「レアルとバルサの対立は巨人と阪神のライバル関係みたいなものだろう」。サッカーファンでもそう思っている人が多いのではないでしょうか? 
 
 違います。この2チームの対立関係は、近代スペイン史、民族問題を抜きには理解できないのです。

 そこでサッカーを軸に現実味を帯びてきたスペインの民族独立問題を解説した、『レアルとバルサ 怨念と確執のルーツ――スペイン・サッカー興亡史』を執筆された田澤 耕さんにお話をうかがいました。

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カタルーニャが独立したら「バルサ」はスペイン・リーグでプレーできるのか?
 ―サッカーと民族、サッカーと政治

 スコットランドの独立問題は日本でも大きな注目を集めました。そして、それに引き続いて、カタルーニャのスペインからの独立にも関心が向いています。

 本当に独立するの?バルセロナがスペインではなくなってしまうの?―その行方はいまだ不透明で、英国とスコットランドのようにすっきりした形で落ち着くのは難しいようです。

 さて、仮にカタルーニャが独立した場合、バルサはスペイン・リーグでプレーできるのでしょうか。

 まず結論を言ってしまいましょう。全然問題ありません。サッカー・クラブは私企業であり、外国のリーグに加盟することもできます。モナコがフランス・リーグに参加していることを見てもそれは明らかです。バルサが望むならば、たとえカタルーニャが「外国」となってもスペイン・リーグに残留することはできます。

 いずれにせよ、このことであらためて明らかになったのは、サッカーは政治と無関係ではないということです。とくにスペインのように複数の民族からなっている国では。

 そうです。実はマドリードの人々と、バルセロナの人々とは異なる民族なんです!カタルーニャ人の母語はスペイン語ではなくカタルーニャ語です。スペインの代名詞となっているフラメンコや闘牛は、カタルーニャではまるで不人気。闘牛にいたっては、最近、禁止されてしまいました。

 それだけではありません。1939年から約40年にわたって続いたフランコ独裁政権は首都マドリードから、カタルーニャ文化を徹底的に弾圧しました。先立つ内戦中にフランコ側と敵対していたからです。カタルーニャ語の使用が禁じられ、名前さえスペイン語に変えさせられました。この間、バルサは、カタルーニャの人々の心の支えでした。カンプ・ノウ・スタジアムは唯一、おおっぴらにカタルーニャ性を発揮できる場だったのです。

 レアル・マドリードとバルサの試合はエル・クラシコと呼ばれ、毎回大変な盛り上がりです。しかし、それは、阪神・巨人戦に見られるような単純なライバル感情ではないのです。民族間の確執、歴史に根差した怨念、そんなものが吹き出しているのです。

 このように見ると、エル・クラシコがまた一味違ったものに見えてきませんか? その背景をもっと良く知りたい方は、ぜひ拙著「レアルとバルサ 怨念と確執のルーツ」をお読みいただけたらと思います。また、さらに昔にさかのぼってみたいという方には「物語 カタルーニャの歴史」(中公新書)をお勧めします。

田澤 耕 1953年横浜市生まれ。一橋大学社会学部卒業。東京銀行勤務を経て、大阪外国語大学にて修士号取得。バルセロナ大学大学院にて博士号(カタルーニャ語学)取得。法政大学国際文化学部教授。専門はカタルーニャ語・カタルーニャ文化。2003年カタルーニャ自治政府より「サン・ジョルディ十字勲章」を、2009年外務大臣表彰を受ける(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)