皿数え

――このシリーズは「江戸怪談シリーズ」というんでしょうか。「幽霊シリーズ」と呼べばいいんでしょうか。

京極シリーズなんですけど、シリーズ先にありきじゃないんで、今までは版元の名前で呼んでいたんですね。講談社のシリーズとか、角川のシリーズとか。でも長くやってるとそうもいかなくなってきて(笑)。講談社は文藝春秋に引っ越しちゃったし。まあ、好きに呼んでくださいと言っていたんですが、旧講談社と角川のものを「妖怪シリーズ」とまとめる向きがあって、その場合に中公のものが「幽霊シリーズ」と呼ばれることが多かったというだけ。現在は「妖怪」ではなくて「百鬼夜行シリーズ」「百物語シリーズ」に分かれることが多くなって、それにつれて「怪談シリーズ」的な名称が使われるようになったんですけど、これはちょっと困る。怪談じゃないですからね。

――怪談じゃないというのは、幽霊が出ないからという意味ですか。

京極別に怖がらせようという小説でははないですから。僕は怪談文学賞の選考委員を拝命しているんですが、こんな怖くない小説が応募されたら、「小説としてはともかく怪談としては〇点」と言って絶対に落とします。怪談じゃないのに「怪談シリーズ」だとややこしいでしょう。

――ベースは古典怪談だけれど、現代小説でもあるわけですよね。

京極ベースというか、材料が同じというだけですよ。ですから「古典改作シリーズ」というのも違っています。改作したわけじゃないんですよね。昔の戯作者と同じネタを使って、同じ土俵で書いてつもりでいるんです。先達の作品も、書かれた時代では現代小説だったはずだし。個人の作品をリライトしたわけでもないですしねえ。

――真説というわけでもないですね。

京極真説でも新説でもないですね。だから僕は基本的には「中央公論新社のシリーズ」でいいのじゃないかと思うんですけども。まあ、今のところほかの会社では書く予定がないので、それでいいんじゃないですか?

――もうちょっとペースを速めていただけるとうれしいんですが(笑)。書きたい題材は山ほどあるのでは?

京極書きたい題材というのはないんです。書ける題材というのがあるだけなんです。書けるものを頼まれると書く。それだけなんですね。家族を人質にとられて、「他社の仕事は全部断れ。今すぐ続きを書け」と言われたら、「はい」と言ってすぐ書きます(笑)。
次にこのシリーズで書くのは「牡丹灯籠」になると思いますが、あと「累ヶ淵」もありますね。そこから先になると、だんだんネタがマイナーになって、オリジナルと勘違いされるおそれがある(笑)。まあ、せいぜいあと二、三冊ですかねえ。