対談 伊坂幸太郎x五十嵐大介

出会い

――まず、お二人のそもそもの出会いから。

伊坂

 ぼくが五十嵐さんのマンガが好きで、いつも行く本屋さんが『はなしっぱなし』(河出書房新社)の上巻が出た時に薦めてくれたんですよね。講談社の担当編集者に「すごい面白かった」って言ったら、その編集者が作った「エソラ」の創刊号に、僕と五十嵐さんの作品が両方載ったんですよ。

五十嵐

 伊坂さんの『魔王』の次に、ぼくの描いた短編『ガルーダ』が載ったんですね。

伊坂

 五十嵐さんは、まず絵がすごいじゃないですか。大友克洋、松本大洋さんというような作風があって、それ以降だと、とても独創的な描き手だと思うんですよ。自然を描くとふつうはだいたい牧歌的になっちゃうんですが、五十嵐さんのネイチャー系の作品には何か毒がある。自然の世界の怖さが物語を浸食している感じが新鮮で、どうやって描いてるのかなあと。

五十嵐

 それは、ぼくの方もまさに伊坂さんについてそう思っていて、『魔王』を読んでびっくりしたんです。とにかく読みやすいのに読みごたえがあって、すごく面白い。きっと言葉に秘密があるんだと思いますけれど。

伊坂

 『海獣の子供』に出てくるような、変な生き物のフォルムを考えるのって才能だと思うんですよ。普通は理屈で作っちゃうと思いますが、五十嵐さんの描く生物はよく分かんなくて内臓みたい。物語全体もそんな感じで、でも内臓ってグロテスクだけど身体の内側にある「味方」でしょう。親しみがあるし、そんな感じがします。

五十嵐

 まあ、ぼくはそんな論理的に生きてないので(笑)。論理的思考は多分苦手だと思います。いつも、やってみるまで分からない。

伊坂

 それがすごいなと思う。

五十嵐

 「エソラ」では、読みごたえがある『魔王』がドーンとあって、次にぼくのマンガがくると負けちゃうなっていう感じで、ちょっと離してくれればよかったのになって思ったんですけど。

伊坂

 ショックを受けたのはぼくの方です。こんなに(小説で)枚数使ったのに、逆にマンガに負けちゃうんだみたいな。

五十嵐

 いやぁ、そんなことはないと思いますけど。

伊坂

 その後、小学館の豊田(夢太郎)さんという編集者が企画を持ってきて、それで『海獣の子供』の単行本発売の時に対談をしたんですよね。

五十嵐

 そうですね。そのとき初めてお会いしたんですね。

孫悟空とエクソシスト

――『SOSの猿』と『SARU』が生まれたきっかけは?

伊坂

 豊田さんがメールで「五十嵐さんと何かやりませんか」って言ってきて、ぼくの本をマンガ化してくれるのかな、それなら何にもやらなくていいし楽しいなあと思ってたら、全然違った(笑)。

五十嵐

 そうですね(笑)。

伊坂

 猿のネタは全部五十嵐さんなんですよ。打ち合わせの時、デッサンを見せてくださって......。

五十嵐

 設定表みたいなものをちょっと作って。

伊坂

 エクソシストの前で女の子が「斉天大聖・孫悟空」と名乗るデッサンがあって、「えッ、これ使っていいんですか」って。これを自分なりにお話にするとしたらどうしようかなあと考えたんですね。

五十嵐

 でも、『西遊記』と『エクソシスト』を何で株の誤発注の話と結びつけようと思ったのかが分からない(笑)。それがすごいなとぼくは本当に思ったんですけどね。

伊坂

 株の誤発注は昔やりたかったんで、無理やり混ぜたんですけど。エクソシストも、五十嵐さんが「実は今でもけっこういるらしい」と言うので「へえー」と思って。

五十嵐

 『エクソシスト』と『西遊記』を混ぜた話は、だいぶ前から考えてはいたんです。でも打ち合わせの時にはそんなに詰めて考えていなかった。伊坂さんの小説の方がどんどん進んで、具体的な形ができた感じなんですよね。

伊坂

 ぼくも五十嵐さんに描いてもらうマンガのプロットを考えてたんですけど、採用されなかった(笑)。

五十嵐

 あれはすごい魅力的でした。(『SARU』は)それがもとになってる部分がかなり多いです。

伊坂

 あ、そうですか。なんか混乱させたんじゃないかと思って。

五十嵐

 いえいえ、面白かったです。

――五十嵐さんが『西遊記』と『エクソシスト』を組みあわせようと思ったきっかけは。

五十嵐

 NHK教育の「人間大学」という番組で、中国文学者で作家の中野美代子さんが『西遊記』をテーマに講義をやったんですね。そのテキスト『孫悟空との対話』(日本放送出版協会)を読んだら、『西遊記』の成立の過程とか、陰陽道による読み解き方とか、キャラクターの関係性とかがすごく面白かった。その講義の元になった『孫悟空の誕生』(岩波現代文庫)を岩手県立図書館で見つけて、東洋にも魔法陣があったり、西洋の魔術とつながるなあと思いながら立ち読みしていたら、振り返ったところの棚に、島村菜津さんの『エクソシストとの対話』(小学館)があったんです。

