- 2024 12/24
- まえがき公開

留学・移住先として日本での人気は高いが、実情は知られていないカナダ。食糧やエネルギー豊かな資源大国、ノーベル賞学者を育んだAIや量子技術の開発国、地球温暖化対策の先進国、そして移民立国など多様な側面を持つ国の光と影を紹介。「アメリカの51番目の州」との揶揄もあるが、自由・民主主義・人権重視をわが国と共有する外交パートナーとして存在感を高めている。未来の「準超大国」の可能性と課題とは? 『カナダ―資源・ハイテク・移民が拓く未来の「準超大国」』の 「まえがき」を公開します。
はじめに―知られざる未来の「準超大国」の実力
日本人なら誰もがカナダを知っている。
「赤毛のアン」、ナイアガラの滝、メープル・シロップ、ロッキー山脈、さらに、北極地域に暮らす先住民やオーロラ。牧歌的で大自然のイメージを持つ人が多い。あるいは、超大国アメリカ合衆国の「51番目の州」のように見ている人もいるだろう。
しかし、カナダの持つ潜在力と可能性は知られていない。国際社会は、ウクライナ危機、中東紛争、さらには北朝鮮情勢など激しく変化している。そんな中、民主主義国家にして資源大国であるカナダの存在感が増している。21世紀の厳しい地政学的現実に直面し、資源に乏しい日本にとって、非常に大切な国だ(第一章)。
例えば、国際情勢を一変させたロシアによるウクライナ侵略。日本は、「法の支配」を無視し、軍事力による一方的な現状変更は決して受け入れられないとして、厳しい対ロシア制裁を科す。日本国民も総じて支持しているが、制裁にはさまざまな副作用も生じる。
実は、農業に必要不可欠な肥料について、日本は危機的状況に直面した。肥料生産には塩化カリが不可欠だが、日本はその全量を輸入しており、その3割はロシア・ベラルーシ産だ。対ロシア制裁で、ロシア・ベラルーシからの輸入が止まることによる不足分を補わなければ、たちまち、肥料不足に陥り、日本の農家は大打撃を受ける。そこで浮上したのがカナダだ。塩化カリの世界最大の生産国で、すでに日本の輸入の6割がカナダ産だったが、追加で輸入することになった。日本は救われた。
ロシアのウクライナ侵略、そして中東紛争で国際情勢が緊迫する中、国際市場では「3つのF」すなわち、Food(食料)、Fuel(燃料)、Fertilizer(肥料)の安定的供給が喫緊の課題だ。カナダは、「3つのF」を安定的に供給する意思と能力を持ち、かつ信頼できる国だ。21世紀の経済と社会、国家安全保障にとって、AI(人工知能)や量子コンピュータの重要性は論を俟たないが、カナダはこれらのハイテク分野でも最先端を走っている(第二章)。「AIのゴッド・ファーザー」と称され、2024年ノーベル物理学賞を受賞したトロント大学のジェフリー・ヒントン名誉教授の例が興味深い。
ヒントンは、ウィンブルドン生まれの英国人で、ケンブリッジ大学卒業後、英国エジンバラ大学大学院でコンピュータ・サイエンスの学位を取得。その後は、米国カーネギー・メロン大学で、人間の脳の思考回路を機械で再現するニューラルネットワーク研究に没頭する。しかし、5年間在籍するも芽は出ず、1987年、トロント大学に移籍する。もちろん、すぐに成果が出るわけもなく、科学雑誌に研究論文を投稿しても没になる状況が続いた。
結果が出たのは、ヒントンがトロント大学に移って25年後の2012年。画像認証の精度を競う世界大会だ。MIT(マサチューセッツ工科大学)やケンブリッジなど有名校に大差をつけて、トロント大学が優勝する。世界を驚かせた研究の成果こそ、ディープ・ラーニングやマシーン・ラーニングと呼ばれる現代AIの核心だ。
海のものとも山のものとも判然としない研究を続ける英国人を支援し続けたトロント大学とカナダ政府の勝利でもある。短期で成果が求められる米国とは異なるカナダの強みだ。他にも、囲碁の国際チャンピオンに勝ったAI(アルファ碁)はアルバータ大学発。世界で初めて量子コンピュータを事業化したD-Waveもブリティッシュ・コロンビア大学発のベンチャーだ。最先端技術の地道な研究がカナダで開花している。
