シリーズ完結!『剣神 神を斬る』試し読み!序の二 北面の武士

 応仁の大乱以来、朝廷は困窮の極みにあった。
 大永六年(一五二六)四月二十九日に後柏原天皇が崩御すると、後奈良天皇が諒闇践祚したが、天文五年(一五三六)二月二十六日まで十年間も即位の礼が行われなかった。
 後奈良天皇は宸筆を扇面にしたため、それを売りに出して禁裏の費えの足しにした。それほどの困窮だった。
 その後奈良天皇が即位の礼を行って二年、天文七年の春、禁裏の下北面に美男子がいると噂になった。最初に騒いだのが宮中の雑役を行う雑色女たちだった。
「北面のお方をご覧になりまして?」
「ええ、あのようなお方が御所におられましたとは、今業平というそうにございます」
「今業平......」
「北面のお方が弓を持ち、太刀を佩いた美しいお姿はどちらの公達かと、驚いて腰が抜けてしまいましたの......」
「まあ、腰などと下品な」
「本当なのですもの......」
「お名前はご存じ?」
「確か、浅野数馬さまだったかと?」
「お歳は?」
「十七歳とかお聞きしました」
「よくご存じですこと」
 若い雑色女がうらやましそうに言う。
「北面に知り合いがおりますの」
 などと好色そうな雑色女が自慢そうにニッと微笑んだ。
「数馬さまのお声を聴きたい」
「ああ、愛しい数馬さまはいつかしら、宿直は?」
「何んと、はしたないことを言うものか、抜け駆けで宿直を狙おうとは!」
「今業平の数馬さまと二人で東山の月を眺めたいだけでございますもの」
「ああ、麗しき光の君に抱きしめて欲しい」
 噂の北面の武士を在原業平や光源氏にたとえて露骨に告白する女もいる。
 雑色女が三、四人集まるとひそひそと宮中の男の品定めをする。それが楽しみの一つなのだ。
 ことに美男の北面の武士は雑色女だけでなく、あっという間に宮中の女官たちの噂になり騒ぎになる。すると、そういうことに抜け目なく聞き耳を立て、噂に興味を持つのが寵童好きや衆道好みの公家たちだ。
 高貴な公家や高僧たちの間ではごく当たり前に衆道が行われている。
 高位の者の嗜みのように考えられていた。
 戦場で血を見る武家は興奮した血を鎮めるため、身分の高い武将ほど小姓として寵童を連れて歩く者が多い。
 名のある武将が迂闊に戦場の売女(ばいじょ)を買ったりすると、その女が敵の間者だったりして寝首をかかれることがある。乱世はどこもかしこも油断できない。
 油断をした者が敗北する。
 そんな切迫した武将たちとは違い、公家は優雅な遊びの一つで気に入ると「屋敷に遊びに来ぬか?」とか、「酒を飲みに来ぬか?」などと声をかけて誘う。
 暇な公家たちの戯れである。
 雑色女や女官、その道の公家などが秘かに下北面へ浅野数馬を見に来る。
 宮中にそんな噂が広まって今業平の浅野数馬が注目された。
 桜が咲いて宮中が華やいだ日、衆道好みの万里小路惟房(までのこうじこれふさ)が数馬の肩を叩いてつぶやいた。
「浅野殿、屋敷に桜を見においでなされ......」
「これは万里小路さま、お招きをいただき有り難く存じます。この時期、皆さまにお誘いいただいておりますので、都合をつけましてお伺いいたします」
「そうか、あちこちから誘われているか?」
 惟房は不快そうに言って通り過ぎた。
 数馬はどこからも誘われていないが、二十六歳の若い惟房に嘘を言った。惟房は自分の美男を鼻にかけている男だ。
 そんな噂を聞いていた数馬は惟房の誘いからうまく逃げた。
 その翌日、夜が明けたばかりの早朝、次の内大臣と噂されている宮中の実力者、中納言勧修寺尹豊(かじゅうじただとよ)が参内してきた。
 後奈良天皇の信任が厚く特別に牛車宣旨を受けていたが、まだ四十歳前で牛車の参内など僭上の沙汰であると、供も連れずいつも一人で飄々と歩いてくる。困窮した朝廷を支えている珍しく武骨な公家だ。
