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編集後記

2018年10月号【編集長から】

<"歴代最長政権"は何を成し遂げるのか>
日ソ共同宣言の批准承認に対する中曽根康弘氏の賛成演説は、ソ連や野党を批判したため、国会の議事録から全文削除されました。1956年11月、自民党副幹事長当時のことです。北方領土問題が未解決であることを強調しつつ、中曽根氏はシベリア抑留者帰国の意義を説きました。「にもかかわらず、われわれがここに承認を与えようとするのは、息子の帰りを十数年待ちわびる年老いた母の涙を見て、われわれは唯々かくせざるを得ないからである」。
拉致被害者の家族も、どれほどの涙を流したことでしょう。初の日朝首脳会談から9月で16年。被害者家族の高齢化が進んでいます。蓮池薫さんは今月号の対談で、「北には家族が亡くなってから返しても日本の世論は受け入れないと伝えなければなりません」と語ります。東アジアの将来構想を描き、拉致問題の速やかな解決が北朝鮮にとっても得策であると理解させることが必要です。
今月号の特集は、「安倍三選のアキレス腱」です。長期政権の功罪、経済政策、北朝鮮問題などについて、多角的な視点で課題を論じます。
9月20日投開票の自民党総裁選で安倍首相が勝利すれば、歴代最長政権となることが視野に入ります。これからは、あまたの短命首相ではなく、政治史に残る大宰相と実績で比較されることになります。
中曽根氏は同じ演説で「われわれが相手にするのは今日の国民のみにあらずして後世の歴史の審判である」と述べました。歴史の転換点で先頭に立つ安倍首相にはまず、それにふさわしい大局観が求められるでしょう。
編集長 穴井雄治

2018年9月号【編集長から】

<平成最後の終戦記念日に>
鴻上尚史さんのデビュー作は、男性5人の印象的な群唱で幕を閉じます。<朝日のような夕日をつれて/僕は立ち続ける(中略)冬空の流星のように/ぼくは  ひとり>
特攻を命じられたとき、体重の5割を超える装備を背負って行軍するとき、あるいはペリリュー島の絶望的な飢えの中で、私たちは冬空の流星のように、ひとり凜々しく立っていられるでしょうか。自分がもし、そこに生きていたら。実証的な研究、丹念な取材に基づく著作を読むと自然にそんな気持ちになります。
平成最後の終戦記念日を迎えます。俳人の中村草田男が「降る雪や明治は遠くなりにけり」と詠んだのは、大正年間ではなく昭和6年のこと。平成が終わると「昭和は遠くなりにけり」という感慨が広がるでしょう。戦後生まれの皇太子さまが即位されます。戦争を知らない世代の責任はいよいよ重くなりそうです。
今月号の特集は「日本軍兵士の真実」です。朝鮮半島で終戦を迎えた五木寛之さんと、『不死身の特攻兵』を著した鴻上尚史さんの対談は、特攻に代表される戦争の絶望と、その中に見える一筋の希望について語ります。『失敗の本質』の戸部良一さんと、『日本軍兵士』の吉田裕さんの対談は、「兵士の身体を通して見た日本軍という組織」がテーマです。いずれも、深く考えさせられる内容です。
戦争体験者は減り、記憶の継承は難しくなります。戸部さんの言葉が胸にしみます。「特攻で亡くなった方が無駄死にだったというふうに貶めてはいけないと思います。しかし、それと同時に何でこんな馬鹿なことをやってしまったのかという問題意識を持ち続けなくてはいけない」。祈りを捧げ、考え続ける。それが、多くの犠牲の上に築かれた平和を享受する私たちの責務でしょうか。
編集長 穴井雄治

