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内田 樹=神戸女学院大学教授
〜「中央公論」2011年5月号掲載

 もう一つ、火力発電から原子力発電へのシフトに「地球温暖化キャンペーン」が深く関与していたこともここで指摘しておく必要があるだろう。
 炭酸ガスが排出されると地球環境は壊滅的な被害を受けるというあのキャンペーンは「炭酸ガスを出さない、安全でクリーンなエネルギー」である原子力発電への評価をじりじりと押し上げた。だが、「北極のシロクマさんのために」火力発電を止めて原発に切り替えると、今度は「日本の人々」が放射性物質の被曝を恐れなければならないリスクが発生しますということを「温暖化キャンペーン」に携わった人たちは誰もアナウンスしなかった。炭酸ガスが増えると、光合成がさかんになって植物が繁茂し、炭酸ガスの吸収が進み、濃度を下げる。そういうふうにして自然界はバランスを取っている。けれども放射性物質については、そんな牧歌的なバランスは存在しない。

危機時に「正解」はない

 ここまでは震災「以前」の危機管理について述べてきた。実際に災害が起きた「以後」の東電と政府の対応についても、私たちは人災的な瑕疵を指摘しないわけにはゆかない。
 危機管理の条件は「ありもの」しか使えないということである。手元にある資材、人材、資源、そして時間しか使えない。その中でやりくりしなくてはいけない。それは危機の時には「正解がない」ということである。危機的状況というのは、必要な資材がなく、必要な人員がなく、必要な情報がなく、必要な時間がないということである。いちばんきびしいのは「時間がない」ということである。とくに原発事故の場合は、放射性物質がいったん漏出し始めると、人間がそこにいって作業できなくなるから「打つ手」が一気に限定される。今なら選択できるオプションが一時間後には選択できなくなるということがありうる。その場合の「今できるベスト」は「正解」とはほど遠いものとなる。
 けれども、日本のエリートたちは「正解」がわからない段階で、自己責任・自己判断で「今できるベスト」を選択することを嫌う。これは受験エリートの通弊である。彼らは「正解」を書くことについては集中的な訓練を受けている。それゆえ、誤答を恐れるあまり、正解がわからない時は、「上位者」が正解を指示してくれるまで「じっとフリーズして待つ」という習慣が骨身にしみついている。彼らは決断に際して「上位者の保証」か「エビデンス(論拠)」を求める。自分の下した決断の正しさを「自分の外部」に求めるのである。仮に自分の決断が誤ったものであったとしても、「あの時にはああせざるを得なかった」と言える「言い訳の種」が欲しい。「エビデンス(論拠)とエクスキュース(言い訳)」が整わなければ動かないというのが日本のエリートの本質性格である。良い悪いを言っているわけではなく、「エリートというのは、そういうものだ」と申し上げているのである。
 だから、危機的状況にエリートは対応できない。もともとそのような事態に備えて「須要の人材」として育成されたものではないから、できなくて当たり前なのである。だから、「そういうことができる」人間をシステム内の要所要所に配備しておくことが必要なのである。「胆力のある人間」と言ってもよい。資源も情報も手立ても時間も限られた状況下で、自己責任でむずかしい決断を下すことのできる人間である。
「胆力がある」ということは別に際だった知的・人格的資質ではない。「胆力のある人間」は「胆力のある人間を育成する教育プログラム」によって組織的に育成することができる。例えば武道や宗教はほんらいそのためのものである。けれども、日本の戦後教育は「危機的状況で適切な選択を自己決定できる人間」の育成に何の関心も示さなかった。教育行政が国策的に育成してきたのは「上位者の命令に従い、マニュアル通りにてきぱきと仕事をする人間」である。それだけである。
 たぶんこの後、次第にあきらかにされると思うけれども、事故の現場には「今はこうするのがベストだ。すぐに動こう」という具体的提案をした人がいたと私は思う。現場の人間は「正解」を待つことなく、「今できる最適のこと」を選ぶ訓練を受けている。でも、「上の人間」がその決断にストップをかけた。「軽はずみに動くな。上からの指示があるまで待て」ということを言った人間が必ずいたはずである。そして指示を求められた「上の人間」はまたさらにその「上の人間」に指示を仰いだ……そんなふうにして初動の貴重な数時間、数十時間が空費され、事故は手の付けられないところまで拡大していった。
「ほうれんそう」ということが会社内で言われるようになって久しい。「報告・連絡・相談」抜きで事を決してはならないということを日本の組織内労働者は耳にたこができるまで叩き込まれている。原発事故はある意味で「ほうれんそう」の産物であるとも言える。放射性物質の汚染が懸念されて出荷制限を受けた野菜と同じ名前であるということは奇縁というほかないが。

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