 数馬と同じ京八流の使い手という噂がある。
 宿直だった数馬は帰宅しないで宜秋門の外に立って、中納言が宮中から下がって来るのを待った。
 早朝に参内した公家は昼前には下がってくる。
 勧修寺家は御所の西門で、公家の出入りする公家門といわれる宜秋門から、一町足らずしか離れていない。
 御所から出てくる公家たちが、美男の数馬が誰を待っているのかと、怪訝な顔で振り返り、中にはニヤッと下品に笑う者もいる。
 居心地の悪さを感じたがいつものことで数馬は知らぬ顔で我慢した。
 中納言が現れると門の外で深々と頭を下げる。
「おう数馬、例の話か?」
「はッ、何か良いお考えがあればとお待ちいたしておりました」
「そうか、そうか、ちょうどよい。昼過ぎに屋敷にまいれ、そなたに会わせたい武家が訪ねてくる」
「はッ、畏まりましてございます」
 まだ辰の刻を過ぎたばかりで、昼には一刻半ほどの猶予がある。数馬は中納言を勧修寺家の門前まで送ってから、御所の南門で最も格式の高い建礼門の前を通って、富小路の辻を南に曲がって下京に下って行った。
 数馬は五条の自宅に戻ったが深閑として誰もいない。
 北面の宿直当番で寝てしまいそうなほど疲れていた。横になって仮眠すればそのまま熟睡してしまいそうだ。
 数馬は衣服を着替えると家を出て、半町ほど東に歩き賀茂川の土手に腰を下ろした。
「今日の処刑は終わったようだな」
 数馬が六条河原の方を見てつぶやいた。数日前、北山に春の雨が降って賀茂川は水が濁り少し増水している。
 賀茂川の三条河原や六条河原には刑場があって時々処刑が行われた。
 罪の軽い者は京の四堺の外に追放されるが、人を殺した悪人や謀反人など罪の重い者は、河原の刑場に引き出されて処刑される。
 四堺とは京に悪霊や疫病などの穢れが入ってこないように、老ノ坂、山崎、逢坂、和邇(わに)という京の四つの入口に設けられた結界のようなものだ。
 四堺祭などが行われ、古くから天子のおられる京は穢れから守られてきた。
 数馬は半刻ほど土手から東山の桜を見ていたが、ゆっくり立ち上がると尻をはたいて、中納言と約束した刻限に遅れないよう勧修寺家に向かった。
 上京の御所の周辺には宮家や公家屋敷が多く、あちこちの垣根から桜が枝を伸ばして咲いていた。
 今が盛りでわずかに花びらが風に舞ってくる。
 勧修寺屋敷の庭には太い桜の木があって満開の見ごろだ。
 数馬が案内されたのはその桜を見る大広間の縁側だった。そこには花見の席が設けられ中納言と品の良い武士がいた。
 武士の家臣二人が広間に控えている。
「おう、数馬、ここにまいれ!」
 もう、花見酒の入った中納言が機嫌よく手招きして傍に呼んだ。数馬は広間と縁の境まで進んで縁側の二人に平伏する。
「先ほど話をした浅野数馬という北面の武士じゃ」
 中納言が武士に数馬を紹介する。
「初めて御意を得ます。浅野数馬源重治(みなもとのしげはる)と申しまする」
「出羽国、楯岡城の楯岡因幡守じゃ、浅野とは美濃の土岐かな?」
「はい、祖父が美濃から京に出て、禁裏の北面にお仕えしましてございます」
「美濃の土岐は清和源氏頼光流土岐だな?」
「はい、そのように聞いております」
「余の楯岡も清和源氏斯波流最上家の一族だ」
 因幡守がそう言ってニッと笑った。
 出羽国、楯岡家は清和源氏頼信流足利一門の、管領斯波流で足利幕府の一族と言える。楯岡満英は四万石を超える大名で、数日前に上洛して将軍足利義晴(あしかがよしはる)に拝謁し因幡守の官位に叙任されたばかりだ。
 中納言勧修寺尹豊とは十年ほど前に上洛した時、和歌を通じて知己になった間柄だ。
 以来、楯岡因幡守は勧修寺中納言を師に、和歌や書の筆耕を願い出羽と京の遠い交流を絶やさないできた。