伊坂

 すごい偶然じゃないですか。

五十嵐

 本物のエクソシストにインタビューしている本なんですけど、そっちには、悪魔祓いのときに相手の名前を訊くとかの話が出てきて、それでちょっとつながったという感じなんですね。

伊坂

 『西遊記』は子供向けしか知らなかった。それで岩波文庫版を買って読んだら面白くて、それにしても、鳥山明さんの『ドラゴンボール』とか、寺田克也さんの『大猿王』とか、諸星大二郎さんの『西遊妖猿伝』とか、マンガ家さんが、『孫悟空』とか『西遊記』を描いている作品って多いですよね。

五十嵐

 たくさんありますよね。

伊坂

 だから僕自身で、『孫悟空』を思いついても、先行作品がたくさんありそうな気がして、やっぱりできないような気がするんですけど、今回はやる気になりましたね。エクソシストとの組み合わせがよかったのかなあ。

五十嵐

 その組み合わせは自分でも面白そうだなと思った。映画『エクソシスト』の中にも、聞いたことのない言語をしゃべるシーンがありましたよね。たとえば昔のイタリアで、急に中国語で話されたら、悪魔の言葉だと思うかもしれない。

伊坂

 『西遊記』は、厳密に言うと、本当の作者が分からないんですよね。長い間に、いろんな伝説を取りまとめて作られた。物語の成立とは、けっこうそういうものかなあって気はします。みんなで面白おかしくどんどん加工していって、それが何かの力を持っていく。

五十嵐

 その感じはとてもいいなあと『SOSの猿』を読んでて思いました。

小説とマンガ

五十嵐

 フィクションの力は、小説とか文章のほうが強いんじゃないかなあ。マンガはどうしても形を具体的に見せなくちゃいけない。想像の余地はどうしても減るというか、読む人の側の想像を狭めちゃう怖さがあるんじゃないかなと思う。

伊坂

 確かに両方ありますね。

五十嵐

 伊坂さんの作品は、読者が自分なりの自由な想像ができると思うんですけど、そういう意味での限界はマンガの方が大きいような気はするんです。

伊坂

 『海獣の子供』で、最初は海が静かで、めくると次は魚がビュンビュン飛んでる絵がきたりするじゃないですか。あの感動はアニメでもできないし、やはりマンガの力ですよね。一方、「きのう妻と喧嘩して、きょう部長を殴ってクビになった僕は今、定食屋でカツ丼を食べてます」というのは(笑)、マンガでやったら、コマを割ってその人の人生を説明しないといけない。それを一行で終わらせることができるのは、やっぱり小説なのかなと思ったり。

五十嵐

 絵にも、魅力的な表現力がある絵と、説明的な絵があって、説明的な絵はちょっと面白みがない。マンガって説明的になりがちなんですね。分かってもらうために描くコマがどうしても出てしまう。

伊坂

 その点、五十嵐さんはかなり特異というか、凄すぎるので、その一般論に当てはまるのか分からないですけど。

五十嵐

 あんまり王道でないマンガになっちゃってるなとは思う。

伊坂

 これだけ「この人、絵描くの好きなんだな」って思えるマンガってあんまりない。

五十嵐

 ぼくは、背景が描きたくて描いてる部分が大きいんで。

伊坂

 登場人物をアシスタントに描いてもらおうと思ったって言ってましたよね(笑)。それ、逆ですよ。

五十嵐

 人物の絵にちょっとコンプレックスがあるんですね。人間を活き活き描くの苦手だなあとか。たとえばぼくがすごく好きな絵の人が人物描いてくれたら、もっと魅力的になるんじゃないかなあと思っちゃうんですね。

――たとえばどういう人が?

