東アジア情勢に詳しいフリージャーナリストの中島恵さんの著書、『なぜ中国人は日本のトイレの虜になるのか? 「ニッポン大好き」の秘密を解く』。

 丁寧な取材と筆致で中国人の実態を描いた内容は、おかげさまで2015年4月の刊行以後から今まで好評をいただいています。そこで今回、2月8日からの春節(旧正月)を前に、あらためて同書よりプロローグの部分を掲載させていただくことにいたしました。
 
 メディアから流れる「爆買い」から伝わるパワフルな彼らと、何気ない日本の「日常の質の高さ」にこそ、あこがれを抱く彼ら。同じ中国人かもしれませんが、その姿は実に多様。

 今年も大挙して押し寄せるかもしれない前に、あらためてその真実の姿に触れてみてはいかがでしょうか。

中央公論新社 吉岡宏

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

プロローグ

スーツケースの中は日本製品で満杯に

「北京に帰るたびに、もう大変な荷物なんですよ。
日系の航空会社では無料で預け入れできる荷物は一人二三キロのスーツケース二個までとなっているのですが、私と夫は一週間にも満たない滞在のために、それぞれスーツケースを二個ずつ満杯にして持って帰るんです。
だから帰省するだけでヘトヘトになるんですよ」

 二〇一四年一〇月のまだ暑い日。東京に住んでもうすぐ二〇年になる中国人女性、馬萍(四〇歳)はこういって口をとがらせる。

 馬は父親の仕事の関係で九三年に来日。日本の大学院で学んだあと、教職に就いている。夫も中国人で共働きだ。
毎年夏休みと春節(中国の旧正月)の時期を中心に、年に数回中国に帰省しているが、最近、親戚や友人から頼まれるお土産の量が急激に増え続けているという。

「人気があるのは、コシヒカリやあきたこまちなど日本産のおコメですね。
五キロずつ買うと四つ買っただけでスーツケースがいっぱいになってしまいますが、重くても買っていきます。食品ならば、ほかに味噌、インスタントラーメン、チョコレート菓子も人気。コンビニで売っているもので十分ですよ。
日本のお菓子はたとえ一〇〇円のものでも中国のお菓子よりもずっとおいしく安全なのですから。日本の食品を持っていけば、誰でも飛びあがって大喜びです」

 馬はこういいながら、夏休みに買って帰ったものを指折り数え始めた。
ドラッグストアで買える胃腸薬、目薬、爪切り、熱を下げるシート、蒸気が出るアイマスク、化粧品、ハンドクリーム、高機能のフェイスマスク、紙オムツ、粉ミルク、生理用品、使い捨てカイロ......。最近はシャンプーやリンスに整髪剤、歯磨き粉、皮むき器に食品保存用のラップまで頼まれることもあるとか。

「えっ、そんなものまで?」と仰天するが、馬は涼しい顔でこういう。
「そりゃ、やっぱり日本のほうが品質がいいんですよ。
日本に旅行に来て一度でもいいものを使ったら、もう手放せないそうですよ。壊れないし、中国よりも断然安いし。みんな好きな銘柄をメモしたり、スマホで写真を撮って、その画面を見せてくるので、私も"指名買い"してあげるんですよ」

 なんだか行商人のような大変さだが、周囲の期待に応えている満足感からなのか、表情は明るく、まんざらでもなさそうだ。彼女が大変な思いをしてまでお土産を運んでいくと、みんな大歓迎で迎えてくれるという。

ときにはシャンプーひとつのお礼として、代金に加えて「まるで満漢全席のようなフルコース」や「日本円にして数万円はする高級料理」をご馳走してくれることもあるというから驚きだ。


日本製品に対する全幅の信頼

 昨今、円安元高や中国の経済成長を背景に、日本を旅行する中間層以上の中国人観光客が急激に増加している。

 二〇一二年九月に中国で反日デモが起きて以降、中国人の日本旅行は一時大幅に激減したが、日本政府観光局(JNTO)の調査によると、一年後の二〇一三年九月にはプラスに転じ、前年同期比二八%増となった。それ以降はずっとプラスで推移しており、二〇一四年一月~一〇月までの合計は約二〇一万人と、前年同期比八〇%もプラスとなっている。
全外国人の中でも中国人がダントツでトップだった。

 二〇一四年一〇月の国慶節(中国の建国記念日)休暇を目前にした九月には、上海にある日本国総領事館にはビザ発給を求める人々が殺到し、担当者が休日返上で書類をさばいていたほどだ。

