とびきり〝危険〟な赤レンガ

 二〇一二年九月、東京駅は身の危険を感じるほどに、ごったがえしていた。赤レンガ駅舎の復原工事完成を記念し、「プロジェクションマッピング」が行われたのだ。これは赤レンガ駅舎を巨大スクリーンに見立てた、最先端映像技術による一大スペクタル作品。想定外の来場者数となり、四日目以降は安全性を考慮して中止となったほどだ。

 そう、来る十二月二十日、東京駅は百周年を迎える。ニッポンの中央駅という重責を担った同駅は、時代と社会の要請を受けながら、さまざまな進化を遂げ、「迷宮都市」を形成してきた。

 このエッセイでは、私なりの「東京駅の七不思議」(紙幅の都合で、たった二つではあるが……)をご紹介しながら、同駅のディープな内側を覗いてみよう。さあ、誌上探検ツアーへ出発!

なぜ暗殺の舞台になったのか?

 東京駅は近代日本史の重要な舞台だが、ここで暗殺された二人の首相をご存じだろうか? 一九二一年の原敬ならびに三〇年の浜口雄幸だ(その時の傷がもとで翌年没)。

 現場の壁面や床には、事件を示すプレートや鋲が打ち込まれている。浜口は当時の第四プラットホームで狙撃されたのだが、人々の利用に支障をきたすためか、直下の中央通路の新幹線中央乗換口近くに設置されている。

 ところで、悲劇を招いた〝遠因〟は、実は東京駅にあった。

 それは、どういうことか?

 当時は乗車専用口(丸の内南口)と降車専用口(同北口)が決められ、駅構内は一方通行だった。乗車口と降車口の間が二〇〇メートル以上のため多少不便なことはあっただろうが、都市的かつ機能的な動線をつくったと言えよう。一方通行は一九四八年まで続いた。

 この構造を暗殺者の側から見てみよう。街中よりも人の流れが単純化されていて、待ち伏せしやすい。どの便を利用するかを知ってさえいればいい。動線のどこか一ヵ所で待ち伏せしていれば、必ず標的と出会えるのだから。明快なゆえに計画しやすいのだった。

分かりやすいのに、なぜ迷う?

 

 渋谷駅が複雑で迷う、ということをネットに書いたことがある。すると、「東京駅のほうが迷う」という意見をいただいた。これには正直驚いた。建築の知識がある私にとっては、渋谷駅は「立体迷路」だが、東京駅は平面的にだだっ広く単純明快だからだ。

 それでは、なにが東京駅を分かりにくくしているのだろうか?

 両駅は「迷い方」が違うのだ。

 東京駅の整然とした碁盤の目で迷子になってしまう理由の一つは、歩いても歩いても、同じような風景が現れ、方向感覚を失ってしまうからだ。

 もう一つは、連絡通路が幅四〇メートルと、もはや「広場」と言うべきものであり、うかうかしていると人波の中でおぼれてしまうからだ。

 ところが構造は明快なのだから、一度それを把握すれば、もはや迷わないはず! 私は東京駅の空間構造を覚えるための〝暗号〟を考案した。それが秘伝「東京駅 ×一トU 川田十」。川田十さんというバツイチの人がいる東京駅をイメージしてほしい。

「川」は一〇面のプラットホーム、「田」は地上一階コンコース、「十」は地下一階連絡通路。この「川田十」を中心に、まわりを取り囲む丸ノ内線および横須賀線・総武本線、北自由通路、八重洲地下街、京葉線をそれぞれ「×一トU」の記号で示した。(図参照)

 以上のように、東京駅という迷宮都市は、建築という視点で読み解くと、意外な発見がある。

 えっ、「川田十」の暗号がわかりづらいって? それは百聞は一見にしかず。拙著『東京駅「100年のナゾ」を歩く』掲載のイラストを参照してほしい。七不思議の続きも載っています。

渋谷駅の模型 縮尺1/100 高さ方向2倍(提供・田村研究室)

*『中央公論』2015年1月号掲載の記事に修正を加えて転載しました。

田村圭介(たむら・けいすけ)1970年東京都生まれ。早稲田大学大学院理工学研究科建設工学(建築)修了。一級建築士。主著に『迷い迷って渋谷駅』(光文社)、『東京駅「100年のナゾ」を歩く――図で愉しむ「迷宮」の魅力』(中公新書ラクレ)。