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〔1月20日UP!〕
カイロ宣言の“亡霊”(時評2014)

川島真=中国外交史研究者
〜「中央公論」2014年2月号掲載

 二〇一三年はカイロ宣言七〇周年であった。そのため、多くの記念行事が中国、あるいは台湾でも開かれた。これらはみな、尖閣諸島問題、沖縄の位置づけ、ひいては敗戦国としての日本の立場などを意識したものである。

 カイロ宣言は一九四三年にカイロで開催されたカイロ会談の末、十二月一日に発表された、プレスリリース的な文書である。この会議には、アメリカのルーズベルト大統領、イギリスのチャーチル首相、そして中国の蒋介石総統が参加した。中国側は蒋介石のほかにも、その夫人の宋美齢、また王寵恵がいた。

 カイロ宣言が問題となるのは、そこに領土をめぐる次の内容が含まれているからである。それは、「満洲、台湾及澎湖島ノ如キ日本国カ清国人ヨリ盗取シタル一切ノ地域ヲ中華民国ニ返還スルコトニ在リ」という部分である。中国や台湾から見れば、「中華民国ニ返還」という部分が重要になる。サンフランシスコ講和条約では、日本は台湾などを「放棄」しただけで所属先は明示されないが、このカイロ宣言では明確にされているのである。

 このカイロ宣言は署名もないプレスリリース的な文書に過ぎず、どれほどの効力があるかは疑問だ。だが、一九四五年七月末のポツダム宣言の第八項に「『カイロ』宣言ノ条項ハ履行セラルヘク又日本国ノ主権ハ本州、北海道、九州及四国並ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルヘシ」とあるので、カイロ宣言に意味がないとは言えない。一九五一年九月に締結されたサンフランシスコ講和条約の内容とカイロ宣言の内容が前述のように同じではなく、当然条約のほうが優先されるが、中国も台湾もサンフランシスコ講和会議には参加していないので、カイロ宣言を重視するということになる。

 だが、筆者はここでひとつの論点を提示したい。昨今、カイロ会談当時、ルーズベルトが蒋介石に対して、中国による沖縄の領有を再三求めたが、蒋介石がそれを拒絶したという話がある。中国側は尖閣諸島が台湾に属すると言っているのだから、この問題と尖閣諸島問題とが直接関わるわけではないが、この米中首脳会談での沖縄をめぐるやりとりは話題性が高い。だが、このカイロ会談での会議記録それ自体の作成過程が問題だ。

 この文書は一九五六年になってアメリカから台湾の外交部に照会がなされて作成されたものである。実はカイロ会談には外交部長らは同行しておらず、外交部に会議記録はなかった。結局、王寵恵のメモをもとに会議記録が作成された。そして、その原案を蒋介石が修正した。その修正過程が、台北の中央研究院で公開されている外交文書からつぶさに明らかになる。

 カイロ会談では、宋美齢が蒋の英語の通訳にもなったが、蒋は宋の通訳を通じた会議の模様の記憶と、一九五六年当時の台湾の立ち位置などを考慮して、この会議記録に手を入れたのであろう。いずれにせよ、このカイロ会談の会議記録というのは、果たして歴史学でいう一次史料なのか、という疑問が残る。後世(一九五六年)になって過去を振り返って記された史料(二次史料)に依拠して議論するのは危険である。

 領土については「古より」とか「固有の」とかいった言葉がつきまとうが、中華民国でも中華人民共和国でも、二十世紀にはほぼ尖閣諸島を尖閣諸島、あるいは尖頭諸島と呼んでいた。名称を変えたのは台湾で、一九七〇年一月十四日に経済部で開かれた「正名座談会」で「釣魚台列嶼」と呼ぶことが決まった。以後次第に定着し、それにつれて中華人民共和国でも名称を変えていったのだ。

 カイロ会談の“亡霊”が東アジアを跋扈した二〇一三年、あらためて「歴史」が話題になった。だが肝要なのは、あまり現在の視点に捉われず、史料に立ち戻って、史料を基点に議論することではなかろうか。
(了)

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