波乱万丈な頼子第二十一回
六章
21
大阪万博か。
猪又千栄子は、ニュース番組を見ながら、またまたひとりごちた。
「あの頃とはまったく違うな」
万博のニュースを見るたびに千栄子の口から同じ台詞が吐き出される。
千栄子にとって大阪万博といえば、昭和四十五年の万博だ。
あのときの熱気を覚えているからこそ、約半世紀ぶりの万博に、どうしても嫌味めいた感想を抱いてしまう。同じような感想を持つ人はいないだろうかと、スマートフォンで検索したのが、『波乱万丈な頼子』と知り合ったきっかけだった。
知り合った......というのは、本来なら間違いである。なにしろ、千栄子が一方的に知っているだけなのだから。
が、千栄子にとって頼子は、今となっては誰よりも身近な存在だ。なんなら、分身のようなものだ。
実際、千栄子は、はじめて『波乱万丈な頼子』を見たとき、
「え? これ、私のこと?」
と、シンパシーを覚えた。いや、シンパシーなどという簡単なものではない。毛穴という毛穴から電気が放出されるような強烈な感覚。あの感覚をどんな言葉で表現すればいいのか何日も考えたが結局適切な答えを見つけることはできず、とりあえず"共感"(シンパシー)という言葉を使っている。
例えば、千栄子がはじめて『波乱万丈な頼子』の動画にコメントを残したときは、
「はじめまして。頼子さんの動画になんともいえない"共感"を覚えてしまいました。他人とは思えません」
というような表現を使用した。
すると、頼子本人から「いいね」ボタンが押された。
千栄子は狂喜乱舞した。
だって、つまり、頼子もまた、自分のことを他人とは思えないと思っているという証拠だから。
このときから、千栄子にとって頼子は、誰よりも身近な"知り合い"となったのだ。
家族よりも、友人よりも。
もっとも、千栄子には家族といえるような存在はない。友人という存在すら。
母子家庭で育った千栄子にとって、母だけが唯一の家族だったが、その母も失った。
友人も、小さい頃はたくさんいたような気がしたが、成人してみると、彼ら彼女たちは自分の家庭を持ち、疎遠になった。
結局のところ、小さい頃から友人などいなかったのだ。その場限りの、話し相手程度の、通りすがりの関係に過ぎなかったのだ。
そもそも、小説や漫画に出てくるような友人関係って、そう簡単に築けるものなのだろうか。女性だから? 女性の友情ははかない......とはよく言うけれど、男性の友情だって同じようなものだ。友だち百人できるかな?などといった歌があるが、友人が百人もいたら、それこそ人間関係でメンタルが壊れる。
そう悟ったとき、千栄子は友情という幻にすがるのをやめた。
しかし、それを悟るのは遅かった。
その頃で、五十歳になろうとしていた。
見回せば、荒野の中にひとりぽつんと立っていた。荒野には、ところどころ枯れ木や枯れ草が見えるが、それはどれも、かつての友情の残骸だ。足下を転がる回転草(タンブルウィード)は、かつての友情の正体だ。楽しげにおしゃべりに興じる季節が過ぎると枯れて粉々になり、塊になって球体のモンスターになる。風に吹かれてあちこちに転がるその様は、自分の人生とも似ている。
人生というのはそういうものだとはじめから知っていれば。でも、誰も教えてはくれなかった。母などは、「たくさん友だちを作りなさい。そうすれば、幸せになれる」なんて、無責任なことを言う始末。その言葉通りに実行した果てが、無数のタンブルウィードが転がる荒野だったのだ。
後悔は嫌いだ。自分を否定しているようで、ますます惨めになる。
でも、しないではいられない。
私はいったい、友情のためにどれだけの代償を支払ってきたのだろうか?