五十嵐

 最近だと志村貴子さん。なんか活き活きしていると思うんですね。

地方からの発信

――五十嵐さんが一時期岩手に移り住んで、自然の中で暮らしていたのは読者の間では有名な話です。

五十嵐

 1999年くらいから4年盛岡にいて、その後3年間衣川村というところにいたんです。マンガ家としてデビューしたけれど、挫折感をすごく持ってた時で、自分で野菜とか米を作ってみる経験をいっぺんしたら面白いかなと思ったんですね。

伊坂

 そのときは、畑の仕事をしながらマンガも描いてたんですか。

五十嵐

 マンガの仕事が少なかったので、とにかく時間が空いてたんです。年に短編を一本しか描いてない時期が何年かあったので。  あと、自分とは全然違うスキルを持っているオジサンたちがすごくカッコいいなあと思ったんですよ。東京は情報の発信地って言われますが、その情報の「元」になる面白いことをやってる人たちが、岩手とか沖縄にいっぱいいる。加工された情報を受け取るよりも、直接その人たちのところにいたほうが面白いなと思ったんですよね。

伊坂

 それで実際行くっていうのがすごいですよ。

五十嵐

 旅行の延長みたいな気分で。東京に住んであっちこっち行ったり来たりするよりも、そこに行っちゃったほうが、お金もかからないし、季節の移り変わりも含めて、いろんなものがずっと見れるじゃないですか。

伊坂

 なるほどねえ。

五十嵐

 すごく美しい風景に出会った時、人間の想像を超える大きなものがあるという感じを受けると思うんです。その風景をそのまま絵に描いても、やっぱり伝わらない。そのときの自分の気持ち、そのときの気温、風が吹いた感じとか、そこに行くまでの過程とか、すべてが合わさった感じを作品で表現できないかと思って、マンガ的な言葉に直していろいろ試行錯誤をしている感じなんですね。

――伊坂さんも、東京出身なのにずっと仙台在住で。

伊坂

 仙台は住みやすいんですよ。居心地いい場所、住みやすい場所のほうが自然な感じで考えることができる。東京で書いてたら、今みたいな小説は多分書いてないだろうなあという感覚はありますよね。

『猿』と『SARU』

伊坂

 五十嵐さんからまず、ぼくには絶対思いつかないボールがもらえたじゃないですか。ぼくはSOSというテーマをやりたかったし、誤発注だってやりたかったですけど、100%絶対こういうキーワードは思いつかない。「私は斉天大聖・孫悟空」という絵にあまりにもグッときちゃったんで、これ中心に考え始めちゃうんですよね。この場面をどうやって魅力的に作ればいいだろうかという。

五十嵐

 ぼくの方はまだ途中なんですけど、伊坂さんから本当に想像もつかないものが出てきたんで、いろいろ考えることはありました。映像から発想する限界に気づかされたというのかなあ。文章の力をすごく考えるきっかけになりましたねえ。

伊坂

 それはありがたいですけど、この五十嵐さんのプロローグ(月刊IKKIに掲載、冊子として配布)がすごい。ぼくは意図を持って小ぢんまりとした町の話を書きましたが、これはぼくの想像以上のスケールです。

五十嵐

 小説でも、やろうと思えばできるんじゃないですか。

伊坂

 小説でマンガ的なことをやっても、あんまり意味がないような気もして。もともとぼくが壮大な話を書けないということがあるのかもしれないけど......。ぼくの『SOSの猿』で五十嵐さんと戦えたのかなあという疑問は今もあって、自分ですごく気に入ってるし、好きな小説なんですけど。

五十嵐

 いや、それは逆ですよ。伊坂さんの方がずっと読者が多いでしょう。

伊坂

 五十嵐さんのファンに「伊坂幸太郎って読まず嫌いだったけど、しょうがないから読んだら、なかなか面白かったよ」とか言われたいんですよ(笑)。だから不安はあるんですよねえ。

五十嵐

 『SOSの猿』みたいなことは、マンガは不得意分野だと思うんですね。こんな感じの話の積み重ね方とか、びっくりさせ方とかはマンガには難しい。同じアイデアを共有しているのに、結果的にすごく違った、面白いものになるんじゃないかなと思います。

伊坂

 どうやってつながるのか、どういう構造になってるのかなと考えてもらうと楽しいですよね。でも、これ説明しないと、構造を分かる人っていないんじゃないか、とか最近、思いはじめてきました。

五十嵐

 『SOSの猿』と、ぼくの『SARU』と、もちろん全然関係ないと思って読んでもらって構わないんですけど。『SARU』は、伊坂さんの『SOSの猿』の作品の中の一部でもある。逆にぼくの『SARU』の中に、伊坂さんの小説が入っている感じにもなるように作っているはずなので。

2009年11月9日、中央公論新社にて。司会=佐藤憲一

五十嵐大介(いがらし・だいすけ)

1969年埼玉県生まれ。93年、講談社「アフタヌーン」四季大賞を受賞しデビュー。
以来、精密な画力と奔放な幻想イメージがあいまった自然描写で人気を博す。
04年、『魔女』で第8回文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞、
09年、『海獣の子供』で第38回日本漫画家協会賞優秀賞、
第13回文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞。