2016 12/01
都市の「政治学的想像力」

(第1回)暮らしにはたらく政治を考える

バンクーバーでは高層住宅と低層住宅の区域がはっきりと分かれています。
このような区域区分の後ろには、都市でどのように住宅を配置するかについての政治の意思がはたらいています。

私は、大阪という大都市をとりまく政治を歴史的に分析した『大阪―大都市は国家を超えるか』を2012年に中公新書から上梓しました。この大都市の歴史は、つまるところ、人々を都市にどのように住まわせるかという問題との格闘の歴史であったように思います。そのような関心から、最近では「住宅」に焦点を当てて、政治が私たちの「住む」という営みに対してどのようなかかわりを持っているのか研究を続けています。

政治と住宅のかかわりといえば、たとえば政府が資金を出して低い家賃で住宅を提供する公営住宅をどのくらい作るか、そこにいかなる人を入居させるか、といったことが思い起こされるのではないでしょうか。最近の日本では、大きな地震が続いていることもあり、災害からの復興過程で建築される復興公営住宅も注目されています。しかし、政治が住宅に関わるのはそれだけではありません。なぜ日本では「新築住宅を買う」という選択を取る人が多く中古住宅が売れにくい(売れにくかった)のか、どうして「コンパクトシティ」が求められているのか、空き家の増加や廃墟化しそうなマンションをどう扱うか、といったような最近の人口減少とともに注目される問題は、どれも住宅と切り離して考えられません。

2016年の夏から、私はカナダのバンクーバーにあるブリティッシュコロンビア大学で在外研究の機会を持つことになりました。日本の大都市とは全く成り立ちが違うバンクーバーですが、この都市でも住宅が現在最も大きな政治課題となっています。住宅価格があまりにも高くなり過ぎていて若い世代が住宅を取得することができない、あるいは、多くの人がバンクーバーに住みたいのに家賃が高くそもそも住宅が足りない、といった問題です(家賃の高さには個人的にも苦労しています...)。ブリティッシュコロンビア大学の研究者をリーダーに、若い世代の問題として自分たちでも支払える適切な値段で住宅の提供を求める社会運動が起きていますし、バンクーバー市やブリティッシュコロンビア州の政府も、そのような住宅を提供するための政策を議論しています。

バブル崩壊後に土地の値段が下がって苦労している日本からみると、状況が違って全く参考にならない話のようにも見えます。しかし、住宅という生活にとって最も必要なものを政治がどのように扱うか――全体の利益のために個人の自由をいかに制限しているか――という観点から眺めると、根っこではつながっているところが多いことに気がつきます。このエッセイでは、そのような観点から、住むという営みを中心に日本の都市生活とは異なる都市生活がどうやって形成されているのかを、学術論文や研究書になる前の、日常のおどろきから政治のはたらきを想像する途中経過の報告として考えています。

砂原庸介(すなはら・ようすけ)

1978年大阪府生まれ。2001年東京大学教養学部総合社会科学科卒業。日本学術振興会特別研究員、大阪市立大学准教授などを経て、神戸大学法学部准教授。博士(学術)。専門は政治学、行政学、地方自治。著書に『地方政府の民主主義』(有斐閣)、『大阪―大都市は国家を超えるか』(中公新書)、『民主主義の条件』(東洋経済新報社)、共著に『政治学の第一歩』(有斐閣ストゥディア)などがある。