2018年8月号【編集長から】

2018年8月号【編集長から】
<「2人に1人が50歳以上」の時代に>
 78歳以上は車のハンドルを握っただけで逮捕されるようになり、買い物難民化した高齢者向けのタクシーを若者が運転する――。1980年生まれの作家、山内マリコさんが2030年を舞台に描いた短編「五十歳」です(中公文庫『2030年の旅』所収)。<選挙のたびに高齢者を優遇する政策やサービスが増える一方で......>。そんな描写に、政治に対する静かな怒り、諦めが感じられます。
 8月号の特集は、「ポスト2020年の大問題」です。日本人がこれまで経験したことのない急速な高齢化と人口減少が目前に迫っています。社会や経済、私たちの生活はどう変わるでしょうか。小泉進次郎、福田達夫、村井英樹の自民党衆院議員3氏による座談会は、「人生100年時代」にどんな政策が必要か幅広く論じます。9月の自民党総裁選に向けて、小泉氏ら若手ホープの大胆な提言は注目を集めることでしょう。
 そもそも、日本の急速な少子高齢化は自然に進んだわけではありません。団塊ジュニア世代の高校・大学卒業はバブル崩壊後の景気低迷と重なりました。この「就職氷河期」の深刻な影響を、我々は想像できなかったのではないでしょうか。
 有効な手立てが講じられないまま未婚者が増え、出生率は下がり、期待された第3次ベビーブームは幻に終わりました。元厚生官僚の山崎史郎氏は人口問題について「現在の動きが将来に大きな影響を与えるという特性を有している」と指摘します(中公新書『人口減少と社会保障』)。
 「東京五輪までは景気もなんとかなるだろう」という楽観論が語れるのも、あと2年です。「人生100年時代」には、社会保障政策はもちろん、家庭や企業のありようも相当に変わるでしょう。どんな準備が必要か。作家の想像力を超える、政治家の想像力が求められます。
 編集長 穴井雄治

2018年7月号【編集長から】

<自由へのただ乗りは許されない>

7月号は、「シャープパワー」という耳慣れない言葉をあえて特集のタイトルにしました。自国に都合がいいように相手国の世論を操作する工作を意味する新しい概念です。提唱者はクリストファー・ウォーカー氏。新概念を論じた昨年末の『フォーリン・アフェアーズ』誌の論文は国際外交の専門家の間で話題となりました。特集ではそのウォーカー氏の特別寄稿が読みどころの一つです。

新パワーの使い手は中国やロシア。相手国は欧米や日本などの民主主義国家です。これは非対称な戦いです。相手国に自国の主張を浸透させようとしたり、そのことを批判されれば「不当だ」と反論したりできるのは、相手国に言論の自由があるからです。自国民の口には封をしたまま、「シャープパワー」を駆使する国は、他国の自由に「ただ乗り」し、いずれは乗り潰してしまうつもりなのでしょう。

米連邦捜査局(FBI)は議会証言で、中国政府の工作機関の一つと見なされている「孔子学院」を捜査対象にしていると認めました。米議会の動きも急です。いまは耳慣れない「シャープパワー」ですが、ほどなく人口に膾炙する予感がします。

日本もロシアや中国で対外工作を駆使した過去があります。そのことの是非はおくとして、逆の立場になった時に何が起きるか、今は想像力をたくましくする必要がありそうです。欧米に比べて、我が国は無警戒・無防備に過ぎるような気がしてなりません。特集を機に議論が深まればと思います。

              編集長 斎藤孝光


<中央公論デジタル・ダイジェスト=5月25日発刊分>
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2018年6月号【編集長から】

<官僚は劣化したのか>

官僚の不祥事が報じられるたびに、1998年に大蔵省(現・財務省)を揺るがしたスキャンダルを思い出します。金融機関の接待汚職でキャリアを含む4官僚が逮捕され、蔵相が引責辞任しました。後始末として金融担当部局は分離されて金融庁となり、後の省庁再編では、組織の伝統と誇りの源だった省庁名も変更されました。

発覚当時、私は大蔵省を担当する記者でした。省内を覆う暗い雰囲気を思い出します。今、一連の騒動の「主人公」となっている昭和57年入省組は、20年前には先輩の過ちに苦い思いを噛みしめた世代です。なぜ、不祥事が繰り返すのか、説明して欲しいと思います。

財務省だけではありません。文科省、厚労省、防衛庁、官邸・・・。不始末が相次ぐ霞ヶ関で、何が起きているのか、6月号で徹底分析しました。

財政再建、教育改革、社会保障改革、安全保障・・・。いずれものっぴきならない状況なのに、各省庁は自分の後始末に追われています。官僚が仕事に専念できないツケは、結局国民に回ってくると思うと、何ともやりきれません。


