日本の読者の皆さんへ |
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文学における僕のヒーローの一人である村上春樹さんが、この度『極北』の翻訳を手がけて下さったことは大変な名誉であり、本書が日本の読者の皆さんの好評を得たことを心から喜んでいます。 本書の原稿の最後の手直しは東京のホテルで行いました。日本の美的感覚「わびさび」についてのドキュメンタリーを撮影するために滞在していたのです。 作中の雪景色や廃墟と化した無人都市で僕の頭はいっぱいでした――東京とはずいぶん違う世界です! とはいえ、撮影で日本の各地を旅する間に、本書が描く世界と相通ずる事象に巡りあうことも多々ありました。 本書における僕の大きな関心事のひとつは、人間の身の丈に合った昔ながらの暮らしと、テクノロジーの進歩が生み出す、驚異的であると同時に人と人とを疎遠にし、非道ともなりうる世界とのコントラストでした。 |
「茶の湯」もあれば「パチンコパーラー」もあるというコミカルなコントラストから痛ましい事象まで、日本ではあらゆる次元でそのようなパラドクスが成り立っていました。テクノロジーの進歩が両刃(もろは)の剣(つるぎ)になりうることを、福島の原発事故という惨事が起きる前から、日本はほかのどの国よりもよく知っていたのではないでしょうか。 俳句サークルを取材した際には、参加者の一人に日本の「もののあはれ」という感覚を説明してもらい、いたく興奮しました。僕の理解では、英語にはこのような考え方を正確に言い表すことばは存在しないのですが、現世の無常を感じとり、移りゆく季節の美と命のはかなさをとらえる感性は、まさしく僕が『極北』で描こうとしていたものだったのです。 この地球は我々が思うより遥かに不思議な場所だという僕の考えを読者と共有するのが、本書を書く上での狙いの一つでした。僕の愛読する書物や詩は、我々の人生がありきたりでもなければ必然でもなく、不変でもないということを知らず知らずのうちに気づかせてくれます。この惑星にはいくつもの世界があって、ありうべき未来の姿は多様なのだと。『極北』を楽しんで下さった読者の皆さんも同様に、自分自身の人生が実は美しく尊いものであるということに気づいてくれたのではないか、僕としてはそのように考えたいのです。 |
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2012年9月 マーセル・セロー |