成のセンター試験時代では地方回帰の"国公立大人気"という傾向が生まれた。なお2020年からは思考力や表現力を見る記述式問題も含んだ新共通テストが実施され、英語の民間認定試験が導入されることなどから、さらなる激変が起こることが予想される。

 しかし人気を回復したはずの国立大学も、足元では競争的資金に追いまくられ、むしろ苦闘する時代でもあったことは知っておきたい。大学にとっての平成とは何だったか、そしてどんな変化があったのか、あらためて振り返ってみたい。

 第2章では国立大学をめぐる最新動向を探る。

 地方には高知県や島根県、鳥取県のように、県内に私立大学がなく、国公立大学だけしかない県がある。そうした事情もあり、地方のほとんどでは、地域貢献のプラットフォームの一つとして、各地の国立大学への期待が大きくなっている。

 ところが、その地方国立大学は、国からの財政の締め付けで追い詰められている。運営費交付金の査定による再配分をはじめとして、世界で戦う「指定国立大学法人制度」の目的は各国立大学の外部資金の導入実績や優秀な外国人留学生の確保であり、地方創生の視点はない。世界に伍する研究力を、と国から尻を叩かれているが、再配分や競争的資金の導入など選別主義に基づく地方の実情を軽視した大学政策は、地方創生に逆行しかねない。

 第3章では、旧帝国大学系7大学に次ぐ、地方有力国立大学の置かれた現状をデータから読み取り、さらに地方の大学の意欲的な取り組みを探る。

 戦前にあった医学系を除く旧官立大学である一橋大学、東京工業大学、筑波大学(元東京教育大学)、広島大学と神戸大学などの現状に数値からアプローチし、なかでも新潟大学や千葉大学の教育研究への意欲的な取り組みに焦点を当てていく。近年、前向きなこれらの大学こそ、各地方でリーダーシップをとるべき存在だと私は考えている。

 第4章では、地方有力国立大学の中でも、先進的な施策を行っている広島大学にフォーカスし、その動向を追う。

 戦前の文理科大学と高等師範をルーツに築いた"伝統"もあって、広島大学は地域でのブランド力「トップ(中国四国地方で1位。日経BPコンサルティング調べ、17-18年度など)」である。2018年には、データ分析とシステム開発のスペシャリストを養成する情報科学部と、国際的課題に取り組むグローバル人材を養成する総合科学部国際共創学科を新設。また2014年には「スーパーグローバル大学創成支援(タイプA)」にも選ばれている。そのタイプAの課題である「世界の大学トップ100」に到達するために広島大学が行った各テーマの進捗率をチェックし、日本の地方の大学が本当に世界の大学となり、さらに地方の創生の支柱となるための道筋を探ってみたい。

 最終章となる第5章では、今の高校生が本当に大学で学びたいことは何か、特に西日本の高校生にアンケートを行い、それに対して広島大学の各教員にアドバイスをしてもらい、可能性を探る。これは現代の大学進学希望の高校生が大学で何を学び、自分の夢を実現したいか、また大学側に十分に応えるだけの態勢や覚悟があるかどうか、ということを知る手立てでもある。高校生の社会的問題意識に具体的に応えようという姿勢が、その先の大学にあるのかどうか。それを知ることこそ、入学偏差値に頼らない大学選びの原点だと思う。

 そしてこの本を通じて私が最も言いたいこと。それは、大学入試改革元年となる2020年、地方国立大学の「挑戦」と彼らによる日本の「地方復活」がいよいよ始まる、という希望である。

『「地方国立大学」の時代』

木村誠:1944年神奈川県茅ヶ崎市生まれ。教育ジャーナリスト。早稲田大学政治経済学部卒業後、学習研究社に入社。『高校コース』編集部などを経て『大学進学ジャーナル』編集長を務めた。「プレジデントオンライン」「dot.asahi」など各種メディアに寄稿。 著書に『就職力で見抜く! 沈む大学 伸びる大学』『危ない私立大学 残る私立大学』『大学大倒産時代』『大学大崩壊』(以上、朝日新書)など。