誰もが大隈重信の名を知っている。彼がのこした数多の事績は、今の日本という国を語るうえで、非常に重要なものばかりだ。だが、そのことを知らない人は多い――。
今回、この偉人にスポットライトを当てた小説『威風堂々』について著者に訊いた。
近代国家・日本誕生で大隈重信がはたした役割
――これだけの長さにもかかわらず、一気読みでした。大隈重信の一生は、まさに波瀾万丈だったんですね。
一気読みできたのは、私の腕というより大隈の人生が面白いからだと思います。これまで小説として誰も取り上げなかったのが不思議なくらいです。大隈は弁舌縦横で行動力があり、しかも計画的に物事を進められる現代的な人物です。彼が幕末から明治維新という動乱期に世に出られたことは、日本という国家にとって天祐でした。
――大隈の役割とは何だったんですか。
幕末から維新を生きた若者たちによって日本の近代化は一気に進み、西洋列強に伍していけるだけの進歩を遂げていくわけですが、その原動力となったのが大隈です。
大隈は近代化を早急に推し進めることを強く主張し続けましたが、その急進性には同志の伊藤博文や井上馨さえついていけなくなるほどでした。しかし彼が政府要人たちの尻を叩いて近代化に邁進したおかげで、日本は急速な発展を遂げ、西洋諸国に負けない近代国家へと変貌していったのです。
最近、しばしば話題に上る高輪築堤などは、「陸蒸気を海に通せ」という大隈の号令一下、一気に実現した鉄道事業の遺構になります。これなどは、無理を無理とも思わず、不可能を不可能としない佐賀藩スピリットのなせる業だと思います。
『威風堂々』を執筆するきっかけと魅力
――本作を書いたきっかけは何だったんですか。
佐賀の偉人を小説にしてほしいという佐賀新聞さんの依頼を受け、誰にしようか考えました。最初は佐野常民、続いて江藤新平にしようかと思いましたが、佐野常民は史料が少なく、江藤新平は司馬遼太郎さんの『歳月』という先行作品があるので、これまで誰も小説として描いたことのない大隈重信を取り上げることにしました。私は早稲田大学の出身なので、大隈には親しみもありました。
「威風堂々」は2019年の8月から2020年の12月まで、501回にわたって佐賀新聞さんに連載したものを改稿した作品ですが、実は佐賀戦争直前の江藤新平との別れのシーンで終わらせる予定だったんです。ところが「続きを書いてほしい」という佐賀新聞購読者のみなさんから熱烈な要望を受け、大隈の死まで完走しました。書き終わった時は、大隈から「お疲れさん」と言われた気がしました(笑)。
――本作は評伝小説というジャンルになりますか。
評伝というのは史実に基づいたノンフィクションですが、評伝小説は取り上げた人物がいかなる生涯を送ったのかを探求していく小説です。つまり、その人は何を目指し、何を考え、いかに生きたかを小説として描くことです。となると、史実に基づきながらも、その行間を埋めるための人間ドラマが必要です。それには深い人間洞察力を要します。
私もデビューから14年目を迎え、人間洞察力も鍛えられてきたので、今、取り組む題材としては最適でした。
本作は、私にとって初の評伝小説になります。大隈の視点から幕末、そして明治から大正までをウォークスルーしていくことで、全く新しい近代日本の姿が見えてくるはずです。
――本作の魅力はどこにありますか。
長いことです(笑)。それは冗談ですが、読者は大隈という一人の偉人の生涯を併走していくことで、歴史の流れを時系列に俯瞰できることが、まず魅力ではないでしょうか。
さらに大隈がいかに決断し、行動に移していったかを知ることで、読者個々の人生や仕事にも少なからず影響があると思います。幕末から明治という激動期が舞台ということもありますが、まさに次から次に持ち上がる難問を、あの手この手で解決していく大隈の活躍は、誰にとっても役立つに違いありません。その意味では、『威風堂々』は、自作の『江戸を造った男』や『男たちの船出』に通じるお仕事小説・問題解決小説の系譜に連なるものです。
しかし何と言っても本作の魅力は、力強い人間ドラマにあります。大隈と同時代を生きた人々との出会いと別れ、そしてそこで起こる人間ドラマこそ、本作の最大の読みどころです。
――執筆する際に注意したことはありますか。
