岩手県の男子生徒が自殺した事件をうけ、いま学校が揺れています。
2年前の「いじめ防止対策推進法」の施行を受け、生徒が通っていた学校では、いじめを早期に見つけるべく、その日を振り返って書く「生活記録ノート」を活用する方針を示していたようです。そして実際、生徒はノートに「そろそろ休みたい。氏(死)にたい」「もう市(死)ぬ場所はきまってるんですけど」などと書いていましたが、それでも自殺を食い止めることができませんでした。
いくつかの施策が用意されながらも、解決することが出来なかった教師。そして「いじめが起きていたとの認識はなかった」と説明する学校。このような状況が生まれたのはなぜか? 今回の事件について、7月に『教師はサービス業ですー学校が変わる「苦情対応術」』を刊行されたばかりの"苦情・クレーム対応アドバイザー"、関根眞一さんにお話をうかがいました。
中央公論新社 吉岡宏
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『教師はサービス業です』が刊行されたばかりということもあり、今回たくさんの方から、この問題をどう考えるのか、問いあわせをいただいています。
先に一つだけ申しておきますと、私は起きた問題が「苦情」かどうか見極め、それにいち早く、適切に対応するための方法については、専門家として助言をすることが出来ます。しかし生徒の自殺やいじめに関しては、これまで意見することをあえて避けてきました。
その理由は、いじめ問題にはその専門家が存在し、またそれらを専攻とする教授などが多くいるからです。そもそも、こういった事件は、大前提として一人で判断・思考するのは避けるべきだと考えています。
しかし今回の担任が、または親が相談をしてきたならば、その解決法をいくらでも考えたことでしょう。そして、新新・学校保護者関係研究会(通称:イチャモン研)のメンバーなどにも相談をし、指導をもらい、そのうえで解決を試みたことだと思います。
いったいなにが問題で今回の悲劇的な事件がおきてしまったのでしょうか? 実は、その理由は"はっきり"と見えています。
問題として考えられる点、その一つ目として、もちろん担任教師の姿勢があるでしょう。ノートでのやりとりをテレビや新聞、週刊誌でご覧になった方は多いでしょうが、文から読み解くかぎり、きちんと生徒に向き合い、心を通い合わせた形跡は私には感じられませんでした。たしかに対話自体はあっても、核心をぼかしていたように思われてなりません。
そしてもう一つはほんとうに学年主任に教頭、校長も事実を知らなかったのかが、あやふやになっていること。これについては、事実関係がはっきりしていないので、しっかりと調査していただきたい。
7月7日の記者会見では、校長が「ノートの内容について、担任から報告が無かった」と言い、13日現在、担任が学年主任などに相談をした形跡はないと言われています(しかも担任教師はその7日から学校を休職)。
しかし町の教育長が「いったん解決したかのように見えたが、続いていた」と発言をしている。となれば学校側には、以前からいじめがあったと知っていた可能性が残ります。
みなが知っていての結果だったのか、それとも担任が周知しようとしなかったのか。その事実によって、問題の捉え方は大きく変わります。
さらには文科省などにも問題があるかもしれません。2013年9月に施行された「いじめ防止対策推進法」に於いて、いじめ撲滅に向けた新たな制度作りが全国の学校で進み、今回の学校でも制度を導入しています。しかし現実には、生徒へのアンケートなどは遅れ、その中には死亡した生徒の苦しい訴えも残っていた。さらに保護者へのアンケートも実施することになっていたが、まだ出来ていないという。
文科省は指示を出すだけでよかったのか、県の教育委員会はきちんと業務をこなせていたのか、町の教育委員会は何をしていたのか。経験や技術の蓄積や、解決するためのシステムももたない管理部隊なら不要です。このようなことでは、まだ記憶にあたらしい、大津市での事件での経験もまったく無駄になってしまうことでしょう。