              編集長 斎藤孝光

<中央公論デジタル・ダイジェスト=4月25日発刊分>
バックナンバーの電子書籍が続々発刊中です。

2018年5月号【編集長から】

<「憲法ニヒリズム」をどう乗り越えるのか>

5月号の特集タイトルは「憲法の正念場」です。昨年5月号は「憲法の将来」(電子版https://buff.ly/2Ee7Ga7)でした。この1年で改憲がにわかに政治日程にのぼり、もはや「将来ごと」ではなくなったのです。
では、なぜ「正念場」なのか。国民の関心が高く、しかも国論を二分するテーマだからでしょうか。
答えはNOです。
特集では境家史郎教授が世論調査を丹念に分析し、「憲法問題に国民は大したこだわりを持っていない」と結論づけています。一般の国民は、憲法問題に醒めている。「憲法ニヒリズム」です。
その正体も、特集の中で示されています。
複数の筆者が懸念するように、憲法を字義通りに解釈して運用すれば、日本は国際環境についていけなくなります。だから多くの国民は自衛隊の存在も日米安保も集団的自衛権の限定行使も認めている。しかし、それを解釈改憲という形で続けていれば、憲法の重みはどんどん失われます。憲法なんて現実とは関係ない、と国民が思えば、立憲主義は形骸化します。そうなればまさに正念場です。
戦後70年余り、政治の世界では、憲法の中身の議論に入る前に、「改憲」か「護憲」かという立ち位置をめぐる不毛な対立が続いてきました。こうした政治の状況に、国民はあきれ、倦んでいるのではないかと、心配しています。
そして、これも複数の論者が指摘しているように、不毛な対立を煽った責任はメディアにもあると思います。それが、2年連続で特集を組んだゆえんでもあります。
 
            編集長 斎藤孝光

<中央公論デジタル・ダイジェスト=3月25日発刊分>
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2018年4月号【編集長から】

<明治維新の「勢」に学びたい>

4月号の特集にご登場いただいた苅部直氏の近著『「維新革命」への道』には、「勢」というキーワードが出てきます。本居宣長や頼山陽らに支持された概念で、歴史をある方向に動かす、社会の中に潜む原動力を意味します。これには、時の権力者といえども逆らえない、と彼らは考えました。

「勢」の赴くまま、歴史は一つの方向を目指して不可逆的に進んでいくーー。知識層にこうした考えが共有されていたからこそ、明治維新の際、日本は西洋の進歩史観を違和感なく受け入れ、文明開化に突き進むことができた、というのです。日本が維新の大業を成し遂げた下地には、個々の志士たちの努力もさることながら、さらにその先人たちの、柔軟な感性があったといえるのでしょう。

今でいえば「空気」でしょうか。つい最近流行した「KY」という言葉も、元をたどれば江戸時代の国学者に行き着くのかも知れません。

一方で、日本が無謀な大戦に突入した遠景に、それぞれの時代に起きた事物の結果を「動かしがたい現実として肯定し、無責任に追随してゆく意識」があったという「いきほひ」批判が、戦後、丸山眞男によって唱えられたとも、同書に教えられました。

「勢」や「空気」が、無視も座視もできないものだとしたら、その取り扱いには慎重さが必要でしょう。維新一五〇年。日本人を考えるいい機会にしたいと思います。

              編集長 斎藤孝光

<中央公論デジタル・ダイジェスト=2月25日発刊分>
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2018年3月号【編集長から】

<オランダに学べるか>

一九八〇年代初頭、失業率が一〇%を超えたオランダは、政労使が一体となって労働市場改革に取り組みました。その精華が、二〇〇〇年に施行された「労働時間調整法」です。週何時間働くかは、会社ではなく労働者が決められるようになり、ライフスタイルに応じた柔軟な働き方が可能になりました。従来一人でやっていた仕事を分かちあうワークシェアリングが広まって失業率は劇的に低下し、「オランダ病」と呼ばれた経済は、一転「オランダの奇跡」と称されるまでになりました。

二〇〇二年に取材した時の驚きを思い出します。公務員にも、民間企業の管理職にもパートタイムがいました。時間をやりくりして、複数の企業で働くのも普通のことでした。「同一労働同一賃金」の徹底により、そもそも「正」社員という概念が消えていたのです。

