数えずの永遠

――「数える」というモチーフはどこから?

京極だって皿数えですからね。最初から数えさせなくちゃいけなかったんですけど、さきほど言ったように肝心の幽霊は出ないわけで、ならもう、みんなに数えさせようということですね。幽霊が出てきて一人で勘定して盛り上げてくれるんなら楽だったんですけども(笑)。まあ、でもね、あの幽霊も幽霊ですよね。だってお皿割ったの自分なんだから、何度勘定したって足りないに決まってるじゃないかと。お前が割ったんじゃないのかよ(笑)。いや、坊さんが「十」とかいうのは、?ですね。気休めですよ。本来は「お前が割ったから足りないに決まってるだろ」と言って成仏させるべきじゃないのか(笑)。まあそれは冗談ですが、濡れ衣であったとしても無為なんですよ。十までいかないとリセットも終了もできなくて、ループするんですからね。

――十枚あって完全なわけですよね。完全であってほしいんだけれど、自分が割ってしまったから欠落ができた。それを諦めきれずに、数えたらまた十枚に戻ってるんじゃないか、みたいな願望では。

京極でもね、それはむしろ逆なんじゃないかとも思うんですよ。完成してしまうことを避けるという考え方はあるんですよね。完成すると、あとは滅びて行くだけでしょう。だから、常に未完のまま、いつまでも作り続ける。サグラダファミリアみたいに。あえて十まで数えないことで永遠性を現すという考え方ですね。水木しげるさんの漫画に火野葦平さん原作の「河童千一夜」シリーズというのがあって、その中にズバリ『皿』という作品があるんですが、どういう話かというと、河童が井戸の中でお皿ばっかり数えてるお菊ちゃんに惚れてしまうんですね。で、河童はお菊ちゃんが可哀想になって、足りない十枚目の皿を捜して、ついにみつける。すると、お菊ちゃん、最初は喜ぶんだけど、すぐに怒り出すわけですね。数え終わっちゃうとやることがない。どんどん老婆になっていくわけ。人間は満ち足りていない方が良いんだという。これは真理だろうと思います。十が必ずしもいいとは限らないわけです。