報道を見る限りですが、この生徒は自分からも暴力で対抗したようです。しかし相手が多かったのか、力が足りなかったのか、それも及ばなかった。頼った相手も、その悩みを解読しきれなかった担任や祖父だけだったとしたら、たいそうな無念さがあったことでしょう。
ここからは私ごとで申し訳ないのですが、私には孫がいます。一番上の孫は、自殺した生徒と同じ、中学2年生なのですが、彼に会うたびに「いじめられていないか」と私はたずねています。彼の「いじめられてなんかいねーよ」といった表情から判断するのですが、ついでに「いじめていないだろうな」と問います。さらには「でも、悪い奴がいたら立ち向かえよ」とも。私はきっと悪い祖父なのでしょうね。
とにかく祖父の立場として一番恐れているのは、いじめのような、ほんとうに無駄で無益なことで、孫を失いたくないこと。それが親なら尚更なことでしょう。生きている孫や子と話し、触れることこそが、わたしが生きている証。それらが失われれば、きっとまるで死んだように気力が萎えてしまうはずです。
今回の事件でもっとも驚いたことがありました。死を意識すれば、誰でも少なからず精神に錯乱をきたす、と思っていたのに、13歳の彼はそれを見出しながらも、正気を保ってノートに書き記していたことです。
もちろん死の意味は理解していただろうから、「死」を死と書くのは怖かったからか、ネットスラングをなぞって『「氏」んでもいいですか』とし、『「市」ぬ場所は決まっています』と書いたようですが。この文章を読んだ大人たちはどれだけその意味を解読できていたのでしょう。その裏に隠された恐怖をきちんと読み取れなかったとすれば、これは大変な問題です。
また、この学校では、同級生でやはりいじめにあい、すでに不登校になっている生徒がいると新聞記事などで報道されはじめています。そういった背景から、今回のいじめの芽を見抜くことができなかったことも大変に残念でなりません。
学校では1週間連続して休むと指定の届け出を出すようになっているようですが、そこからの対応には、実は地域差が大いにあります。たとえば関西方面では、不登校の生徒がいれば、その自宅に担任が朝出かけ、学校へ連れてくるところも多いと聞きます。関東以北ではどうかといえば、体面を重視する風土からか、それはほとんどみられません。家庭訪問の回数などにしても関東と関西では大きく違います。"不登校"が発生した場合、その事実を学校がどう捉えるかについても、今後は一考する余地がありそうです。
そろそろ結論を書き記しましょう。今回の事件の背後にある最大の問題、それは、今回の新書にも書いた、学校に根強くはびこる「事なかれ主義」の問題なのは確かです。
これが害をもたらすのは、もちろん学校に限ったことではありません。ただし私が「苦情対応」を取り扱う分野、たとえば「サービス業」の業界基準を照らし合わせれば、「事なかれ」はまったくのご法度。苦情対応は「絶対に嘘を言わない」ことこそが鉄則であり、最短の解決策となるからです。
また、苦情対応では、問題を起こしたほう、訴えたほう、すべてに誤りのない理解が求められます。これらが十分に備わっていれば今回の事件も、最悪の結果を迎えることは無かったかもしれません。だからこそ、すでに技術が研ぎ澄まされたそちらの分野を学び、ときに「教師はサービス業」として開き直って、その技術やノウハウを共有していただきたいのです。
保護者や生徒の心理をしっかり読めるようになるには、場数と経験の蓄積、そして教師間の情報共有が大事になります。そしてその方法は拙著にすべて書き記しました。書店で手にとってご覧いただければ幸いです。
関根眞一:1950年埼玉県生まれ。苦情・クレーム対応アドバイザー。西武百貨店に入社後、26年間販売を経験したのち、お客様相談室長、店舗教育部長などを務め る。その後、歯科業界関連会社事業本部長などを経て、クレームアドバイザ ーとなる。著書に『日本苦情白書』(メデュケーション)、『苦情学』『苦情学 2』(恒文社)、『となりのクレーマー』『ぼくが最後のクレーマー』(中公新書 ラクレ)、『苦情対応実践マニュアル』(ダイヤモンド社)、『なぜか怒られる人 の話し方 許される人の話し方』(青春出版社)ほか多数。NPO法人「地域医療の連携を進める会」理事長。新新・学校保護者関係研究会の委員などを務める。