「平成」から「令和」への改元とともに即位した新天皇。

 皇太子時代のお妃選びの時期から長年にわたって密着取材を行ってきた著者は言う。

 ご成婚までの長い道のりや、お世継ぎ問題、雅子さまの流産と適応障害、愛子さまの不登校――と、陛下は家庭にいつも課題を抱え、特に不協和音を生みながら、雅子さまと話し合って乗り越えてきた。人々の悩みや苦しみを自分のことと受け止められることは、大きな強みになるに違いない、と。

 新天皇の知られざるエピソード満載の本書の「はじめに」をご紹介!

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はじめに

 2019年5月1日、第126代天皇に徳仁親王が即位し、元号が平成から令和に改まった。憲政史上初めての、先の天皇の生前退位による代替わりである。

 28歳の時に昭和天皇の崩御により浩宮から皇太子となり、31歳の誕生日の日に「立太子の礼」で次の天皇であることを内外に宣明したプリンスも、還暦間近の59歳。先の天皇陛下が即位した年齢を4歳上回っての即位となった。
 旧習を改めて親元で育てられ、幼稚園から一貫して学習院に学び、英国に留学。意中の雅子さまと結婚し、夫となり父となって、日々の公務や水問題、中世の歴史研究に取り組んできた。

 その道のりはしかし、決して平坦なものではなかった。お世継ぎのプレッシャー、今に続く雅子さまの「適応障害」、愛子さまの不登校、先の陛下とのコミュニケーション......。

 病状を知ってもらおうとした「人格否定発言」では、記者会見という公の場で弟の秋篠宮さまや先の陛下から意見され、天皇家の不協和音が露わになった。振り返ると、その発言は雅子さまの病状の深刻さを訴える〝緊急避難〟であり、婚約の記者会見で明らかにされた「雅子さんのことは僕が一生、全力で守りますから」という約束を誠実に果たそうとした証しでもある。ひとつひとつの課題を乗り越えようとしてきた道のりは、結果として、人々の痛みを自らの痛みとして理解することができる天皇の資質を育んだようにも思える。

 「時代に即した公務」はすんなりとは理解されなかった。しかし、国連「水と衛生に関する諮問委員会」の名誉総裁として活動し、ビデオメッセージを含む計11回の講演を通して水問題の深刻さを訴え、日本国内よりむしろ海外で取り組みは知られている。

 その原風景はネパールで見た水くみにあり、世界では多くの女性が水を得るために家事労働から解放されず、学校に行くこともできずに地位向上を阻まれているという問題認識だ。水は使って汚しても水のままだから、問題はきれいな水から下水やトイレの衛生面に広がり、さらには津波など水災害に対する備えへとつながっていく。そこには水を通じて人々の暮らしを考えるという生活者の視点が感じられる。政治に関わらないように、言葉をオブラートに包みながら旗振り役を務めてきた陛下の思いは熱いが、日々のニュースにだけ目を向け、その取り組みをきちんとウォッチしてこなかった。それは筆者の反省である。

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 本書の執筆に当たって、誕生日会見や、外国訪問前の記者会見、水問題に関するおことば、さらに講演などを改めて読んだ。そこから見えてくるのは、世界の水問題の深刻さを知り、日本と世界との違いに焦燥感を募らせ、「新しい公務」として関わらなければならないという使命感のような強い思いだ。

 時代が「昭和」から「平成」に移った1989年の10月、皇太子妃取材が最大のテーマとなる中で、読売新聞社会部の「皇太子番」として「お妃」の取材チームに加わった。その後、遊軍記者、デスクとして雅子さまの適応障害や「人格否定発言」の取材に関わり、2005年2月から編集委員として再び現場に戻って間近で陛下を取材した。その期間は平成のおよそ半分、15年近くにもなる。

 間近に見る陛下は、ユーモアと笑顔でその場を和ます聞き上手の楽しい人だ。真面目でぶれない一途さ、芯の強さも併せ持つ。健康であろうとジョギングを欠かさないひたむきさも感じさせる。

 その素顔の一端に、見聞きしたエピソードを中心に、折々の発言などから内面に迫りたいと考えたのが本書である。

 初めに、筆者が現場で見てきた陛下の素顔の一端を紹介し、ご一家がオランダでの静養で笑い合ったわけ、雅子さまの適応障害などをたどり、ご結婚までのプロセスを見ていきたい。その上で、誕生から即位までのあゆみ、研究、山への想い、記者会見の発言からのぞく人柄、水問題への取り組み、皇太子時代の仕事を振り返り、「人間徳仁親王」に迫りたい。もちろん筆者の取材だけでは足りないから、ご自身の著作や講演、関係者の著作も借りた。成長の過程をたどると、親元で厳しくしつけられ、将来の天皇という立場を受容し、自らを磨いてきたひたむきな姿も見えてくる。

 皇室のあり方について、先の陛下は「国民と共にある皇室」を挙げてきた。新しい陛下は20代の時からそこに「国民の中に入っていく皇室」を加え、そのために人と接する機会を作りたいと語ってきた。いつも国民と一緒にあろうとする姿勢は同じでも、先の陛下は「状態」、新しい陛下は「動き」を言っており、新しい陛下により強い思いが感じられる。

 その国民から離れて外国訪問に向かったことが一度だけあった。1995年(平成7年)1月。阪神大震災の3日後に始まった「中東三か国訪問」だ。「忍びない気持ち」という言葉を残して出発し、ヨルダンから2日早めて帰国したのだが、筆者はこの訪問に同行し、中東の砂漠地帯で苦悩する陛下を見た。新天皇の素顔を探ろうとする時、24年前の旅は極めて重要な局面と思われ、まずはそこからリポートしたい。

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『番記者が見た新天皇の素顔』

井上茂男:1957年東京都生まれ。皇室ジャーナリスト。元読売新聞編集委員。読売新聞社会部で宮内庁、皇宮警察本部、警視庁、警察庁などを担当し、警視庁キャップ、社会部デスクなどを務めた。1989年10月から1993年6月まで「皇太子番」として陛下の結婚を追うとともに、「即位礼」「大嘗祭」「立太子礼」なども取材。また、デスクとして、先の陛下の前立腺全摘手術や雅子さまの適応障害の取材を統括。2005年2月から2011年9月まで編集委員として再び宮内庁に常駐し、先の両陛下のサイパン訪問や東日本大震災の被災地お見舞い、新天皇ご一家のオランダ静養、ご夫妻の公務などを取材した。著書に『皇室ダイアリー』(中央公論新社)がある。