シリーズ完結!『剣神 神を斬る』試し読み!序の一 闇討ち
その夜は雨が降っていた。
遅い秋雨がしとしと城下外れの熊野明神の参道を濡らしている。
「近々、仇を討たせていただきますから......」
「はい、お手柔らかに願います」
楯岡城の近習浅野数馬(あさのかずま)と熊野明神の祠官藤原義貰(ふじわらよしあき)が玄関に出てきた。
暗い玄関にうずくまっていた小兵衛(こへえ)がムクッと立ち上がる。
玄関に置いてある蓑が動いたかと思われた。
「旦那さま、雨になってしまいました」
「おう、そうか、碁に夢中で気付かなかった」
数馬が敷台に座ると小兵衛がうずくまって、数馬の足に草鞋を履かせる。
「雨も勢いがなくなりましたな」
祠官の藤原義貰が玄関から、夜空を覗き込んでつぶやくと、数馬も秋雨の夜空を覗き見た。
「間もなく冬ですから雨もぼちぼちかと......」
「そうですな。そろそろ山に雪がきましょう」
「そんな寒さになりました」
祠官の持つ燭台の灯が薄暗く土間を照らしていた。
「お気をつけられて......」
「では、近々、またお手合わせ願います」
「お待ちしております」
碁敵が再戦を約束して別れた。
数馬が腰に太刀を差し、小兵衛が用意してきた蓑を着て笠を被る。玄関を出ると祠官の息子義祐(よしすけ)が松明を持って立っていた。
「これをお持ちください」
「おう、かたじけない」
数馬が松明を受け取り小兵衛に渡す。その松明を持って雨の中を、足元を照らしながら参道に出て行った。
杉の巨木の参道には風もなく雨が降っている。
二人がその参道を鉤型に左に曲がろうとした時、杉の巨木の根方から黒い影が飛び出すと、後ろからいきなり数馬の背中に斬りつけた。
「おのれッ!」
数馬は転びそうになったが斬られても太刀を抜いた。その瞬間、小兵衛が松明を黒い影に投げつけた。
一瞬、パッと火の粉が散って驚いた黒い影が二、三歩後ろに下がった。
その時、黒い影の顔が浮かび上がった。
「おのれッ、坂上(さかがみ)ッ!」
数馬が叫ぶと太刀を中段に構えた。だが、黒い影の初太刀の一撃が深手だった。よろっと体が傾くと、そこに黒い影が踏み込んできて数馬の胴を貫いた。
それでも数馬は倒れない。
京の御所で下北面の武士だった数馬は京八流の剣の使い手だ。だが、初太刀が致命傷になった。
容赦なく三太刀目を踏み込んできた黒い影に、袈裟に斬られながらも応戦して影の太股を数馬が斬り裂いた。
「くそッ!」
黒い影が体ごとぶつかってきて数馬の腹を深々と突き刺す。
「おのれッ、主膳(しゅぜん)ッ!」
数馬が鬼の形相で坂上主膳の着物の襟を掴んだ。
「死ねッ!」
刺した太刀を主膳がねじり上げた。
「泥棒だッ、辻斬りだッ、闇討ちだッ、火事だーッ!」
突然、我に返った小兵衛が大声で騒いだ。
「火事だッ、誰か来てくれッ!」
叫びながらまだ燃えている松明を拾い上げると、黒い影の背中に投げつけた。その時、数馬がガクッと膝から崩れた。
太刀を杖に立ち上がろうとしたがもうその力は残っていない。
雨の水たまりに倒れ込んだ。それを見た黒い影が足を引きずりながら、杉の巨木の道に姿を消した。
「旦那さまッ、旦那さまッ!」
「小兵衛ッ、敵は坂上主膳だ。民治丸に......」
数馬はそのまま水たまりに突っ伏してこと切れた。
「旦那さまッ!」
小兵衛の叫び声を聞いた祠官が、太刀を握って裸足で雨の中に飛び出した。その後を子の義祐が追ってきた。
「浅野殿ッ、どうしたことだッ、誰にやられたッ!」
「坂上主膳......」
「おのれッ!」
小兵衛が抱いている数馬はもう息をしていない。
「義祐ッ、お城に知らせろッ、小兵衛は高森(たかもり)家に走れッ!」
「はいッ!」
「急げッ!」
二人が大慌てで雨の闇の中に駆けていった。
「数馬殿、どういうことなのだ?」
藤原祠官は数馬の息を確かめると、太刀を抜いて坂上主膳がいるかもしれない周りの暗闇に目を凝らした。まだ松明が心細く燃えている。
雨で消えそうだ。
坂上主膳が逃げた巨木の根方の道に近付いて気配を探った。だが、もうどこにも人の気配はない。
「おそらくこの道に逃げたな。最上川に逃げたか?」
刀身の雨粒を袖で拭うと刀を鞘に納めて数馬の傍に戻ってきた。松明は消えて漆黒の闇に細い雨だけが降っている。
四半刻もしないで数馬の妻志我井(しがのい)の兄、高森伝左衛門(でんざえもん)が十人ばかりの家人、小者、足軽を連れ、煌々と松明を焚いて熊野明神の参道に駆け込んできた。
「藤原殿!」
「高森さま、数馬殿が!」
「数馬ッ......」
伝左衛門が数馬の傍にうずくまって合掌した。
「待っていろよ、主膳を追って仕留めてくるからな。生かしてはおかぬ。急いで戸板を持ってこい!」
伝左衛門が小者に命じた。
「小兵衛、主膳はどっちに逃げた?」
「こっちです。旦那さまが足に斬りつけました!」
「主膳の足を斬ったのか?」
「はい、確かに斬りました。足を引きずってあっちに......」
小兵衛が杉の根方の小道を指さした。
「数馬に足を斬られていれば、そう遠くまでは逃げられまい。四人は戸板で数馬を運べ。残りは主膳を追うぞ!」
「はいッ!」
小兵衛と四人が残って数馬の遺骸を浅野家に運び、伝左衛門は松明を連ね坂上主膳を追って最上川に向かった。
誰もが傷付いた主膳はすぐ捕まると思っていた。
その頃、藤原祠官の息子義祐は楯岡城に走って、浅野数馬が囲碁の帰りに熊野明神の参道で、坂上主膳に闇討ちされ落命したことを告げていた。
城主の楯岡因幡守満英(いなばのかみみつひで)が起きてきてたちまち城内が大騒ぎになる。
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Synopsisあらすじ
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https://www.chuko.co.jp/bunko/2022/07/207226.html
天文一六年(一五四七)、出羽国楯岡城下で近習の浅野数馬が闇討ちされた。討手の追跡むなしく、下手人の坂上主膳は行方をくらましてしまう。六歳にして父を殺された民治丸は、仇討を武神スサノオに誓い、厳しい修行に身を投じる――。居合の始祖・林崎甚助の生涯を描く大河シリーズ堂々始動!
Profile著者紹介
『信長の軍師』(2017年)で小説家デビュー。以降、〈信長の軍師外伝〉シリーズとして『天狼 明智光秀』上下、『本能寺前夜』上下、『家康の黄金』ほか、〈初代北町奉行 米津勘兵衛〉シリーズなどがある。
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- 序の二 北面の武士2022.07.21
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