『日本のシルクロード』を刊行したのは2007年のこと。あれから7年......。

皆さんご存じのように、この4月、富岡製糸場と絹産業遺産群の世界遺産登録がほぼ確実になりました!なんと、『日本のシルクロード』も、7年越しの増刷をすることに!!編集部は二重の喜びで沸いています。

これを機に、執筆者の佐滝剛弘さんにメッセージを頂きました。
さあ皆さんは、訪れる前に読みますか? それとも、読んでから訪れますか?

■派手な世界遺産・地味な世界遺産

 『日本のシルクロード――富岡製糸場と絹産業遺産群』の刊行から7年、ようやくという気もするし、意外に早かったという気もするが、まさにサブタイトル通り、「富岡製糸場と絹産業遺産群」の登録名で、日本に18番目の世界遺産が誕生した。

地味な遺産ではあるが、ユネスコの諮問機関による登録勧告のニュースが列島を駆け巡った今年の大型連休初日以降、連日大勢の見学客で混み合っているのは、報道されているとおりである。

 私は、絹産業にかかわる研究者でもないし、長年群馬県に住んでいるわけでもない。たまたま転勤で群馬県に赴任し、県内で富岡製糸場の登録運動が始まっていたことに触発されて、主に休みを利用してコツコツと最初は群馬県内を、のちには日本各地の絹にかかわる文化に触れて書く機会をいただいたに過ぎなかった。だが、こうして本に記した価値が認められて世界遺産の登録に至ったことは、率直に喜ばしく感じている。

 この間、当初富岡製糸場を含めた10の資産で登録を目指していたが、養蚕・製糸業の技術革新というストーリーに合致する資産にするよう検討が行われ、最終的には、富岡を含む4資産での登録へと方針を変更、結果としてはその絞り込みが功を奏したこともあって、ほぼパーフェクトの内容で登録の勧告を受けることができた。

 京都の社寺や平泉、あるいは富士山のような知名度の高い遺産ではなく、名前は聞いたことはあるものの、実際に行ったことのある人はほとんどいないような閉鎖された工場の世界遺産登録については、地元の人でも、いやむしろ見慣れている地元の人だからこそ、当初、登録されるかもしれないと考える人は稀だった。

 実は、そもそも世界で最初に登録された12件の中に、地味な岩塩の坑道が含まれていることはあまり知られていない。ヴェルサイユ宮殿や万里の長城のように、きらびやかな、あるいは存在感のある、そして世界的に知名度のあるものこそ世界遺産だという固定観念を持つ人は少なくなく、富岡製糸場の価値を分かってもらうのは難しい作業であった。その一助になればと思って、素人の目線でわかりやすさを心がけて7年前に書いたのが、『日本のシルクロード』である。

 刊行した2007年に、富岡製糸場と絹産業遺産群は、ユネスコの「世界遺産暫定一覧表」に記載されたが、それでも世間の注目を大きく浴びるには至らず、渾身の調査の末に書いた新書もおそらくあまり売れなかった(ようだ)。登録される日が来る前に絶版になってしまうのではないかと危惧していたが、かろうじてこの世からこの本が消え去る前に登録にこぎつけられたことで、最低限の責任は果たしたような気がしている。

桜に彩られた富岡製糸場

■「お祭り騒ぎ」で終わらせるな

 私は旅が好きなので、この7年の間にも、国内外の多くの産業遺産、世界遺産を見て回った。スウェーデンやイギリスなど、産業遺産の世界遺産が多く登録されている国の物件もかなり訪れたし、あまり産業遺産というイメージが湧かないスペインにも、バスク地方の工業都市ビルバオに、「運搬橋」というユニークな橋梁があり、実際に渡る機会を得た。

 産業遺産というと、富岡製糸場に代表されるように普通、工場や製鉄所などが頭に浮かぶが、鉄道や運河などの交通にかかわる遺産も産業遺産であるし、ワインやコーヒー、テキーラなどの農園や醸造所、あるいはこうした産業に特化した集落なども広義の産業遺産であり、実は広義の産業遺産を含めると、1000件ほどある世界遺産のうち、産業遺産は50件以上もある。産業は、第二次産業だけではなく、第一次産業も第三次産業もあるからである。

 旅を重ねていくと、特に海外では、名所と言えば宮殿や教会、モスクなどがどうしても多くなるが、こうした産業遺産は、まさに今はやりの「大人の社会見学」の対象であり、その土地を知る上でも、非常に興味深い訪問先である。

 今回の世界遺産登録で「絹産業」がクローズアップされる一方で、絹は、私たちの生活からは遠ざかってしまっている。日本人の中で、日常から絹織物の衣服を着る人はほとんどいなくなってしまったし、蚕を見たり触ったりした経験も、小学校時代、体験として自宅や教室で飼育したということはあっても、親類や近所で飼っているというふうに、生活に身近な形で養蚕に接した人も、もはや年配の人に限られるようになってしまった。

 日本の絹産業のシステムは、ある時期世界をリードした。それが評価されてせっかく世界遺産に登録されても、その当の国から養蚕も製糸も消えてしまうとしたら、何とも皮肉なことではないだろうか。

 『日本のシルクロード』の読者からは、「本に紹介されていた場所を少しずつ自分の足で巡ってみたら、すごく興味が湧いた」とか、「蚕の交尾を描写したシーンがあまりに神秘的で、長年養蚕を続けてきた人間の知恵と人間に奉仕してきた蚕のけなげな姿に胸が詰まった」といったような反響をいただいた。「子どもの夏休みの自由研究にこの本を読ませ、考えたことや実際に見たことを書かせたら、子どもたちも喜んだ」というような、ありがたい感想もいただいた。

 富岡製糸場の世界遺産登録を単なるお祭り騒ぎや訪れるべき観光施設が一つ増えたという捉え方で終わらせず、日本の産業や労働のあり方を再考する一つのきっかけになればと願いつつ、7年前とはいえまだ古びていない(はずの)この本をそのよすがにしてもらえたら、筆者としてこれに勝る喜びはない。

(写真撮影・佐滝剛弘)

佐滝剛弘(さたき・よしひろ)
1960年、愛知県生まれ。東京大学教養学部(人文地理)卒業。会社勤めのかたわら、精力的に国内外を歩き、海外は60ヶ国、国内はほぼすべての自治体を制覇。これまでに訪れた世界遺産350件、国内の国登録有形文化財5500件、国内外の郵便局1万2000局。こうした体験をもとに、世界遺産、近代建築、郵便制度、交通などに関する著作、講演活動を行っている。主な著書に、『郵便局を訪ねて1万局』(光文社新書)、『観光地「お宝遺産」散歩』(中公新書ラクレ)、『「世界遺産」の真実』『それでも、自転車に乗りますか?』(ともに祥伝社新書)、『国史大辞典を予約した人々』(勁草書房)など多数。