「日本じゃとても無理だ」とも思いましたが、オランダも六〇年代ごろまでは労働観が保守的で、例えば出産後の女性は子育てに専念すべきだという考え方が普通だったと聞いて思い直しました。オランダの労働市場活性化を支えた大きな柱は未就労女性の参入でした。七〇年代半ばまで先進国中最低水準だったオランダの女性就業率は、改革後は独仏に肩を並べる水準に高まったのです。

もちろん、日本とオランダでは産業構造も年齢構成も異なります。オランダ流ですべてうまくいくとは思いません。しかし、働き方を改めるには、制度だけではなく、国民意識を根底から変える必要があるという点はオランダから学べると思います。特集がその理解の助けになれば幸いです。

                       編集長 斎藤孝光

<中央公論デジタル・ダイジェスト=1月25日発刊分>
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2018年1月号【編集長から】

<昭和は遠くなりにけり>

平成も余すところ1年半を切りました。平成30年1月号はこの30年間を100人の人物で振り返りました。

30年というのはとても長い時間です。
30年刻みでジャンプできるタイムマシンに乗れば、2回遡ることで、巨人・長嶋茂雄選手の4打席4三振デビューやチキンラーメンの発売、今上天皇と美智子妃殿下の婚約に立ち会えます。3回遡った1928年には「満洲某重大事件」や 昭和天皇の即位の礼があり、一気にスイッチを5回にあわせると、大小二本を帯び、ちょんまげを結っている侍が往来を行き交う様を目撃できるでしょう。

この30年は、小欄にとっても結婚し、子供を授かり、数回住処を変え、両親を看取った期間でした。その間、ブラウン管は液晶に、葉書は電子メールに、黒電話はスマホに変わり、パソコンやインターネットが必需品になりました。バブルが崩壊し、デフレが長引き、所得が伸びていく実感がなくなったのも平成になってからでした。

個人史的にはそれなりに苦労はあったといいたいのですが、親世代=戦中派にはかないません。敗戦と焦土からの苦難の復活という過酷な歴史に比べたら、自然災害や都市型テロ、原発事故が起きてもなお、安寧な30年だったと思います。

「平成の100人」リストに、畏怖すべき強烈な個性が少ないと感じたのは、親世代の戦中派目線を多少受け継いでいるためかもしれません。政治、経済、学問、文化、メディア。あらゆる権威が「市民目線」の水準に引き下ろされたのも、ここ30年のことです。それでも、国民が英傑を待ち望む乱世よりはましだと思うようにします。昭和は遠くなりにけりです。

              編集長 斎藤孝光


<中央公論デジタル・ダイジェスト=11月25日発刊分>
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2017年12月号【編集長から】

<土地放棄の責任は問われなくていいのか>

律令国家の公地公民に始まり、寺社や貴族による荘園制、それを葬り去った秀吉の太閤検地など、日本史を振り返れば、時代の権力者は常に土地の支配者でもありました。近現代でも、戦後の農地改革までは地主は支配階級とみなされていましたし、農業が主要産業の座を降りた高度成長期以降も、「東京の地価でアメリカ全土が買える」と喧伝された1980年代後半の土地バブルまで、この歴史の法則が作動していたと思います。

潮目は92年に変わりました。前年に10%以上も上昇してピークをつけた公示地価の全国平均が、4・6%の下落に転じたのです。そこからさらに四半世紀、相続時に不採算と疎んじられる不動産は地方ばかりか、都市部にも増えています。後世の歴史家は「土地所有と権力の関係が途切れた初の時代」と総括するかも知れません。

土地登記が義務化されていなかったり、所有者不明土地に行政が介入できかったりするのは、土地が棄てられる時代の到来を想定していなかったからでしょう。しかし、土地は自動車や家電と違い、解体や廃棄はできません。国土荒廃のコストは社会全体が負担しなければならないのです。

公有から私有へという歴史の流れを少し巻き戻し、公的な関与を強めるしか道はなさそうです。ごみの不法投棄に罰則があるのに、土地放棄の責任が問われないのはおかしいという議論が、いずれ始まると予想しています。
                               編集長 斎藤孝光