覚えている最古の記憶は、幼稚園の頃のことだ。それまであまりしゃべったことがない子に、「ね、おともだちでしょう?」と言われて、お気に入りのクレヨンセットを貸してあげたことがある。その子と友だちになりたい一心で。でも、そのクレヨンは戻ってくることはなく、その子もそれからは知らんぷり。その子とは小学校の頃に同じクラスになったことがあるが、結局、一度も会話を交わすことなく、小学校を卒業した。言うまでもなく、それ以降はなしのつぶてだ。
中学校に入ってからは、さらに代償を支払わされた。
授業中、小さな紙切れが何人かの手を介して自分のもとにやってきた。差出人は、今でいうクラスカースト上位の子で、「ね、放課後、駅前に新しくできたクレープ屋さん、行かない?」という内容の手紙だった。放課後の買い食いは学校で禁止されていたけれど、断る理由はなかった。いや、本当は
今思えば、
なのに、彼女たちとの友情も、はかないものだった。高校に入るとバラバラになり、駅で目が合っても、無視された。
高校に入ると、さらにまた代償を支払わされた。県内でもトップクラスの女子校に進学したが、千栄子が属したグループは、オカルト好きが集まっていた。なぜ、そのグループに入ったのかというと、ある放課後、「ね、時間ある?」と、ミステリー研究会の子に声をかけられたのがきっかけだ。ミステリーに興味はなかったが、なんとなく憧れは持っていた。というのも、ミステリー研究会の人たちはみな成績優秀で、このグループに属することができたら、自分の成績も上がるかもしれない......という下心があったからだ。本当は、習い事がある日だったが、「うん、時間ある」と即答。すると、ミステリー研究会の部室とやらに連れ込まれた。中央の机の上に、見覚えのある紙が置かれている。
「......こっくりさん?」
あたりだった。これから、とあるミステリー作品を検証するために、こっくりさんをするのだという。
怯んでしまったが、気づけば、十円玉に指を置いていた。
そして、こっくりさんをはじめて数分後、研究会の一人が「きぃぃぃぃぃ」という奇声を上げて、失神した。
「こっくりさんに取り憑かれた!」
と、誰かが声を上げる。
すると、指を置いた十円玉が、いきなり猛スピードで動き出し、
「いちまんえん」「じんじゃ」という文字を示す。
「そうか! こっくりさんに帰ってもらうには、一万円を神社に奉納しなくちゃだめなんだよ! ね、誰か、一万円、持っている人、いる?」
なぜか、千栄子のほうに視線が集まる。
「え?」
と固まる千栄子に、
「ね、もし、持っているなら、それ奉納してくれない?」
躊躇う千栄子に、
「友だちが苦しんでいるんだよ? 友だちを見捨てる気?」
千栄子は、財布の中身を取り出した。
言うまでもなく、習い事の謝礼金だった。
その後、千栄子は晴れてミステリー研究会の一員になるが、なにしろイベントの多いサークルで、週末ごとにどこかに行く。そのたびに、お金が数千円、飛んでいく。時には、"お祓い"という名目で、六万円とられることもあった。なんでも、千栄子には悪霊が取り憑いているというのだ。それを祓うには、優秀な霊媒師に依頼しないといけない。優秀な霊媒師は予約がいっぱいで何ヶ月も待たなくてはいけないが、自分が口添えすれば今日にでもお祓いしてくれる。でも、それにはちょっと料金がお高めになるが、このまま悪霊が取り憑いたままだと、あなたは間違いなく不幸になる......とこんこんと説明されて、千栄子は六万円を支払った。その霊媒師は東南アジアの雑貨を扱うショップの店主で、見るからに怪しい感じがしたが、そもそも霊媒師は怪しい風体をしているものなので、千栄子はすっかり信じてしまった。が、そのショップは数ヶ月後に潰れた。なんでも、あの怪しげな店主が逮捕されたというのだ。......薬物(ドラッグ)で。ぞっとした。というのも、千栄子はその店主から、「気分が楽になる」という触れ込みで、飴をもらったからだ。まさか、あれが。恐ろしくなり、その飴を処分しようとしたが、安易に捨てるわけにもいかず、缶に入れて机の奥に封印した。千栄子にとっては、今も心の重荷だ。その飴は、今もタンスの奥に眠っている。
そんなこともあり、ミステリー研究会とも疎遠になった。卒業する頃には、部員たちとは目を合わせることもなくなっていた。
Synopsisあらすじ
法律事務所で事務職をしている高幡莉々子は仕事の一環で見つけた、ある動画チャンネルに興味を抱く。「頼子」という70代の女が、困窮した生活状況や波乱万丈な人生を語る動画だ。投げ銭だけでも相当儲けているはずなのに、やらせじゃないの? ちょっとした好奇心から莉々子は次第に取り返しの付かない事態に巻き込まれていく・・・・・・。
Profile著者紹介
1964年、宮崎県生まれ。多摩芸術学園卒業。2005年『孤虫症』でメフィスト賞を受賞し、デビュー。11年に文庫化された『殺人鬼フジコの衝動』がベストセラーに。他の著書に『坂の上の赤い屋根』『さっちゃんは、なぜ死んだのか?』『ノストラダムス・エイジ』など多数。
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