首都を背後に控え、その沿岸に3000万人が暮らす東京湾。たった半世紀前に最大の漁獲量をほこった海も、汚れ、傷つき、いつの間にか「死の海」とまで呼ばれるようになってしまいました。
そんな海をよみがえらせるべく活動を続けているのが、7月刊ラクレ『都会の里海 東京湾』の著者で、海洋環境専門家である木村尚さんです。東京湾再生に人生を捧げていらっしゃって、日テレ「ザ!鉄腕!DASH!!」内の人気企画、DASH海岸に携わっていらっしゃるといえば、ピンとくる方も多いかもしれません。
木村さんは「東京湾より魅力のある海は無い」と断言します。水深600mの深海「東京湾海底谷」、旧日本軍の要塞「第二海堡」、東京湾の豊かさを支える「盤洲干潟」など、確かにその表情豊かさは、日本どころか世界でも比類ありません。さらにその海に生息する生き物は、ハゼにダイオウイカ、ゴブリンシャークにシャコ、ハマグリにアマモと、魚だけでなんと700種以上! そんな東京湾にまつわる人や文化、そして生き物たちの魅力を詰め込んだのがこの本です。
今回、その『都会の里海 東京湾』から"はじめに"をご紹介。
東大にて、東京湾のアナゴやアサリの研究に携わられ、今も東京湾再生アンバサダーを務めていらっしゃるアナウンサー、桝太一さんとの「生物多様性対談」も収録して、夏休みのお供に最高の一冊になっています。ぜひ書店さんでお手にとってご覧ください!
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はじめに
「木村さん、東京湾はあきらめて、地方の海がきれいになることに協力してくれませんか」。
こう言われたのは、まだ私が活動を始めて間もないころのことです。
「いえいえ、私の地元は東京湾。地元すらよくできない人間が地方へ行って、何かやっても説得力ないですよね。私は決して東京湾をあきらめてませんよ」。
こうして本格的に活動を始めたのが1997年のこと。それから20年近くが経とうとしています。
ところで、皆さんは東京湾にどういう印象をお持ちでしょうか?
臭い。汚い。東京湾の魚なんて食べられない。大多数の方がそう思われるかもしれません。どっこい、東京湾って本当にすごいんです。
上空から見た東京湾
東京湾の総面積は約1380平方キロメートル。地域によって多少の認識の差はありますが、おおよそ神奈川県の観音崎と千葉県の富津岬と結んだ線の北側を東京湾内湾、それより南側、神奈川県の剱崎と千葉県の洲崎までを結んだ線までを東京湾外湾と呼んでいます。
その平均水深は約15メートル。内湾が比較的浅い海なのに対して、外湾は、いっきに600メートルぐらいまで水深が下がります。東京湾外から入ってくる表面の海の流れは、千葉県側から反時計回りに流れていますが、一方で黒潮の分流が東京湾の横浜側の海底に沿って入ってきます。
そこへ、多摩川水系、荒川水系の河川の豊かな水が流れ込むことで、東京湾外からの海水と混ざり合い、豊富なプランクトンを生み出すことから、たいへん豊かな生態系を形成しています。
東京湾で見つかった魚の種類で約700種。こんなに豊かな海は、世界中を探してもそうそうあるものではありません。
ハゼやキスやカレイといった内湾の浅い砂泥の底を好む魚たちだけではなく、外湾のタカアシガニやダイオウイカやゴブリンシャークなどといった深海の生き物も生息しています。イルカやスナメリなども見られますし、湾のすぐ外ではキハダマグロなども群れています。
アジ、サバ、ブリなどの回遊魚も東京湾には入ってきますが、湾内の栄養が豊富なので、外から回遊してくる魚たちも湾内に入ってきたとたんに、脂が乗り始め、すばらしくおいしくなっていきます。
こうした豊かな生態系に支えられながら、有史以降、人々は生活してきました。たくさんの生き物と人が密接につながって生きていた時代がありました。
そうした東京湾とともに生きていくという生活の中から、さまざまな文化も生まれ、東京湾に限った話ではありませんが、多くの人が海にかかわりながら、つながり合い、助け合いながら生きていくという日本人の精神性も育まれていったのではないでしょうか。それこそが、諸外国にも例を見ない経済発展を遂げてきた礎にもなっていったのだと思われます。まさにそれは「都会の里海」とも呼べる存在です。
盤洲干潟名物"すだて遊び"。たくさんの種類の魚に出会うことができます
実は、大阪湾の面積が約1400平方キロメートルなので、東京湾とほぼ同じなのですが、大きな違いがあります。それは、湾に影響を及ぼす範囲、河川の流域や沿岸に暮らす人口の違いです。
大阪湾が約1700万人なのに対し、東京湾は約3000万人。この3000万人もの人口の生活を支えなければならなかったために、さまざまな形で東京湾は痛めつけられてきました。
近年になり、公害問題に端を発し、水質の浄化、排水規制、下水道・下水処理場整備が進み、最近では干潟や藻場の再生、住民の環境意識の向上などにより、見違えるように東京湾は美しくなってきました。少しずつですが、多くの人の努力により生き物も増えてきているようです。努力すれば、した分だけ確実に生物は応答してくれるのでしょう。
しかし、それでもまだ、東京湾が美しく豊かになった、漁業者や釣り人が喜ぶぐらいに魚が増えた、多くの人が東京湾を楽しめるようになった、文化が復活してきた、と言える状況までには、残念ながらなってはいません。
そこで、この本の序章では、抱きがちな勘違いとその実態について少し触れさせていただこうと思います。そののち、なぜ私が、そんな東京湾を大好きになったのか、その魅力を記し、具体的にその豊かな湾と、そこに潜む生き物たちの特徴について、それぞれご紹介をいたします。
干潟と著者。腹ばいになれば、そのぶん生き物との距離は近くなる
さらに美しく豊かな海を取り戻そうと歩んできた20年、東京湾をとりまく環境はどう変わってきたのか、今もどんな課題を抱えているのか、著者なりの考えを記してまいりますので、東京湾とともに生きていくというのはどういう意味なのか、皆さんも一緒に考えてみてください。
東京湾の豊かさとその実態、そして自らの活動を通じて読者の皆さんがより東京湾に興味を持つようになってくださったのなら、東京湾に足を運んでみようかな、よくすることに参加してみようかなと思ってくださるようになったのなら、著者としてこれ以上うれしいことはありません。
そう、東京湾って本当にすごいんです!
木村尚(きむら・たかし)
1956年神奈川県生まれ。海洋環境専門家。東海大学海洋学部海洋資源学科卒。東京湾の再生活動を続けながら、日本全国の海と海辺の再生に尽力。NPO法人海辺つくり研究会理事(事務局長)、東京湾の環境をよくするために行動する会幹事、MACS取締役、エンジョイ・フィッシャーマン取締役、森里川海生業研究所取締役、金沢八景-東京湾アマモ場再生会議、東京湾再生官民連携フォーラム委員など、多数の市民活動団体に参加協力。編集協力に自然再生を推進する市民団体連絡会編『森、里、川、海をつなぐ自然再生』(中央法規出版)、磯部雅彦編『江戸前の魚喰いねぇ! 豊饒の海東京湾』(東京新聞出版部)など。