<中央公論デジタル・ダイジェスト=10月25日発刊分>
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author=池澤夏樹 著
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2017年11月号【編集長から】

<北の核ミサイル開発と突然の衆院選>

「あり得ることは起こる。あり得ないと思うことも起こる」。
「見たくないものは見えない。見たいものが見える」。

福島原発の事故原因を探るため、閣議決定により設置された「東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会」の畑村洋太郎委員長は、最終報告の所感にこう書き記しています。事故から六年半、この所感を改めてかみ締めるべき時かもしれません。

北朝鮮のミサイル・核開発は今も目の前で「起きている」わけですが、それでも米朝間の戦争は「あり得ない」はずだと信じたいです。開戦と同時に、我が国に核弾頭が飛んでくるような未来は絶対に「見たくない」と思います。

しかし所感は、「自分を取り巻く組織・社会・時代の様々な影響によって自分の見方が偏っていることを常に自覚し、必ず見落としがあると意識していなければならない」と警鐘を鳴らしています。事故の直接的な原因を「『長時間の全電源喪失は起こらない』との前提の下に全てが構築・運営されていたことに尽きる」と断じた記述の『』部分を、『核ミサイルでの本土攻撃は起き得ない』、と読み替えてもほとんど違和感がないことに、背筋が冷たくなりました。

原発事故の遠因は安全神話でした。北にも、どんな神話も通じません。見たくない世界を見ないためには、現実を見るしかありません。

日本でも次々に「あり得ない」ことが起き、「見たくない」ものを見せ付けられました。突然の衆院解散、新党結成と野党第2党の崩壊。そして、主義主張を投げ打っても、追い風が吹く他党に移籍しようとする政治家の醜悪なありようには、眼を背けたくなりました。

今月号の特集は、「介護施設が危ない」と「二十一世紀の勉強論」を柱に据えようと構えていたのですが、北のミサイル・核実験と突然の衆院解散で、2本の特集を追加しました。内容は充実していると確信していますが、心はあまり晴れません。

                               編集長 斎藤孝光

<中央公論デジタル・ダイジェスト=9月25日発刊分>
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2017年10月号【編集長から】

<政治・選挙制度改革とは何だったのか>

小選挙区比例代表並立制のもとで、初めて衆院選が行われたのは、一九九六年十月のことです。政党助成金の導入で利益誘導型政治に終止符を打ち、政権交代可能な二大政党制に道を開く、政治・選挙制度改革の総仕上げでした。

それから二〇年余り。有権者はいま、与党に利益誘導の気配を嗅ぎ取って怒り、野党には政権を任せるに足る資格がないと心底呆れています。

「政党が信じられない」という特集のタイトルは、こうした有権者の率直な思いを表現したつもりです。田原総一朗氏による野田聖子総務大臣、山口那津男公明党代表の政界キーパーソン連続インタビューでは、今、政党に何が起きているのか、小池新党にどう立ち向かうのかなどをストレートにぶつけました。

世論調査を分析した研究者の論文からは、若い世代を中心に、共産党が「保守」、維新が「革新」との認識が広がっていることが明らかになりました。東西対立時代の政党像は徐々に崩れています。政党側の認識は追いついているのでしょうか。

ところで、大正末期から昭和初期にかけて、二大政党が政権を交互に担った時期がありました。当初はそれなりに機能したのですが、二八年の初の男子普通選挙で、与党政友会が民政党と大接戦を演じてからは、両党は不毛な足の引っ張り合いに終始し、これが「政党政治そのものに対する国民の不信と不満を招くようになり、ついには軍部の台頭へと結びついていった」(御厨貴著「NHKさかのぼり日本史③」)といいます。

同書によれば、両党の基本政策に決定的な差はなかったのですが、「政敵を攻撃するために政策的な差異を必要以上に強調」した結果、「『ためにする』主張に、政党自身が縛られて」行き過ぎた政策を志向することになりました。

九〇年前の経験を糧に猛省する必要がありそうです。歴史は形を変えて繰り返すといいます。有権者の不信の「受け皿」が何になるのかも、注視したいと思います。

もう一つの特集は、元中国大使の宮本雄二氏らが党大会後の習近平体制を占います。特集とは別に日中融和を説いた「対日関係新思考」で知られる中国の著名言論人・馬立誠氏が、日中国交正常化四十五年を機に「人類愛で歴史の恨みを溶かす」を特別寄稿しています。

<中央公論デジタル・ダイジェスト=8月25日発刊分>

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編集長 斎藤孝光

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author=丸元淑生 著
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2017年9月号【編集長から】

<等身大の自画像とは>

エズラ・ヴォーゲル教授が、戦後日本の経済成長を讃えた「ジャパン・アズ・ナンバーワン」を著したのは、40年ほど前の1979年のことです。日本経済はその後、85年のプラザ合意による円高も乗り越えてバブル状態となり、一時はアメリカを飲み込まんばかりの勢いだったのですが、バブルが崩壊し、中国が台頭したここ20年ほどは、一転して日

本への関心の低下を「ジャパン・パッシング」と呼んで問題とするなど、必要以上に卑下するようなところもありました。ところがここ数年は、さらに一転し、何か空威張りのように日本を自画自賛する風潮が広がっています。等身大の自画像というのは難しいものです。

今回の特集では、そのヴォーゲル教授も含めた米ハーバード大の10教授に、授業での日本や日本史の教え方についてインタビューしています。

▼民主主義の先駆け「十七条憲法」 アマルティア・セン
▼『源氏物語』は不評。城山三郎にびっくり アンドルー・ゴードン
▼和食の「下ごしらえ」がすごい テオドル・C・ベスター
▼『忠臣蔵』に感動する学生たち デビッド・L・ハウエル
▼龍馬、西郷は「脇役」にすぎない アルバート・M・クレイグ
▼渋沢栄一ならトランプにこう忠告する ジェフリー・ジョーンズ
▼格差を広げないサムライの資本主義 エズラ・F・ヴォーゲル
▼被災地・宮古から考える イアン・J・ミラー
▼移民の受け入れは不可避だ ジョセフ・S・ナイ
▼モラル・リーダーとしての天皇論 サンドラ・J・サッチャー

アカデミズムのエリートたちの目に映る日本の姿は、悪くないと思います。ノーベル経済学賞のセン教授が「十七条憲法」を民主主義のお手本としているのには驚きました。ほかにも新しい発見がたくさんありました。

一方で、グレン・フクシマ氏の「発信力を高めるために何が必要か」は、プレゼンスが低下しつつある日本の課題を、苅谷剛彦氏の「オックスフォードから見た『日本』という問題」は、世界から見た日本への関心のあり方の構造的な変化を論じています。浮かれている場合でもないようです。

    

編集長 斎藤孝光
                   

<中央公論デジタル・ダイジェスト=7月25日発刊分>

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2017年8月号【編集長から】

<英語一強時代の日本語のサバイバル術>

機械が訳したらしい、たどたどしい日本語の説明書きを、海外製品を扱うネット通販サイトでよく見るようになりました。そもそも関心がある商品の情報ですから、表現が稚拙であっても概ね要点は理解できます。訳出が完全でなくても用が足る領域は、意外と広いのかも知れません。機械翻訳が安く、気軽に使えるようになり、身の周りの利便性は確実に上がっています。

ところが同じネット上の情報でも、ニュースは事情が異なるようです。発言者の地位や責任の軽重とは無関係に、片言隻語まで翻訳されて国をまたいで流通し、あたかも国全体の意見のように取り上げられて関係国民の感情を害したり、相互不信に拍車をかけたりする事例を目にするようになりました。情報量が増えさえすれば、相互理解が進むわけではないようなのです。

特集で隅田英一郎氏が言うように、人工知能の進歩で「九九%の人は中学校や高校で英語を勉強しなくてよくなる」時代になったとしたら、次の課題は異文化理解になるはずです。言語に制約されず誰とも意思疎通できる世界では、国民一人ひとりが自国の文化や立場を対外的に説明できる能力こそを、国力と呼ぶようになるかも知れません。

二〇二〇年度からの次期学習指導要領では、小学校五年から英語が正式な教科となります。意思疎通の能力を高めることに並行して、語るべき中身を鍛えることも忘れないで欲しいと思います。
                               編集長 斎藤孝光

<中央公論デジタル・ダイジェスト=6月25日発刊分>
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