 筆耕硯田の公家は多かったが、因幡守は勧修寺中納言の豪放磊落な気性が好きで長い付き合いをしている。
「数馬は歌の弟子なのだが、二ヶ月ほど前に祖父を亡くして天涯孤独になったのじゃ、それでどう生きるか生き方を考え始めたようなのだが、朝廷は貧乏で満足な俸禄も出せない有り様だからのう」
 朝廷の困窮だけはさすがの中納言にも手の打ちようがない。天皇領も武家に奪われているが、公家領も事情は同じで、勧修寺家などは京の醍醐小栗栖村などわずかな領地しか持っていない。
「なるほど......」
 因幡守は中納言の言いたいことを理解した。
 中納言の歌の弟子であれば、因幡守は数馬の兄弟子ということになる。同じ源氏の末裔で、花見の席で出会ったのも縁があると思った。
 それに広間に入ってきた数馬を見て、因幡守は若くして亡くなった同母弟が現れたかとびっくりしたのだ。
「中納言さま、承知いたしました」
 勧修寺尹豊の要望が何なのか納得して、因幡守がグッと盃を干しその朱盃を数馬に差し出した。
「取れ、この盃、二百石だ」
「に、二百石?」
 広間の二人の家臣が顔を見合わせて驚いている。楯岡城の城中であれば問題になりそうな因幡守の発言だ。
 いくら北面の武士とはいえ二百石というのは破格すぎる。だが、因幡守が口に出してしまった以上二人の家臣には止められない。主人に恥をかかせることになる。
 楯岡城に戻れば重臣たちに「黙って見ていたのかッ!」と叱られそうだ。二人の家臣は困った顔だ。
「不足か?」
「いいえ、身に余る仰せにございます。有り難く存じまする」
「うむ!」
 この瞬間、浅野数馬が出羽国、楯岡城主楯岡因幡守満英に仕官すると決まった。
「盃を取れ!」
「数馬、有り難く頂戴しろ......」
 数馬の仕官に満足の中納言が、命令するように言って酒の瓶子を持った。二百石という破格の待遇で因幡守は数馬を家臣に迎えると言う。
 二人の家臣と同じように中納言も驚いた。
 名門藤原北家の末裔で家格は名家の勧修寺家でさえ三百石もないのだ。百石以下の公家が多いのが実情である。
 そのような微禄の公家は娘を地方の裕福な大名に嫁がせ、嫁ぎ先に生活を支えてもらい、娘のいない公家は家業の書や歌、蹴鞠、笛などを地方の大名に伝授、束脩を貰って田舎渡らいから京に戻り生活の費えに充てている。
「有り難く頂戴いたしまする!」
 数馬が因幡守の盃を受け取りそこに中納言が酒を注いだ。その盃に桜の花びらが一枚こぼれ落ちてきた。
「ほう、桜の門出だな」
 中納言と因幡守が桜の盃を見て笑った。

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続きは、岩室忍『剣神 神を斬る 神夢想流林崎甚助1』(中公文庫/2022年7月21日刊行)でお楽しみください。

シリーズ完結!『剣神 神を斬る』試し読み!

カバーデザイン 泉沢光雄

Synopsisあらすじ

好評発売中

https://www.chuko.co.jp/bunko/2022/07/207226.html



天文一六年(一五四七)、出羽国楯岡城下で近習の浅野数馬が闇討ちされた。討手の追跡むなしく、下手人の坂上主膳は行方をくらましてしまう。六歳にして父を殺された民治丸は、仇討を武神スサノオに誓い、厳しい修行に身を投じる――。居合の始祖・林崎甚助の生涯を描く大河シリーズ堂々始動!

Profile著者紹介

『信長の軍師』(2017年)で小説家デビュー。以降、〈信長の軍師外伝〉シリーズとして『天狼 明智光秀』上下、『本能寺前夜』上下、『家康の黄金』ほか、〈初代北町奉行 米津勘兵衛〉シリーズなどがある。

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