 最近とくに繁華街や観光地で大勢の中国人観光客を見かける、という人も多いのではないだろうか。彼らが日本で「爆買い」している姿は日本のメディアでもたびたび報道されている。
日中を往復するビジネスマンも、ここ一年ほど、中国人の同僚や友人から買い物を依頼されることが増えているという。だが、これほど経済発展が著しい中国なのに、
どうしてそこまでして日本製品を欲しがるのだろうか。しかも小さな日用品まで......と不思議に思う人もいるだろう。

銀座ラオックス前.jpgのサムネール画像

銀座の家電量販店、ラオックス前の中国人たち。見るからに物欲旺盛だ(著者撮影)

 彼らが日本製品を欲しがる理由はいくつかある。まず中国中どこを探しても手に入らない、高品質で廉価な商品が日本にはあまりにもたくさんあるということだ。
 中国人の定番のおみやげのひとつとなっている製薬会社が製造する熱を下げるシートは、中国で生産してはいるが、販売されてはいない。同様に、最近人気が出ている患部に塗る液体絆創膏も中国には類似品すら存在しない。

 日本に旅行に来たり、日本に住む中国人がブログや微博(中国版ツイッター)で商品のよさを紹介していくうちに、クチコミを重視する中国人の間で広まり、「世の中にこんなに便利なものがあったのか」「自分も欲しい」といって人気に火がついたのだ。

 外国人の売上高が全体の一〇%にも上る東京・銀座の老舗百貨店でもよく中国人観光客を見かけるが、ここではある小さな国内メーカーの化粧品の売れ行きが非常にいいという。とくに薬用化粧水(八五〇〇円、税別)の人気が高く、大型連休のときなどには飛ぶように売れている。

 以前は中国にも店舗のある有名ブランドの化粧品が売れていたが、最近では「こだわりのある日本人が好むもの」や「より自然派志向で身体によいもの」、「他の人がまだ持っていない希少価値のあるもの」に人気が出てきている。
二〇一四年一〇月、日本では外国人対象の免税制度が変更となり、食品や化粧品など幅広い日用品も免税対象となったことも追い風となったようだ。

 団体旅行客がよく訪れる東京・秋葉原の家電量販店本店の二〇一四年秋の売れ筋商品トップスリーは化粧品、医薬品、ステンレスボトルの順だった。

 高級炊飯器やカメラなども売れているが、大量に買うおみやげに適しているのはこの三つで、とくにステンレスボトルは温かいお茶をいつも携帯する中国人に重宝されている。中国にも簡易的なボトルは売っているが、日本製品ほど密閉性があり、デザイン性に優れているものは見当たらないと評判だ。

 他に彼らが日本製品を欲しがる理由は「日本製は安全、安心」という定評と信頼感が中国人の間にも幅広く伝わっていることが挙げられる。

 自分の国を振り返ってみれば、食品偽装がまん延し、大気汚染も深刻さを増している。PM2・5(微小粒子状物質)が深刻な北京など北方や内陸部では、ときには数メートル先が見えないほど視界が霞み、咳き込む人が後を絶たない。

 どんなに撲滅しようとしてもニセモノが横行する中で、「中国製品は信頼できない」「本物ではないかもしれない」「何を食べても不安だ」と生活上の不安を口にする中国人は非常に多い。
だから、以前よりは比較的自由に海外に出られるようになった今、中国よりも何十年も前に経済発展し、高品質な商品や食材を売っている日本に大挙して押し寄せている。
自ら"日本"を体験することによって、日本製品のよさを強く実感しているのだ。

 中国人の海外旅行者は九八年には八四〇万人だったが、二〇一四年には一億人を突破。この一六年間でなんと一〇倍以上に跳ね上がった。行き先で最も人気のある国のひとつが日本だ。

 しかし、考えてみれば不思議な現象なのだが、日本で売られている商品のかなりのものは"メイド・イン・チャイナ"だ。来日した中国人は中国で製造されたものをわざわざ日本まで来て買っていることになるのだが、前出の馬は「パッケージに日本語が書いてあって、日本のちゃんとした店で販売されているということに中国人は安心するんですよ。逆にいえば、もしメイド・イン・ジャパンと書いてあって日本語の表示があっても、中国国内で売られているものは信用できない。
もしかしたら、日本国内で売られているものとは違う二級品なのではないか、と疑っている人もいます」と話す。

 日本企業の厳しい品質管理をクリアした商品であれば、たとえ中国製であっても大丈夫だと思っている。それほどまでに、中国人は日本製品、そして日本人のモノづくりに全幅の信頼を置いているのだ。

白い恋人.JPGのサムネール画像

お土産として人気なのが「白い恋人」。それを反映してか、店頭に山積みにおかれていた(著者撮影)

日本のすばらしい日常生活に感嘆の声

 物質だけではない。来日したほとんどの中国人が驚くのは、日本人が意識せず、何気なく送っている日常生活の質の高さである。

 これから本章で具体的に述べていくが、中国では「日々の暮らし」そのものが日本人には想像できないくらい過酷で不便だ。中国人にしてみれば「不便なことが普通」であり、これまで外国と比べてみる機会はなかったわけだが、日本に来てみて初めてその違いを知り、愕然とする。

