思い出すあの頃...... 

 「洋食 一新亭」店主がフライパンをカメラに持ち替えて、撮り続けた東京下町風景。

 江戸っ子の語り口とともに、懐かしいあの時代へと誘われる一冊。

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 この本は、読売新聞都民版に毎週水曜連載中の「秋山武雄懐かし写真館」から選りすぐりの72本をまとめたものです。
 
 連載が始まったのは2011年12月。2019年3月には300回を数えました。
 
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有楽町そごう(1957年)

 私の本職は洋食店店主です。料理人がなぜこんなに写真を撮っているのか、なぜ新聞に連載を書いているのか。ここで私とカメラのこと、そして連載を始めることになった経緯を簡単にお話しておきたいと思います。
 
 私がカメラを始めたのは15歳です。小遣いをはたいて月賦で買ったのが始まりでした。見様見真似で撮り始め、すぐ面白さに取り憑かれました。18歳、写真を撮り続ける条件で家業の洋食店に入り、その後は、仕込みが始まる前の早朝、自転車で行ける所ならどこへでも出かけて撮影する日々を過ごしました。
 
 下町の街角や庶民の日常を切り取ることが面白く、来る日も来る日も夢中で撮っていたらあっという間に65年が経っていました。今見返すと、これらの写真は図らずも戦後の復興の記録となっていました。
 
 撮り溜めたネガは数万枚あり、82歳になった今もカメラは手放せません。もう写真と洋食店のどちらが趣味でどちらが本業なのか、分からないくらいです。

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夜の銀座晴海通り(1966年) 

 そんなカメラバカの私に目を付けてくださったのが、読売新聞の記者・吉池亮さんでした。吉池記者は2011年秋、銀座で開いた私の個展をご覧になり、すぐ私の店に飛んできて、「この写真を新聞で紹介したい」と熱く語りました。
 
 この頃私は写真家としても活動していたのでありがたいお話だったのですが、文章はまったくの素人。記事が書けるか不安でした。でも吉池さんが「硬い文章ではなく江戸っ子らしい語り口調で書きましょう。記者が手伝います」と言ってくれ、挑戦してみることにしたのです。
 
 それからは、新聞報道やお客さんとの会話をヒントに古い写真を数枚選び、担当記者と原稿を書くという作業が私の生活に加わりました。今では新聞を手に「読んだよ」と遠方から来店してくれる方も増え、ありがたく思っています。

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上野動物園のモノレール(1957年)
 
 本では、多くの人々に懐かしく感じてもらえるような写真をまとめたつもりです。ご自分のふる里や家族のことに思いをはせ、心温まる時間を過ごしていただけたら幸いに思います。
  
 2019年5月                        秋山武雄

『東京懐かし写真帖』

秋山武雄:1937年生まれ。台東区浅草橋在住の写真家。洋食店「一新亭」を営むかたわら、15歳の頃から趣味で、都内を撮影し続けている。アマチュアカメラマンらでつくる写真集団「むぎ」代表。代表作に写真集『昭和三十年代 瞼、閉じれば東京セピア』などがある。