歴史学者として40年、一転、豊島岡女子学園の校長・理事長となり、難関大進学校への躍進を果たした著者。みずからも指針とした、名将たちの知力・戦略・先見性とは?
 本書では、信長・秀吉・家康をはじめ乱世を勝ち抜いてきた武将の言葉と行動から、著者の女子校経営者としての知見と実践に裏打ちされた、今に生かせる、マネジメントの極意を探っていきます。

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 まえがき

 私は若い頃から歴史を学んできたが、よく「歴史に学ぶ」という言葉が語られるように、いまや自分の思考や行動のすべてが、歴史から学んだことが基本となっているように思われる。つまりは何事をも歴史的な目、歴史観を持って、現在の自分や現代社会を見つめているということである。そうした歴史の中でも、いちばん興味深く、また身近に感じているのは戦国時代と武将たちの生き様である。

 戦国時代とは、室町末期から安土桃山時代にかけての社会動乱時代の俗称である。もともとこの言葉は、中国・周の威烈王から秦の始皇帝による天下統一までの割拠時代を戦国時代と称したのにならって、これを日本の乱世に当てはめたものである。

 それゆえ戦国時代の始期と終期の時代区分については諸説があり、必ずしも統一的ではない。けれども、広くは応仁の乱勃発を戦国時代の始まりとし、大坂夏の陣のいわゆる元和偃武をもって終わりとする見方が一般的である。そしてこの間に活躍した大名や豪族たちを、戦国武将と呼びならわしている。

 戦国時代は、様々な点で現代社会に通じ、また手本となるものが多い。中国には『三国志』や司馬遷の『史記』ほか多くの史書に英雄の活躍が見える。そしてそこには時代を超えて、人間としての生き方の知恵が詰まっている。

 これに較べて日本には、江戸時代以降に書かれた書物は沢山あるが、『太平記』のような物語的な史書は少なく、英雄の姿がみえない。そうした中で、戦国時代には武田信玄・上杉謙信・織田信長・豊臣秀吉・徳川家康をはじめとする武将が登場し、しかも古文書や日記・記録などの良質史料が多くなる。そして彼らの活躍や残した言葉の中に、現代人の苦難や挫折を乗り越えるヒントもあるだろう。

 戦国時代の魅力について問われたら、私は次の三つをあげる。まず、乱世の中で、人間の知力や戦略などあらゆるものがさらけ出されている実力主義の時代だという点である。家柄や血筋ではなく、知力・実力さえあれば伸し上がれるというのは、現代社会ともよく似ている。

 二つ目に、毛利元就も豊臣秀吉も、いわば個人商店から吸収合併を重ねて、大企業へと発展していった。これは現代にもよくある事例を思わせるようで、とても身近に感じられる。

 そしていま一つは、現代の大都市、地方自治体のルーツは戦国時代にあるという点である。すなわち大阪は豊臣秀吉、東京は徳川家康、仙台は伊達政宗、福岡は黒田長政、金沢は前田利家、その他人口十万以上の地方都市の多くが、戦国大名が開いた城下町に由来している。それが江戸時代に受け継がれ、現代に至っているというのも、じつに興味深い。

 私は日本中世史を専門とし、國學院大學で長年教鞭を執っていたが、2003年(平成15)、事情により中途退職して私立豊島岡女子学園の校長、ついで理事長を兼務した。もとより中高教員の経験がなく、学校運営も歴史が頼りであった。朝礼訓話は歴史を素材にし、時代風俗考証として携わったNHK大河ドラマの裏話などを織り交ぜてしのいだが、大変なのは教職員を動かす組織運営であった。

 國學院では文学部長の経験もあるが、大学は教授会が強いので、トップダウンは少なかった。それに大学というところは各学部・学科の独立志向が根強く、また専門以外のことに口を差し挟まないという風潮もあった。

 ところが校長になると、何事にも即断即決を迫られて指示を与えなければならない。そうした中での拠り所は、戦国武将の領国経営や生き様であった。学者や評論家の考えや見方などは、経験による裏付けのない空論が多く、現実離れをさえ感じていた。

 戦国時代は、常に戦争と死という極限状況にあったという点で、史上で最も過酷な時代であった。それゆえ中小領主である武将は、判断を誤れば自分だけでなく、家臣とその家族をも破滅に追い込む。

 いっぽう、現代の私立学校も少子化や公立志向の中で、いわば私学戦国時代のような情勢にある。それゆえ経営者としての校長・理事長には学校の生き残りとともに、教職員の生活と人生を守る責務がある。けれども幸いなことに、校長・理事長在職の15年間は改革と組織運営が順調に進み、世間からも躍進校との評価を得ることができた。

 そこで本書執筆の動機と、その主たる内容について述べておこう。そもそもは、『日経電子版』(2016年12月3日)に「東大合格、女子校トップへ 立役者は『大河』の歴史家」という4ページにわたる取材記事が掲載された。内容は、この年春の東大合格者が41名にのぼったことから、「戦国史の大家はいかにして都会の女子校をトップ校に変身させたのか」というものであった。