 上海に住む私の友人の親戚夫婦も今年初めて日本の地を踏んだ。
四泊五日のツアーで箱根や東京ディズニーランド、アウトレットショップなどを駆け足で巡ったが、最も印象に残ったのはショッピングではなく、日常の風景だと語ったという。
 親戚夫婦の声を友人が代弁する。

「成田空港に降りてまずびっくりしたのは、緑豊かな田園風景や点在する立派な家々だったそうです。
東京郊外とはいえ、上海の郊外とは比べ物にならないほど自然が多く、上海ではめったに見られないきれいな青空が広がっていること。町にはゴミひとつ落ちていないのに、ゴミ掃除をしている人を見かけないこと。駅や高速道路のサービスエリアのトイレが(中国人の目から見ると)まるでホテルのトイレのように清潔であり、どこにでもトイレットペーパーが設置されていること。レストランでは店員がみんな笑顔で、呼べばすぐに駆け寄ってきて、中国人だからといって差別しているようには見えないこと。信号が青になったら一斉に整然と渡り秩序があること......。

 日本人にとってはすべて『当たり前』のことでしょうが、そうした何気ない景色にものすごく感動したそうなんです」

「これが本当にあの(戦争した相手で、長い間歴史教育で学んできた)日本という国......なのか?」と驚き、その興奮は帰国後、数カ月もの間冷めやらなかった、と友人は笑いながら話してくれた。

温水洗浄便座.JPGのサムネール画像

昨年の春節、彼らが買いまくったのが高級便座だった。店頭には中国語表記が見られる(著者撮影)

 このようなエピソードは枚挙にいとまがなく、日本を訪れた中国人のブログやツイッター上で、日々大量に更新されている。昨今は「日本の青い空とおいしい水に大喜びする中国人」という情報は日本でもずいぶんと喧伝されるようになったが、今も続々と来日する中国人たちは、まさしく同じ言葉を発し、同じように驚いては帰っていく。日本人にとっては「えっ、そんなことで?」と驚かされる話だが、この夫婦と同様、来日して「日本観」が一八〇度変わったという中国人は少なくない。

 それまで中国で報道されてきた情報に基づいて人々の頭の中で形成されてきた「日本像」と、実際の日本があまりにもかけ離れていることに中国人は驚き、ため息をつく。
 そして、ますます日本に関心を抱き、「もっと本当の日本を知りたい」と思うのである。

 大げさだと思うかもしれないが、私は多くの中国人からこうした「イメージと実像のギャップ」にまつわる率直な感想や意見を幾度となく聞かされてきた。

メディアで増幅される「反日国家」中国のイメージ

 一方でその逆はどうであろうか。日本のメディアで喧伝されている中国像は、果たして中国の実像とイコールのものなのだろうか。

 私自身、中国各地を頻繁に取材する過程で大勢の中国人と語り合ってきたが、その経験からいえば、答えは「NO」である。

 しかし、私が中国で出会った人々の話を日本でありのままに語っても、なかなか信じてもらえない。メディアに影響され、強いバイアスをかけて「中国」という国を見てしまいがちだからだ。もしかするとそのギャップは、中国人が想像する日本とその実像の差よりも、ずっと大きいのではないかと感じている。

 二〇一〇年、中国は日本のGDPを追い越し、世界第二位の経済大国となった。
ちょうどその頃から、中国は尖閣諸島における挑発行為や東南アジアでの勢力拡大を狙う動きを活発化させている。世界での存在感が日増しに大きくなっていく隣国の姿は勇ましく、ときに傲慢で横暴にさえ見える。

 猛烈なスピードで巨大化し、「中国式」の独自のやり方で世界を巻き込んでいく隣国に対し、日本人はどう向かい合い、どのように接してよいのかわからず、戸惑ったり怒ったり、対抗意識を燃やす人もいるのではないだろうか。

 また、日本では「このまま中国に差をつけられ、日本は沈んでいくのか」という不安や焦りが広がっており、それが両国関係をぎくしゃくさせるひとつの要因にもなっている。

 だが、中国の巨大化と中国人の日本への優越感の増長は、中国政府の虚勢や双方のメディアによる影響が強く、生身の中国人たちと膝を突き合わせて話してみると、印象はまったく異なる。

 むしろ、中国人の日本に対する思いは、前述してきたように「安心で安全な暮らし」へのあこがれにあるが、その中には大国になった自信がある半面、「これほど経済成長しても世界からまだ大国として認めてもらえない」というコンプレックスや自国への不満・不信感、そして「バカにされたくない」というプライドも潜んでいるという、非常に複雑なものである。