これだけはやりたくないと思ったのが、「偉いぞ」「凄いぞ」という評伝小説にありがちな描き方です。作家というのは「その人の偉さや凄さを知ってほしい」という思いから、つい過剰なほどの思い入れで対象となる人物を描いてしまいがちです。しかし人なんてものは、誰でも長所もあれば短所もあり、成功もあれば失敗もあります。それをしっかり描いていこうと思いました。
私も早稲田大学の卒業生なので、大隈を描くとなると、つい贔屓してしまいます。しかしそうした思い入れが「贔屓の引き倒し」につながらないよう、細心の注意を払いました。
本作では大隈の良さも悪さも余すところなく描きましたが、自分が取り組んできた主人公の中でも、とくに大隈には愛着を感じるようになりました。
――佐賀藩の面々のキャラクターも立っていましたね。
そうですね。とくに義祭同盟(佐賀藩尊王派)の面々は、大隈と共に明治政府でも出世していくので、若い頃からの人物像をきめ細かく設定しました。もちろん明治の人たちですから、記録や書簡などもしっかり残っています。つまり史料や事績を踏まえたキャラクターになっています。
不器用で不愛想な副島、頭脳明晰で堅物の江藤、大食漢で(史実です)のんびり屋の大木、昔気質で無骨な島、優秀な技術屋の佐野、賢い弟分の久米、そしてビッグボスの鍋島閑叟といった面々が縦横無尽に活躍するので、佐賀藩士が好きな方には、たまらないと思います。
もちろん佐賀藩士以外の偉人たちも総登場しますので、それぞれがどう描かれるかを楽しんでほしいですね。
大隈重信を育んだ佐賀の素晴らしさ
――取材や講演で佐賀に何度も行かれたと聞きました。
今回のプロジェクトが始まった時から数えると、刊行までに4回行きました。2022年1月10日の「出版記念トークイベント」で5回目になります。
佐賀の素晴らしさは行ってみないと分かりません。吉野ヶ里遺跡、肥前名護屋城、佐賀城、唐津城、三重津海軍所跡といった名所旧跡はもちろん、伊万里焼や有田焼の窯元もありますから、何度行っても飽きません。私の場合、城めぐりの趣味や取材で全国津々浦々を回りましたが、「第二の故郷といえば佐賀」と答えるくらい好きになりました。
ちなみに私は生まれも育ちも神奈川県横浜市なので、佐賀との縁はなかったのですが、本作をきっかけにして、これからも末長く交流していきたいですね。
――司馬遼太郎さんは『歳月』で、同じ佐賀藩の江藤新平を描きましたが、伊東さんはなぜ大隈を選んだのですか。
私にとって『歳月』は、繰り返し読んだバイブルのような作品です。絶対に妥協せず正義を貫いた江藤新平の壮絶な生き様は、まさに私の人生の指針となりました。しかし小説として書くとなると、どうしても『歳月』の影響からは逃れられません。その点、大隈は誰も書いていない白いキャンバスのようなものなので、描きやすいと思いました。
――冒頭でおっしゃっていた大隈という人物が現代的だという点も、選んだ理由ですね。
そうです。鉄製大砲や蒸気船などを内製していた佐賀藩は司馬さんの好みなので、司馬さんが佐賀藩を長編で描こうとなった時、当初は鍋島閑叟や佐野常民を描こうとしたのではないかと思います。ところが調べていくうちに江藤新平に突き当たった。江藤の生涯はドラマチックなので、小説家なら描きたくなるんです。それで江藤を主人公に選び『歳月』を描いた、という流れではないかと想像します。
司馬さんは先進的な男が好きな半面、不器用で真っ正直な生き方しかできない男も好きなので、弁舌縦横で清濁併せ呑む大隈が、あまり好みではなかったと思います。
しかし司馬さんの時代と今は違います。高倉健さんが演じたような「男は寡黙であるべき」という人物像は、昭和だからこそ評価されたわけで、よい意味でグローバリズムが浸透した現代では、しっかりと自己主張できる人物が評価されます。そんな時代性を考慮すると、今だからこそ大隈を描く意義があると思ったんです。
大隈重信の凄さと、その人生
――大隈に話を戻しますが、彼の凄さはどこにあったと思いますか。