 これには反響があり、その一つに中央公論新社編集部から、これまでの経験・実践面の裏付けを活かして、戦国武将に生き方の知恵や指針を学ぶといった内容の本を書かないかというお話をいただいた。その時には、検討をしてみると答えはしたが、なかなか具体案は思いつかなかった。

 その後『文藝春秋』2017年4月号に、「戦国武将に学んだ学校経営」と題した巻頭随筆の執筆依頼を受けたことで、懸案の戦国武将本の構想が思い浮かんだ。題して『戦国武将に学ぶ究極のマネジメント』である。マネジメントとは企業や組織などの経営・管理を意味するが、特に組織と人を動かす極意を戦国武将に学ぼうというのが、本書の意図するところである。

 思えば、長年の戦国史研究を通していろいろなことを考え、学んできた。大きな壁や障害に突き当たった時、歴史の先人の処世に自分の行動の根拠を見出して乗り切ったことさえある。ことに校長・理事長として学校組織の運営、経営管理の責任を担う立場になってからは、それまで研究者として頭の中だけで考えていたのとは違う、厳しい現実社会の様々な問題に直面した。そうした経験・体験を踏まえて、戦国武将の生き様を改めて見直し、現代にも通じる生き方の知恵・極意といったものを示せればと思った。

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徳川家康とブレーンとなった天海。東京大学史料編纂所所蔵模写。

 本書の構成は5章からなる。第1章「時代を拓いた天下取り三人の頭脳」は、信長・秀吉・家康の三人が斬新なセンスと卓越した決断・行動力により新時代を拓いていったさまを概観した。「頭脳」としたのは、彼らの発想・思考いわば頭脳の構造は、並の人間とは桁外れに違っているからである。しかも3人合わせてもわずか35年ほどの短期間に、乱世を終息させて新時代を拓いた。そうした史上最強のヒーローに、現代の政治家やトップリーダーたちは、何を学ぶべきかという視点から考えてみた。ただしここでは時代を拓いた天下取りとしての事績にしぼり、個々の人材登用や人遣いなどは、第3章以降で扱っている。

 第2章「将たる器」は、人の上に立つ戦国武将としての器量・資質とその責務、そしてみずからの心掛けなどに目を向けた。戦国武将は一定地域を治める大名領主として家臣団を従え、人と土地をも支配していたから、その身分や環境は現代における大企業の経営者にもひとしい。

 戦国武将に関する史料は豊富で、しかも手紙が多くなる。平安・鎌倉時代には公文書が重んじられ、貴族や武士が私的な手紙(文書・仮名消息)を残すことは少なかった。それが室町以降になると、日常の私的な意思の伝達をも手紙で行うようになる。戦国武将の手紙が多くなるのもそのためである。彼らの手紙には、治にいて乱を忘れずといった武人の心掛けを述べたものや、主従関係のあり方、人の道を説いたものなど興味深いものが多い。

 こうしたことを、現代における経営の舵を取るリーダーの役割とは何かに結びつけて考えてみたい。生き残りをかけての先を読む目と決断する勇気、家臣に対する統率力・信賞必罰・人心収攬、それに義を重んじ、さらには情愛や思いやりの心、日常での学問と修養の心掛けなど、戦国武将の生き様に学ぶものは多いであろう。

 第3章「戦国大名の人材登用と育成」、第4章「名将の人を動かす極意」、第5章「働き方の知恵」は、文字通りの問題を扱ったものである。ここでは武家政権や大名家に仕え、勤務をしていた家臣団を、戦国ビジネス社会という視点からとらえたが、そこには現代社会にも通じる点が多い。ことに働く者の心理などは昔も今も大きな変わりはないのであろう。

 もちろん戦国武家社会と現代のビジネス社会とでは、時代による考え方の違いもあろう。しかし表面的な状況が変わっても、人が考える理想や真理の本質には、それほどの違いはないと思うのである。

 この中の戦国大名の人材登用や人遣いなどについては、自分の経験・体験を活かして、初めて理解し得たものも多い。ことに家臣に不満を抱かせない人事の扱い方や、細やかな人遣いの心得について語っている言葉などには、現代の組織運営にも通じるものがあり、私もその多くを学んでいる。これこそが、戦国武将に学ぶ究極のマネジメントと言えよう。それゆえ現代の企業・会社の経営に携われている方々にとっても、有意義なヒントが得られると思うのである。

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慈悲の心で理非善悪を判断した朝倉孝景。東京大学史料編纂所所蔵模写

『戦国武将に学ぶ究極のマネジメント』

二木謙一(ふたき けんいち):1940年、東京都生まれ。國學院大學大学院文学研究科博士課程修了。文学博士。専門は有職故実・日本中世史。國學院大學教授・文学部長、豊島岡女子学園中学高等学校校長・理事長を歴任。現在は、國學院大學名誉教授、豊島岡女子学園学園長。1985年、『中世武家儀礼の研究』(吉川弘文館)でサントリー学芸賞(思想・歴史部門)を受賞。NHK大河ドラマの風俗・時代考証は「花の乱」から「軍師 官兵衛」まで14作品を担当。主な著書に『関ケ原合戦』(中公新書)、『徳川家康』(ちくま新書)、『時代劇と風俗考証』(吉川弘文館)など多数。