さらに、注目すべきは、移民の現状だ(第三章)。米国は、2017年1月のトランプ政権以降、過度に内向きになり、国内の分断が顕在化し、南北戦争以来の危機とすら論じられる。一方、カナダは米国とは対照的だ。移民国家にして民主主義を機能させ、国内も安定的で、移民・難民に対し寛容だ。実際、移民政策が功を奏し、合計特殊出生率は1.33と少子化が進行しているものの、人口増加率はG7最大。24年のカナダの人口は約4100万人。今世紀末には、人口1億人を突破するとの説もある。
鍵は、現実的で効果的な移民プログラム。言語、学歴、資格、職歴等を数値化して評価する「ポイント制度」が機能している。また、外国企業が優秀な技術者を海外から導入する新しい制度も創設。スタートアップ企業を経済成長に繋げることを狙う。大きな構想力だ。
一方、移民による急激な人口増がもたらす弊害も目立ち始めた。カナダ国民の過半が移民の経済的インパクトを肯定的に捉えているが、今後の動向に注視すべきだ。国家の成り立ちも歴史もまったく異なるカナダだが、人口減少に悩む日本にとって示唆に富む。
そして、人類の生存に直結する地球温暖化対策の文脈でもカナダは注目されている(第四章)。広大な国土と豊富な資源と高い技術を持つカナダは、温室効果ガス(GHG:Greenhouse Gas)の排出量と吸収量を差し引きゼロにする「ネットゼロ」の2050年達成に向け鍵を握る。水力発電を筆頭に自然エネルギーを有し、天然ガスも豊富。さらに、水素、アンモニア等の新エネルギー生産の潜在力も大きい。また、安全でコストも安くGHG排出ゼロの小型モジュール原子炉(SMR)計画も進行中で、世界初の商業ベースでの運用開始も視野に入る。
また、GHGを出さないゼロ・エミッション車(ZEV)が世界的潮流となる中、その核心にある電池製造でもカナダは存在感を示す。欧米日の自動車メーカーは、新型コロナ、ウクライナ情勢等でサプライ・チェーンが大打撃を受けた経験と地政学的なリスク等を考慮し、中国への過度な依存を見直す動きを加速する。世界最大の北米市場の一角をなし、リチウム、ニッケル等の重要鉱物(critical minerals)を豊富に埋蔵するカナダへの大型投資が相次ぐ。
外交の面でも動きが顕著だ(第五章)。歴史的にも地理的にも大西洋、欧州、米国と密接な関係を持つカナダは、今、アジア・太平洋への関心を強めている。成長著しく大きな潜在力を秘めるこの地域の平和・安定・繁栄が自らの力の源泉だと認識する。22年公表の「インド太平洋戦略」は、カナダ外交の歴史的転換だ。日本の国家安全保障戦略とも軌を一にする。日加両国政府は同年、安全保障から経済分野まで幅広い協力を規定する「自由で開かれたインド太平洋に資するアクションプラン」を定めた。情報保護協定、国連決議に基づく北朝鮮の監視活動、自衛隊とカナダ軍の共同演習など多岐にわたる。G7メンバーであり、TPP(環太平洋パートナーシップ)協定の原加盟国。NATO(北大西洋条約機構)に属し、最強の情報収集能力を誇る米英系の機密情報ネットワークであるファイブ・アイズの一員でもあるカナダは、日本にとって信頼できるパートナーだ。
もちろんカナダもさまざまな矛盾を抱え、困難な課題に直面し、悩みも深い。若い移民国家であるがゆえに、国家のアイデンティティ形成は根源的な問題だ。ケベック独立問題にも苦しむ。大麻合法化、医療無償化の試みが結果を伴わない。先住民との和解への道も険しい。それでも、カナダは理想を追求している。その姿は、20世紀初頭、傷ついた欧州を見つつ、力強い新興移民国家を建設したアメリカに重なる。
本書は、現在進行形で変化し続けるカナダの肖像を記すものだ。
なお分析、判断は筆者個人のものであり、筆者が属する組織によるものではない。
(はじめに、著者略歴は『カナダ―資源・ハイテク・移民が拓く未来の「準超大国」』初版刊行時のものです)