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2005年、小泉首相のもとで行われた「郵政選挙」で、まさかの自民党離党を強いられた“政界の聖子ちゃん”こと野田聖子議員。自分の選挙区に送りこまれた刺客・佐藤ゆかり議員との闘いぶりも大きな話題になりました。この選挙を戦い抜いたことに加え、プライベートでは夫・鶴保庸介参議院議員との結婚を解消するという大きな決断もし、ここ数年はまさに波瀾万丈の日々だったと言います。26歳で政界デビューし、華々しい経歴を重ねてきたものの、実際は周囲によって操られた“サイボーグ”だったと語る野田さん。その後20年を経てたどりついた境地とは

 26歳で政治の世界に入り、かれこれ20年以上。おかげさまで衆議院でも5回の当選を果たし、この世界で知らないことはないというほどの年齢になりました。若い頃は「永田町の聖子ちゃん」なんて言われていましたが、今年で私も48歳。もはや「お局様」と言われても、なんの不思議もないトシですよ。(笑)
 26歳で岐阜県の県議に当選したのを皮切りに、32歳で衆議院に初当選。「自由民主党初の女性衆議院議員」ということで大いに注目されました。また、37歳の時には戦後史上最年少で郵政大臣に任命され、政界の中核での仕事がどんどん増えていきました。
 ただ、今、振り返ってみると、20代、30代の頃の私は非常にアンバランスだったと思います。40歳までの十数年間は、政治家としての私が周囲の手で勝手に作られていった時代。みなさんの支持を得るためには、こうしなきゃいけない、ああしなきゃいけないと、党や後援会の指示にすべて従っていた。服装ひとつとってもそうですよ。やれ時計は国産のものにしろ、スーツは膝丈スカートのやぼったいものがいい、ストッキングは肌色で、髪も絶対に伸ばしちゃいけない、などなど。政治家・野田聖子に許されていたのは、実年齢よりはるかに老けて見える、コンサバで無難な格好だけでした。

(『婦人公論』2008年2月7日号より一部抜粋)

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