special issue『トランスファー』刊行記念

中江有里(女優・作家)
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松井五郎(作詞家)

中江有里さんの長篇『トランスファー』は、こんな一文で始まる。
「気づくと、水中にいた。/頭まで水に浸かっているのに、なぜか呼吸できている。心地よい温水は足の指先まで包み込んでいた。/波打つ感触が伝わってくる。時間も場所もわからないけれど、水音が生きている実感を知らせてくれる。閉じた瞼越しにぼんやりした明かりを感じる。水にたゆたいながら、光の美しさに見とれた。/永遠にこの時間が続いてほしい――。」
30歳の主人公・大倉玉青は、空虚な日々を送っている。
そんな彼女がたびたび見る、自分が海中にいるかのような夢が、冒頭のシーンだ。
そして、玉青は思う――あの水の中へ帰りたい、と。
この『トランスファー』に関心を寄せたのが、オリコンウィークリーチャート1位や日本レコード大賞金賞に輝いた安全地帯の「悲しみにさよなら」など、多くのヒット曲の歌詞を手がけた松井五郎さん。
松井さんが本作にインスパイアされて書き下ろした詩「名前のない海」を、「BOC」にて特別公開!

「名前のない海」
lyric by Goro Matsui

光を集めて
たゆたう水面
一度に掬える
水など僅かで

つかの間 潤う
渇きはすぐに
命をさみしく
させるのでしょう

どこへ行くのか
わからなくても
いつか岸に繋いだ
ロープを解く

抱きしめられる
誰かがいると
海が教えて
くれるなら

帰れるところも
行き着く場所も
それほど違いは
ないかもしれない

どれほど遙かに
思える果ても
命はかならず
応えるでしょう

夢とうつつの
境界線で
人は時に抗う
オールを握る

信じてくれる
誰かがいると
海が教えて
くれるなら

それは涙に
似てはいるけど
きっと深く優しい
心に変わる

抱いててくれる
誰かがいると
海は教えて
くれるから

海は教えて
くれるから

「......海は未知なるものを抱えている。海は深く、なんでも受け入れる」

画・小牧真子

『トランスファー』 Transfer

中央公論新社 定価 本体1500円(税別)

できるなら、あなたの人生に乗り換えたい。

派遣社員として働く30歳の大倉玉青は、空虚な毎日を送っていた。そんなある日、彼女の身に「入れ替わり(トランスファー)」が起こり――。女優、作家として幅広く活動する著者が〈希望〉をテーマに綴った「読売プレミアム」連載長篇、待望の書籍化。

中江有里 YURI NAKAE

1973年大阪府生まれ。女優・作家。法政大学卒。89年芸能界デビュー。数多くのテレビドラマ、映画に出演。2002年「納豆ウドン」で第23回「BKラジオドラマ脚本懸賞」で最高賞を受賞し、脚本家デビュー。NHK BS2「週刊ブックレビュー」で長年司会を務めた。著書に、小説『結婚写真』『ティンホイッスル』『残りものには、過去がある』、エッセイ集『ホンのひととき 終わらない読書』など。読書に関する講演やエッセイ、書評も多く手がける。

中江有里オフィシャルウェブサイト
http://www.yuri-nakae.com/

松井五郎 GORO MATSUI

1957年生まれ。81年、チャゲ&飛鳥のアルバム「熱風」で作詞家活動スタート。84年、石川優子&チャゲ「ふたりの愛ランド」などがヒット。同年、安全地帯のアルバム「安全地帯II」のほぼ全曲を作詞。85年、安全地帯「悲しみにさよなら」で初のオリコンチャート1位。同年、BOØWYに参加し、氷室京介との作詞の他、「Dreamin'」を布袋寅泰と共作。工藤静香「恋一夜」、田原俊彦「ごめんよ涙」、氷室京介「KISS ME」、V6「愛なんだ」がオリコンチャート1位になるなど、数々のヒット曲を手がける。

松井五郎オフィシャルウェブサイト
https://avex.jp/matsui/