 不安や焦りを抱えているのは、むしろ中国人の側なのだ。
 図体は大きくなり、日増しに声も大きくなっているように見えるが、まだ中身は発展途上の段階にあり、不安定だ。中国人はGDP世界第二位に見合った暮らしをしていないし、中国人自身もそれができないことに大きな不満やストレスを感じている。

 そんな中国人の目には「日本は成熟した、落ち着いた国」だと映っており、この先どれだけ経済成長しても「日本の暮らしには決して追いつけない」というのが彼らの本音だ。
 
浅草寺前の観光客.JPGのサムネール画像

浅草寺の雷門前は外国人観光客にとっての人気撮影スポット。いまや彼らを見ない日は無い
(著者撮影)

 この事実と認識の差をほとんどの日本人は実感していない。
 それどころか、日本人は中国人の暮らしについては、ほとんど無知・無関心ではなかっただろうか。双方が特定の政治経済のニュースだけでお互いの国を判断してきたことが、両国民の誤解を広げ、不幸な関係につながっているのではないか、と私は考えている。

 だから「ニュースとして報道されない日々の暮らし」の実態を知れば、もっと冷静になれるはずだ。そして日本人は、自分たちがいかに恵まれた国で生活し、幸せな日々を送っているのかに気づき、得体のしれない隣国に対する「漠然とした不安」も払拭されるのではないだろうか。

中国政府と国民一人ひとりの考え方は違う

 そのため、本書では「中国人の日常」や「日本に対する本音」を普通の中国人への取材を通して具体的に紹介していきたいと思っている。
 私が定義する普通の中国人とは、超富裕層や農民工(出稼ぎ労働者)などを除いた市井の人々、という意味である。

 広大な中国は日本の何倍もの知的階層、経済的階層があり、その上に地域性、年齢差、民族などが加わるため、一口に「中国人」と一括りにすることができない。中国をどんなにくまなく取材しても「全体の平均値」を取ることは不可能だ。「本音」を聞き出すには相手との人間関係の構築が不可欠であり、そういう意味でも、私が以前から接点のある信頼できる中国人たちや、その友人・知人らにじっくり話を聞いたことをお断りしておく。

 豊かな時代に生まれた中国の若者たちは日本に対するネガティブなイメージはほとんど持っていないし、三〇代から六〇代の中国人と話していても、政府の公式見解とは異なる驚きの発言が次々と飛び出す。
 メディアに惑わされず自分の意見を堂々という中国人の率直さに、こちらのほうが面食らい、バイアスをかけて相手を見ていなかっただろうか、と反省させられた。

 今年は先の戦争から七〇年目という節目の年だ。
 中国政府は反ファシズム戦争勝利七〇周年として対日強硬姿勢を貫いているが、国民一人ひとりの考え方もまったく同じかといえば、そうではない。
 一見しただけではわからないが、これほどまでに高度に均一化した社会のように見える日本でさえ、右から左まで様々な考えを持った人がいるのと同様に、中国人はもっとバラバラで、多種多様な意見を持っている。

 日本については、歴史認識や領土問題の面において、厳しい意見を持っている人も多いが、だからといって、日本のすべてを否定しているわけではない。
 島国で、何ごとも一対一で真正面から向き合おうとする一本気な日本人とは異なり、一〇カ国以上と国境を接する多民族国家に住む中国人の考え方は柔軟で複眼的だ。メディアで発信されている中国情報に惑わされ、「きっと相手はこう考えているのだろう」という不確かな憶測で相手を判断するのではなく、何ごとも直に聞いてみなければ、物事の真相は見えてこない。

 手垢のついた先入観やステレオタイプの中国人像を捨てなければ、今、隣国で起こっているダイナミックな変化を理解することはできない。
 お互いの「等身大の姿」を素直に受け止めるところから、きっと新しい関係を築く第一歩が踏み出せるはずだ。

・本文の年齢は取材当時のものである。
・登場人物の名前は一部仮名にし、敬称略とした。
・為替相場の変動が大きいため、二〇一三年二月から二〇一四年一二月
までの各取材時期に合わせて一元=一六円~一八円と幅を持たせた。

中島恵 

1967年、山梨県生まれ。北京大学、香港中文大学に留学。新聞記者を経て、1996年よりフリージャーナリスト。中国、台湾、香港、韓国など、東アジアのビジネス事情、社会事情などを執筆している。著書に「中国人の誤解 日本人の誤解」、「中国人エリートは日本人をこう見る」(ともに日経新聞出版社)、「なぜ中国人は日本のトイレの虜になるのか?」(中公新書ラクレ)「爆買い後、彼らはどこに向かうのか?」(プレジデント社)など。