やはり実務家としての才能ですね。大久保や木戸が漠然と思い描く明治日本の近代化構想を、実現可能なものにしていくのが大隈の仕事です。大隈は構想を実現するためには、どういう手順で行えば、いつまでにできるといったロードマップを描くのが得意で、また予算の算出能力にも長けていました。しかもそれでおしまいではなく、「イギリスから何万ドル借款して、その年利が何パーセントだから、いつまでに借款を返せて、いつから利益が出る」といった計算までやっていました。
こうした実務家としての能力が評価され、大隈の台頭が始まるわけですが、この能力は大隈に限らず、佐賀藩士の多くが持っていたものなんです。大隈だけでなく、江藤新平、副島種臣、佐野常民らも実務家として手腕を発揮していきます。
大隈は後半生、一転してビジョナリストとしての道を歩み始めます。彼は日本の進むべき道を模索し、晩年には「東西文明の調和による平和」という一大ビジョンを掲げ、「大日本文明協会」を設立し、雑誌「大観」を発刊し、これからの日本とアジアはどうあるべきかを主張していきます。それが不世出の国民政治家としての大隈のイメージを形成していくわけです。その結果、大隈の国民葬では、会場の日比谷公園に三十万人余が集まり、大隈との別れを惜しんだのです。
その人懐っこい性格もあってか、大隈ほど人気のある政治家は当時の日本におらず、まさに大隈は国民の輿望を担っていたと言えます。
――大隈の前半生と後半生の目標は明確ですね。
前半生というか人生の三分の二くらいまでは、「藩閥政治の打破」、「近代化の促進」、「議会制民主主義の導入」といったところが目標でした。
それらが実現されてからの後半生から晩年にかけては、「民主主義の定着」と「軍部の暴走阻止」「人材育成=学校の創設」になります。大隈がもう少し長く生きていれば軍部の台頭を防げたのではないかと思うと残念でなりません。とくに精神的後継者と言ってもよい原敬が暗殺されたことで、軍部を抑える大政治家がいなくなり、軍部の暴走に歯止めが利かなくなるのです。
――大隈と言えば早稲田大学ですね。
「大隈って何をした人?」と問われれば、十人中九人が「早稲田大学を創設した人」と答えると思います。かくいう私も卒業生の一人として、歴史に携わる前までは、それしか知りませんでした。本作では、「早稲田大学を創設した人」だけではない大隈の生涯と事績のすべてを知ってもらいたいという思いで取り組みました。
それにしても、これだけ多くの卒業生がいる中で、私が最初に大隈の小説を書くことになるなんて考えてもみませんでした(笑)。
――連載が始まった頃、伊藤之雄氏の『大隈重信』の上下巻が中公新書から発刊されましたね。
まさに「天祐われにあり」の感がありました。もちろん伊藤先生のご著作が発刊される前にも、しっかりした評伝や研究本はありましたが、最新の研究成果を反映した伊藤先生のご著作により、かなり書きやすくなりました。
私が歴史小説を書く理由の一つに、「史実を知るきっかけ作り」になってほしいという願いがあります。つまり小説がブリッジの役割を果たし、さらに深く歴史に対する興味を持ってほしいのです。小説をきっかけにして歴史や歴史上の人物に興味を持った人が、参考文献を見て研究本を読んでくれたら、歴史小説家として、これ以上の喜びはありません。
すでに何度も話していることですが、私の執筆ポリシーの一つに「歴史の改変は一切せず、歴史解釈で読ませる」というものがあります。最新の研究成果を反映した歴史研究本のおかげで、それも実現できるのです。研究家の先生方とは、これからも共存共栄していきたいと思っています。
――大河ドラマの原作になってほしいですね。
そうなんです。実は明治維新に功のあった薩長土肥四藩のうち、薩長土の三藩はこれまで二回ずつ大河ドラマの舞台になってきましたが、肥前だけは一度もないんです。肥前を舞台にした大河ドラマの実現こそ、佐賀県民の悲願です。本作によって「大隈は面白いぞ」となり、オリジナル脚本でも構わないので、大隈を主人公にした大河ドラマを実現してほしいですね。
――――最後に何かありましたらお願いします。
とにかく冒頭の何行かでも読んでほしいです。「長いからやめとくわ」という気持ちも分からないではありませんが(笑)、小説は長さではなくリーダビリティです。つまり熟練した技で一気読みできるようになっているので、長さは全く気にならないと思います。
この『威風堂々』は何度も読み返す価値のあるものだと自負しています。
ぜひ、お読みいただければと思います。