石垣島出身の無名ボクサーが世界王者となった――。

 沖縄の日本復帰から四年。当時の沖縄の人々を勇気づけ、そして日本全土を熱狂に包んだのが現在タレントとしても活躍されている、元ボクサーの具志堅用高さんです。
 
 しかし実は彼がデビューした一九七〇年代後半、日本ボクシング界は危機的な状況にありました。

 「ボクシング冬の時代を救った男」が体験した夢のような沖縄期、緊張に晒され続けたボクサー時代、引退後のタレント活動、そして世界王者を育て上げたジム運営。無我夢中で進んできたその道を、縦横に語った新刊『負けたくなかった―具志堅用高、波瀾の半生を語る』より"はじめに"をご紹介いたします。

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■はじめに

 二〇一七年(平成二九年)初夏、『読売新聞』編集委員の西田浩氏から、「時代の証言者」という、自分の半生とその時代を語る連載企画に登場してほしいと依頼があった。

 その直前、僕が経営する白井・具志堅スポーツジムに所属する比嘉大吾がWBC(世界ボクシング評議会)フライ級王者を獲得していた。
 日本初のボクシング世界王者の白井義男さんとともにジムを開いてから二二年。時にくじけそうになりながら、世界王者を育てたいという夢をかなえたのだった。

 僕がWBA(世界ボクシング協会)ライトフライ級(当時はジュニアフライ級)王者になったのが二一歳の時。それより長い時がかかったのだなあ、という感慨を覚えていた。そんなタイミングでの「時代の証言者」の話。ボクシングに生きた自分の人生を振り返る時期なのかもしれないと思い、この依頼を引き受けることにした。

 六月から九月にかけて一回二時間ほどのインタビューを七回受け、生い立ちから還暦を過ぎた今に至るまでを僕が話し、西田氏がそれを、僕の一人語りの形でまとめ、記事にしてくれた。

 話はボクサーとして、そして指導者としての成功とともに、王座陥落や引退を巡る紆余曲折など、僕にとってつらい出来事にも及んだが、自分なりに当時の経緯や思うところを率直に語った。そして「時代の証言者 具志堅用高編」は、一〇~一二月に三〇回にわたって掲載された。

 周りの人からは、「あれ読んだよ」、「すごい人生だったんだね」などと声をかけていただいた。そこで改めて自分の半生は戦いの連続だったのだなと実感した。

 年が明けて一八年早春、中央公論新社から西田氏経由で、「時代の証言者」を基にした本を出してみないかという話をいただいた。やはり僕が歩んできた道をいったんまとめておく時期なのかなと思い、出すことにしたのが本書なのだ。

 西田氏が僕の半生記に加え、僕にまつわる第三者の証言や論評、さらに僕の人生と重なる日本ボクシングの歴史といった、『読売新聞』の連載にはない要素を調べ、書き加えてくれた。

 「ボクシング冬の時代を救った男」などと評されるのは面はゆいが、僕が無我夢中で進んできた道、そして日本のプロボクシングの苦難と栄光を楽しんでもらえればと願っている。

【読売】具志堅用高さんと愛犬・グスマン.jpg
具志堅用高さんと愛犬・グスマン。読売新聞社提供

具志堅用高:1955年沖縄県石垣市生まれ。ボクシング元WBA世界ライトフライ級王者。プロ入り後の戦績は24戦23勝(15KO)1敗。2015年に国際ボクシング名誉の殿堂オールドタイマー部門に選出された。タレントとしても活躍。

西田浩:読売新聞東京本社文化部記者。1963年東京都生まれ。著書に、『ロック・フェスティバル』(新潮新書、2007年)、『ロックとともに年をとる』(新潮新書、2010年)、『この50枚から始めるロック入門』(共著、ラクレ、2008年)がある。