注目記事

95歳。死ぬのが
イヤでなくなった
佐藤愛子

年があらたまり、幸運の兆しはどこかにないか、と簡単に思いがちです。でも、果たしてそれで前向きな生を歩めるのでしょうか。時代のありようが変わるなかで、この世を生きるとはどういうことか。
老いと達観の境地からのメッセージは──

──新しい年を迎えて、どのような感慨をいだかれましたか
 95年も生きてきましたからね。お正月なんて飽き飽きしてる。おせち料理もつくりません。だいたいおせち料理なんて、うまくも何ともないですからね。服は着慣れた普段着のまま。新年だからといって特別な感慨などないですねえ。お正月が嬉しいのはだいたい12、13歳までですよ。
 このところめっきり耳が遠くなりました。何度も聞き返すのも失礼だし、めんどくさいから、聞こえなくてもわかったような顔をして聞いている。だけど、疲れるんですよね。相手が笑えば「ここは笑うところなんだな」と、一緒になって笑ったりしてね。

(『婦人公論』2019年1月22日号より一部抜粋)
※ 同号は、書店店頭にて1月21日まで販売中

ページの先頭へ