いまや「憧れる職業」として上位に挙がり、志望者は30万人にまで達すると言われる「声優」。確かにアニメやスマホゲーム人気を背景に、声優のグループが紅白歌合戦に出場するなど、その活躍には目を見張るものがあります。

 ただしその結果としてプロとして食える人は激減、志半ばで倒れる若者で溢れていると『声優道』の筆者で、自身30年以上のキャリアを誇る岩田さんはおっしゃいます。

 ではなぜその混沌とした業界で岩田さんは30年以上生き残ることが出来ているのでしょうか? そこには子役から俳優を目指し、結果として声優で活躍するに至ったという、その複雑な道のりが大きくかかわっていました。

 声優志望者はもちろん、個人の時代と言われる昨今、誰もが必読と思われる同書より『はじめに』を公開いたします。

 続く皆さんへ贈る、岩田さんの熱く、そしてあたたかい想いを感じて下さい!

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はじめに

――満員電車を見て号泣した、あの日――
 
 それは今から25年ほど前、アルバイトと声優を掛け持ちしていた、20代の冬のこと。
 
 声優として生きていく「覚悟」を決めたことで、仕事がぽつりぽつりと入り始めていたけれど、それ一本で食べられるような状況からはまだ遠く、収入の支えになっていたのはアルバイトのほうでした。当時していたアルバイトの一つは〝はがきの宛名書き〟。時間の切り売りをしていた僕は、その日も朝から晩まで、ただ黙々と宛名を書いていたように記憶しています。

 その帰り、クタクタになった体で実家へと向かっていると、ふと、僕の目の前を黄色い西武池袋線の電車が走り過ぎていきました。
 
 車両を見てみれば、スーツ姿の男性が目立ちます。たしか夜の8時くらいということもあって、おそらくみな仕事帰りだったのでしょう。ぎゅうぎゅうに詰め込まれていて、遠目で見ていても、電車の中は何だか息苦しそうでした。

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 最初、その様子をボンヤリと見ていた僕でしたが、ふと気付けば、目からは涙が溢れ出していました。それは、今までに経験したことのない感情からの涙でした。
 
 とめどなく流れる涙、止まらない嗚咽。僕はうずくまり、その場所から動くことができなくなってしまいました。
 
 目の前を過ぎていったのは、それこそどこでも見られるようなよくある満員電車です。そして電車の中で揺られていた多くの人は、やはりどこでも見かける、サラリーマンでした。
 
 おそらく彼らの多くは、毎朝同じ時間に出勤して一所懸命働き、ときには上司や取引先に叱られ、売上や成績を競わされているのかもしれません。そのうえで、また帰宅するために、満員電車という苦痛を強いられている。この先も「声優で食える」という確信もなく、ふわふわと生きていた自分なんかと比べ、きっと辛い思いをしていることは容易に想像できました。

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 ではなぜそんな満員電車を見て、涙が止まらなかったのか。自分でも原因が分からず、僕はとても動揺しました。そしてしばらくの間考えてみてようやくたどり着いたのは、「彼らと僕は違う」という、極めて単純で、でも恐ろしい事実でした。
 
 もちろん、電車に揺られていた全員がそうだとは思わないけれども、スーツを着た彼らの多くには、当時の僕と比べ物にならないような、「安定」があったはずです。会社という「組織」にも守られていたことでしょう。毎月同じ日に払われる給料や、ある程度は頼りにできる人生設計を持ち、ときには会社の愚痴を言い合えるような同僚もいる。ましてや家に帰れば、やさしい家族が待っているのかもしれない。
 
 とにかく、そうした日常が、彼らにはあったに違いありません。しかし、ふとわが身を振り返ってみれば、その中のたった一つすら、そのときの自分は手に入れることができていませんでした。
 
 おそらく僕は、この先もきっと、彼らと同じところに立つことはない。体一つを使って対価を得る「声優」という、あまりに頼りない仕事を選び、それで食っていくことを選んだ自分は、もう永遠にあちら側へ行くことはできない。
 
 そのことをこの日、たまたま目の前を通り過ぎた電車を見て、本当の意味で気付かされたのです。思いがけなく流れた涙の理由はそれでした。

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 僕が「声優道」を歩み始めた30年前と比べてみると、その職業観は大きく変わりました。
 
 たとえば、自分が声優として大きな飛躍を遂げた作品は映画「AKIRA」でしたが、そのころの声優とは今より影が薄い、あくまで裏方としての役割を求められていました。それこそ、「大部屋俳優」と呼ばれるようなあまり仕事のない役者さんが、生活をするため仕方なく請け負う、そんな印象も強かったように思います。
 
 しかし、声優人気が高まった今ではまるで、弁護士や医者といった職業のように、明確に「声優」という職業があることを前提にした仕組みが作られました。声優の養成所や専門学校へ多くの若者が殺到し、養成所の査定に合格すれば、そのまま事務所へ所属することができる時代になっています。ただ現実を見る限り、まだ声優とは「職業と呼ぶにはあまりに危うい」「頼りない」と言ったほうがふさわしいように、僕には感じられます。

――声優が職業と呼ぶには頼りない理由――

 詳しくは本文で触れますが、「頼みの綱」というイメージがある事務所も、あなたが人気声優にでもならない限り、自然と役を振ってくれるようなことはありませんし、何も保証はしてくれません。もちろん役に採用してくれる制作会社だって何も保証してくれません。仕事の獲得はもちろん、会社勤めなら考えなくてもいい有給休暇や失業保険、福利厚生など、基本的にはすべて自分で考え、対応をしなければならないのです。
 
 ちなみに声優と聞けば多くの人がアニメや洋画の吹き替えなどの仕事を想像するようですが、本来、その求められる範囲はずっと広く、基本的には「声」が必要とされるところ全般となります。
 
 それは電車の車内放送やデパートの館内放送、スポーツイベントでの実況放送に、動物園や美術館といった公共施設での音声ガイドなど、本当に多岐にわたります。今では、ゲームでも音声が吹き込まれるのが当たり前になってきていて、その需要はさらに増えました。

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 しかし、年々高まっている声優人気に伴ってか、その需要を上回るスピードで声優、そして声優を志望する人の数が増えていて、今、声優の数は1万人に、そして声優志望者の数は30万人に達しているとも言われています。そんな膨大な人数を十分に養うような仕事があるはずもなく、なんとかデビューをしても、仕事を満足に獲得できないままあえなく挫折、なんてパターンがあまりに多く見られるようになりました。
 
 そもそも、これまでも、そしてこれからも、声優に要求されるのはあくまでも「演技力」であり、演出に即座に対応できる技術です。その事実をおろそかにして、求められる立場からやや乖離した芸能人やアイドル的な立場に憧れる人が増えた結果、そもそも不安定だった声優という職業が、さらに危ういものになった気がしています。
 
 もちろん声優業界には水樹奈々さんら、声優としての実力に加えて、ルックス、歌唱力、パフォーマンス力、そして並外れた体力など、類い稀なる才能を持った人がいるのは確か。そのレベルに達するような才能があるなら、僕からのアドバイスはありません。思う存分、好きな方面へ勝負をしていって欲しい。
 
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 しかし、これから声優を目指す、もしくは名を挙げたいという人が、その高みをいきなり目指そうとすることは無謀、というか、むしろ馬鹿げています。
 
 なぜなら、そもそも声優のファンになってくれる人たちは、誰かが生み出した作品に登場するキャラクターに声を重ね合わせたうえで、心を寄せてくれる人がほとんどだからです。それは言い換えれば、単純に声優の声やルックス、演技力に惹かれているわけではない、ということになります。現実世界と、そうではない世界をミクスチャーした結果として、ファンとなってくれているのです。
 
 だからこそ、そうしたファンを惹きつけておくためには、やはり声優としての力量がものを言うことになり、不断の努力が大いに必要とされます。
 
 そしてファンでいてもらうためには、当然、彼らの期待を裏切ることは許されません。今の時代、一度裏切ればその悪評はあらゆるところへと広がり、一斉にそっぽを向かれることになるからです。声優のファンとは、感性が豊かでやさしい人たちである一方、ある意味で厳格で、とても残酷であると僕は考えています。
 
――恐怖と向き合う「覚悟」があるか――

 僕たち声優は、一生「ふるい」にかけられていると言っていいでしょう。
 
 まず作品という「枠」があって、求められる役という「網」がある。枠に乗る才能や気力のある人だけがふるいにかけられることを許され、セレクションが行われて、網の上に残ることができた、たった一人だけが役を演じることができる。それを繰り返し、ふるいにかけられ続け、ようやくメシが食えるようになる。しかも「声優」でいることを選んだのなら、それがずっと続く。
 
 もちろん僕たち40代くらいの世代にまでなれば、すでにかなりの人たちが「ふるい」にかけられることをあきらめていますから、競争もゆるやかになってはいます。しかしそれでも油断はできません。なぜなら必要とされる声が常に変化し続けている以上、「絶対に自分でないと演じることができない」という役は、この世にほとんど存在しないから。今現在でも、僕はふるいの上にいるのであって、これから先もふるい落とされる恐怖と戦いながら、生きていかなければならないのです。
 
 同世代の声優仲間と会ったとき、「頑張っているな」「生き残ったな」と互いを確認しあうことがあります。それこそがふるいにかけられている、ということの表れのような気がします。
 
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 だからこそ、まず必要なのは、恐怖と向き合う「覚悟」なのではないでしょうか。技術や個性ということはその次に来るもので、まずそうした恐怖に向き合えるかが、声優になれるかどうか、ということの決定打になるように思われてなりません。
 
 まずはその事実を理解して、恐怖を乗り越える、もしくは恐怖すらも楽しむ、それこそ〝ドM〟な体質を兼ね備えなければ、声優のような不安定な職業をやっていくことはできません。
 
 ただし声優は進む方向を誤っていない努力を重ねていけば、報われる可能性のある世界ではありますし、昔も今も実りは多く、多くの人に夢を与えることができる、とても幸福な職業なのは間違いありません。
 
 数年だけでもちやほやされたい、花火のように一瞬だけ輝くことができればいいと感じるのなら、最短距離を走ってもいいでしょう。しかし声優という職業が好きで、この先「死ぬまで声でメシを食いたい」と考えるのであれば、実際に「30年以上、声優としてメシを食っている」僕が書いたこの本を読んでいただく価値は、大いにあるはずです。

 勇気を持って、ページをめくってください。そして覚悟ができたら、ぜひ声優の門を叩いてください。声優道を力強く歩んでください。

 強い覚悟を持ったあなたに、僕は全力でエールを贈ります。

『声優道ー死ぬまで声で食う極意』

岩田光央:1967年、埼玉県生まれ。声優。劇団こまどり、大沢事務所を経て、アクロスエンタテインメント所属。出演作に「AKIRA(金田役)」「頭文字D(武内樹役)」「トリコ(サニー役)」「ドラゴンボール超(シャンパ役)」など多数。子役から芸能界入りした、芸歴30年以上のベテラン。2013年、第7回声優アワード「パーソナリティ賞」受賞。ラジオ大阪「岩田光央・鈴村健一スウィートイグニッション」などにレギュラー出演中。アクロスエンタテインメントの声優養成機関R&A Voice Actors Academy、ラジオ大阪声優&アナウンススクールなどで講師を務める。通称『兄貴』と呼ばれ、後輩やファンに慕われている。